壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

純な目

2009年12月07日 20時18分21秒 | Weblog
        初雪や水仙の葉のたわむまで     芭 蕉

 子どものように純な目で初雪を見ているところがよい。その物珍しい驚きの目つきが、「水仙の葉のたわむまで」にいきいきと出ている。
 水仙の葉は厚いが、柔軟でさほど強い感じのものではない。それに初雪が降り積もって、やわらかにたわむまでになったというのである。「まで」には、期待し、その期待を満たすところまでにいたった喜びが見られる。
 『目団扇(もくうちわ)』などには下五が「たわむほど」となっているが、「ほど」だと、「まで」のような喜びの感じが薄れてしまうように思われる。

 季語は『初雪』で冬。初雪を見る感動をそのまま出すのではなく、「水仙」という一つのものを通して喜びを生かそうとしている。「初雪」の「初」に注意して味わうことが必要であろう。「水仙」も冬の季語。

    「待ち望んでいた初雪が降ったよ。水仙の葉がやんわりたわむまでに……」


      水仙の昼を画廊に三時間     季 己