霜の後(のち)葎(むぐら)を訪ひて
花皆枯れて哀れをこぼす草の種 芭 蕉
知的な計らいが入っている句である。
「哀れをこぼす」は、一つの知的傾向としてはおもしろいのだが、これが緊張感を失うと、その弊害はとどまるところをしらぬことになる。
「こぼす」は、「哀れ」・「草の種」の両方にからませた表現。
「草の実(草の種)」は秋であるが、ここは霜の後であるから、実質としては「枯草」の句で、冬季。
「霜が激しく降りた後、葎の生い茂っていた園のあたりを訪ねてみると、
秋草はすっかり枯れ果て、ただ草の種がしきりにこぼれている。そのさ
まは、まさに哀れをこぼしているもののように見える」
枯草の川の走りをにぎり飯 季 己
花皆枯れて哀れをこぼす草の種 芭 蕉
知的な計らいが入っている句である。
「哀れをこぼす」は、一つの知的傾向としてはおもしろいのだが、これが緊張感を失うと、その弊害はとどまるところをしらぬことになる。
「こぼす」は、「哀れ」・「草の種」の両方にからませた表現。
「草の実(草の種)」は秋であるが、ここは霜の後であるから、実質としては「枯草」の句で、冬季。
「霜が激しく降りた後、葎の生い茂っていた園のあたりを訪ねてみると、
秋草はすっかり枯れ果て、ただ草の種がしきりにこぼれている。そのさ
まは、まさに哀れをこぼしているもののように見える」
枯草の川の走りをにぎり飯 季 己