冬籠りまた寄り添はん此の柱 芭 蕉
旅に年を送り迎えた芭蕉が、住みなれた深川の芭蕉庵に帰っての、心からのつぶやきであろう。いつも背をもたせた柱を眼前に身ながらの吟と思われる。「また」・「此の」は心情のこもった表現である。
旅に憧れ、一所不住の境涯を求めながらも、馴れたその住処にしみじみ心ひかれている姿がみられる。旅にひかれつつも、住むところに愛着を感ずるこの姿に、かえって芭蕉の真の姿があるように思える。
「また寄り添はん此の柱」の出典が、古来考えられている。白楽天「閑居賦」の「閑居シテ復タ此ノ柱ニ寄ル」などを初め、「柱に寄る」という想はかなり多い。特定の出典を考えるまでのことはなかろう。
季語は「冬籠り」で冬。これからの冬籠りを心に置いての、柱の把握である。
「今年はこの庵に冬籠りをすることになったが、寄り馴れたこの柱に
また寄り添って、閑(しず)かに冬をすごそうと思う」
報恩講いまだ寄り添ふ人もなく 季 己
旅に年を送り迎えた芭蕉が、住みなれた深川の芭蕉庵に帰っての、心からのつぶやきであろう。いつも背をもたせた柱を眼前に身ながらの吟と思われる。「また」・「此の」は心情のこもった表現である。
旅に憧れ、一所不住の境涯を求めながらも、馴れたその住処にしみじみ心ひかれている姿がみられる。旅にひかれつつも、住むところに愛着を感ずるこの姿に、かえって芭蕉の真の姿があるように思える。
「また寄り添はん此の柱」の出典が、古来考えられている。白楽天「閑居賦」の「閑居シテ復タ此ノ柱ニ寄ル」などを初め、「柱に寄る」という想はかなり多い。特定の出典を考えるまでのことはなかろう。
季語は「冬籠り」で冬。これからの冬籠りを心に置いての、柱の把握である。
「今年はこの庵に冬籠りをすることになったが、寄り馴れたこの柱に
また寄り添って、閑(しず)かに冬をすごそうと思う」
報恩講いまだ寄り添ふ人もなく 季 己