壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

焼けにけり

2009年04月03日 22時56分02秒 | Weblog
        焼けにけりされども花は散りすまし     北 枝

 「元禄三のとし大火に庭の桜も灰に成たるを」(『卯辰集』)、「庚午の歳、家を焼て」(『猿蓑』)と前書きがある。元禄三年三月十七日の金沢大火に類焼した折の作である。
 「家は焼けてしまった。庭の桜も炭になってしまったが、花は散ったあと。ことしの桜は堪能したのだから、惜しむものは何もない」という意であろう。
 「焼けにけり」と単純に投げ出した初五が、かえって複雑な苦しさをにじませ、以下の一転した平板な句の調子が諦めを思わせる。
 とは言っても、現代のわれわれの眼から見れば、理に落ちた感は免れない。
 しかし、これには有名な、芭蕉の書簡がある。

   「池魚の災承り、我も甲斐の山里に引うつり、さまざま苦労いたし
   候へば、御難儀の程察し申し候。されどもやけにけりの御秀作かか
   る時に臨み、大丈夫感心、去来丈草も御作驚き申すばかりに御座候。
   名歌を命に替へたる古人も候へば、かかる名句に御替へ成られ候へ
   ば、さのみ惜しかるまじく存じ候。」(元禄三年四月二十四日付)

 手ばなしのほめようである。当時の新風と比べるとき、芭蕉の、この句に対する評価は過大としか思えないが、そこは北枝(ほくし)の人柄によるのであろう。

 後年、金沢の俳人高桑蘭更(らんこう)は、金沢に残る俳人の逸話を集めて『俳諧世説』を作った。それには北枝の奇行の数々が載っている。
 誇張されているものの、北枝が風狂の人だったことはたしかのようである。とすれば、観念で形をつくることはあるまい。
 この句も日常の生活からしみ出したものになろう。芭蕉の句作の根本もそこにあるので、それが異常ともみえる感銘となったのだと思う。


      花吹雪ハートの風に乗りて来る     季 己