清少納言の『枕草子』第六十四段に、次のような一節がある。
秋の野の、おしなべたるをかしさは、すすきこそあれ。ほさきのすはう
にいとこきが、朝霧にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。
秋のはてぞ、いと見所なき。色々にみだれ咲きたりし花の、かたちもな
くちりたるに、冬の末まで、かしらのいとしろくおほどれたるもしらず、
むかし思ひいでがほに、風になびきてかひろぎたてる、人にこそいみじう
にたれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれとおもふべけれ。
秋の野辺の、全般的な趣というものは、薄(すすき)に限る。穂先が
蘇芳色で随分濃いのが、朝霧に濡れてうち靡いているところは、これほど
すばらしいものがあろうか。
しかし、秋の終りが、全く目も当てられない。色さまざまに咲き乱れて
いた花が、影も形もなく散ったのに、薄だけが冬の終りまで、頭が真白で
さんばらになっているのも気づかず、いかにも昔懐かしげな表情で、風に
吹かれてゆらゆらと立っているのは、人間の場合と全くそのままそっくり
だ。思い当たる節があって、そのことがどうにも「やりきれない」という
気持がするのだろう。
野分の風に伏し靡く薄野原の眺めほど、秋の深まる思いをはっきりと印象づけるものはなかろう。
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉 蕪 村
この絵画的な美しさをこめた俳句を読むとき、必ず眼に浮かぶのは、駆けていく武者たちの前景となっている群薄の、風に伏し靡き、波うっている姿であろう。
秋の七草の中でも、薄ばかりは、その揺れ動く姿の美しさに注目されている。
万葉の昔から平安の世を経て、わが国の詩人たちは、みな薄の揺れ動く姿に眼を引かれていたのである。
ということは、今後そのようなさまを、句に詠むのは陳腐以外の何物でもないといえそうだ。
そういえば、今日、観てきた「秋の院展」の、類句類想ならぬ類画類想の、何と多いことか。審査委員の力量が疑われる。
角芽立つ早春の薄、見る眼にも爽やかな初夏の若薄、しかしながら、薄はやはり
花の穂を抽きだす秋になって、最も味わいの深い風情を示すものである。
何事においても一際目立つ存在を、和歌の表現では、「花薄穂に出づ」という枕詞で言い習わしているのは、そのためである。
夕べの風に伏し靡く薄もさることながら、はらりと開いた薄の穂先や葉末にたまる露が、朝の光を受けて、珠と輝いている静かな姿に見出す美しさもまた格別、新鮮な感覚にうったえるものがある。
だが、その美しさもここまで。清少納言のいうように、「かしらのいとしろくおほどれたるもしらず、むかし思ひでがほに、風になびきてかひろぎたてる」のは、なんともやりきれない気持ちになる。
北の湖ほうけ薄のぬけぬけと 季 己
秋の野の、おしなべたるをかしさは、すすきこそあれ。ほさきのすはう
にいとこきが、朝霧にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。
秋のはてぞ、いと見所なき。色々にみだれ咲きたりし花の、かたちもな
くちりたるに、冬の末まで、かしらのいとしろくおほどれたるもしらず、
むかし思ひいでがほに、風になびきてかひろぎたてる、人にこそいみじう
にたれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれとおもふべけれ。
秋の野辺の、全般的な趣というものは、薄(すすき)に限る。穂先が
蘇芳色で随分濃いのが、朝霧に濡れてうち靡いているところは、これほど
すばらしいものがあろうか。
しかし、秋の終りが、全く目も当てられない。色さまざまに咲き乱れて
いた花が、影も形もなく散ったのに、薄だけが冬の終りまで、頭が真白で
さんばらになっているのも気づかず、いかにも昔懐かしげな表情で、風に
吹かれてゆらゆらと立っているのは、人間の場合と全くそのままそっくり
だ。思い当たる節があって、そのことがどうにも「やりきれない」という
気持がするのだろう。
野分の風に伏し靡く薄野原の眺めほど、秋の深まる思いをはっきりと印象づけるものはなかろう。
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉 蕪 村
この絵画的な美しさをこめた俳句を読むとき、必ず眼に浮かぶのは、駆けていく武者たちの前景となっている群薄の、風に伏し靡き、波うっている姿であろう。
秋の七草の中でも、薄ばかりは、その揺れ動く姿の美しさに注目されている。
万葉の昔から平安の世を経て、わが国の詩人たちは、みな薄の揺れ動く姿に眼を引かれていたのである。
ということは、今後そのようなさまを、句に詠むのは陳腐以外の何物でもないといえそうだ。
そういえば、今日、観てきた「秋の院展」の、類句類想ならぬ類画類想の、何と多いことか。審査委員の力量が疑われる。
角芽立つ早春の薄、見る眼にも爽やかな初夏の若薄、しかしながら、薄はやはり
花の穂を抽きだす秋になって、最も味わいの深い風情を示すものである。
何事においても一際目立つ存在を、和歌の表現では、「花薄穂に出づ」という枕詞で言い習わしているのは、そのためである。
夕べの風に伏し靡く薄もさることながら、はらりと開いた薄の穂先や葉末にたまる露が、朝の光を受けて、珠と輝いている静かな姿に見出す美しさもまた格別、新鮮な感覚にうったえるものがある。
だが、その美しさもここまで。清少納言のいうように、「かしらのいとしろくおほどれたるもしらず、むかし思ひでがほに、風になびきてかひろぎたてる」のは、なんともやりきれない気持ちになる。
北の湖ほうけ薄のぬけぬけと 季 己