お盆の帰省ラッシュがピークを迎えた。上りのピークは15,16日という。お互いに事故のないよう、気をつけたいものである。
盂蘭盆につきものは蓮の花であろう。
仏さまの乗っておられる蓮華の座、極楽の池に浮かぶ蓮の台。蓮の花は仏教の世界で最も尊ばれている通り、インドが原産の、スイレン科の多年草である。
泥の中から生えながら、汚れに染まぬ浄らかな花を咲かせる蓮は、仏教の尊ぶ清浄の理(ことわり)を象徴するものと見立てられたのだろう。ここに「煩悩即菩提」の教えが象徴されている。
つまり、「この泥があればこそ咲く蓮の花」ということだ。
蓮葉(はちすば)の 濁りに染まぬ 心もて
何かは露を 玉とあざむく 僧正遍昭
六歌仙の一人、僧正遍昭は、なかなかユーモラスな歌を詠んでいる。
蓮の葉の表面には、産毛のような細かい毛が密生しているものだから、その上に溜まった露は、ころころと丸く一ところに集まって、仏教の教えの清浄心そのままに、まるで水晶玉のように輝いている。僧正遍昭は、蓮の葉に溜まる露の美しさを、仏教の教義に照らして、その虚と実とを巧みに諷したものである。
7~8月ごろ、蓮は、蓮池や沼、田などで、白や淡い紅色の花を開く。
ところで、ハスのことをハチスと呼ぶのは何故だろう。
蓮の花は、花びらが散ったあと、花托が大きくなって実を結ぶ。その蓮の実が一粒ずつ入っていた穴が、蓮の実のこぼれ出たあとは、まるで、蜂の巣のように見えるので、「蜂巣(はちす)」と呼ばれ、花そのものをもハチスと呼ぶようになったものであろう。
そして、そのハチスがつまってハスとなったものと思われる。
わが国最古の辞書『和名抄』にも、ハチスノミ・ハチスノネ・ハチスノハヒ・ハチスノクキなどとあって、ハスと訓(よ)んだ言葉はない。
♪踊る阿呆に見る阿呆……エライヤッチャ、エライヤッチャ……
と練り歩く、徳島名物「阿波踊り」が、昨日から始まった。
阿波藩で、徳島城を落とした祝い酒で、町民たちが踊ったのが起源というが、古い念仏踊りの変型だとも聞いた。
鳴り物につれて大集団が、徳島全市を踊りの渦と化す阿波踊りは、ダイナミックで実に壮観である。
阿波踊の鉦のかなしきはずはなし 季 己
盂蘭盆につきものは蓮の花であろう。
仏さまの乗っておられる蓮華の座、極楽の池に浮かぶ蓮の台。蓮の花は仏教の世界で最も尊ばれている通り、インドが原産の、スイレン科の多年草である。
泥の中から生えながら、汚れに染まぬ浄らかな花を咲かせる蓮は、仏教の尊ぶ清浄の理(ことわり)を象徴するものと見立てられたのだろう。ここに「煩悩即菩提」の教えが象徴されている。
つまり、「この泥があればこそ咲く蓮の花」ということだ。
蓮葉(はちすば)の 濁りに染まぬ 心もて
何かは露を 玉とあざむく 僧正遍昭
六歌仙の一人、僧正遍昭は、なかなかユーモラスな歌を詠んでいる。
蓮の葉の表面には、産毛のような細かい毛が密生しているものだから、その上に溜まった露は、ころころと丸く一ところに集まって、仏教の教えの清浄心そのままに、まるで水晶玉のように輝いている。僧正遍昭は、蓮の葉に溜まる露の美しさを、仏教の教義に照らして、その虚と実とを巧みに諷したものである。
7~8月ごろ、蓮は、蓮池や沼、田などで、白や淡い紅色の花を開く。
ところで、ハスのことをハチスと呼ぶのは何故だろう。
蓮の花は、花びらが散ったあと、花托が大きくなって実を結ぶ。その蓮の実が一粒ずつ入っていた穴が、蓮の実のこぼれ出たあとは、まるで、蜂の巣のように見えるので、「蜂巣(はちす)」と呼ばれ、花そのものをもハチスと呼ぶようになったものであろう。
そして、そのハチスがつまってハスとなったものと思われる。
わが国最古の辞書『和名抄』にも、ハチスノミ・ハチスノネ・ハチスノハヒ・ハチスノクキなどとあって、ハスと訓(よ)んだ言葉はない。
♪踊る阿呆に見る阿呆……エライヤッチャ、エライヤッチャ……
と練り歩く、徳島名物「阿波踊り」が、昨日から始まった。
阿波藩で、徳島城を落とした祝い酒で、町民たちが踊ったのが起源というが、古い念仏踊りの変型だとも聞いた。
鳴り物につれて大集団が、徳島全市を踊りの渦と化す阿波踊りは、ダイナミックで実に壮観である。
阿波踊の鉦のかなしきはずはなし 季 己
ネットで僧正遍昭のことを検索してみたら、こっちに来て見ました。素晴らしいブログですね。
蓮葉(はちすば)の 濁りに染まぬ 心もて
何かは露を 玉とあざむく 僧正遍昭
この歌を先学期の発表に引用したこともありますこと。素晴らしい歌だと思います。