壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

菊の酒

2009年09月06日 20時53分50秒 | Weblog
 陰暦九月九日を「重陽(ちょうよう)の節句」という。陽数“九”が重なるこの日を「日月並び応ずる節句」として、「菊の宴」・「茱萸(ぐみ)の酒」・「菊の酒」・「紅葉土器(かわらけ)」・「菊の着せ綿」など、ゆかしい行事があり、「後の雛」を飾ったり「高きに登る」と称して、登山する風習もあった。
 邪気を祓う呪術的な行事の多かったこの日である。

        草の戸や日暮れてくれし菊の酒     芭 蕉

 『笈日記』に、「おなじ年九月九日、乙州が一樽をたづさへ来たりけるに」と、支考による前書きを付して掲出されている。

 「日暮れてくれし」に「草の戸や」が強くひびいて、そこに芭蕉の感慨がこめられている。思いがけなく一樽を持参してくれた乙州(おとくに)への挨拶と、人に遅れて菊花酒(きくかしゅ)を祝ういささか侘びしい気持とが、渾然として融合した句である。全体の沈んだ調子が、その気分をしっとりと生かしていることも見落とせない。

 「日暮れてくれし」は、日が暮れてから人のくれた、の意。ふつうなら「貰ふ」とあるところだが、「く」の繰り返しの効果がある。
 『蒙求』に、陶淵明が九月九日菊花節の酒がないままに、草むらの中に座り、菊を摘んでいたところ、大守王弘が酒を届けてくれた、という話がある。この故事が心にあったものと思われる。

 季語は「菊の酒」で秋季。
 「菊の酒」は菊花酒ともいい、重陽の節句に延寿を祝って菊花を酒にうかべて飲む風習が、禁中はもちろん、町方にも広く行なわれた。
 ここでは閑居の心境を滲透させた生かし方になっている。

    「今日は九月九日、重陽の節句とて、世の人は菊花酒を飲んで祝うが、自分
     は草の戸に侘びて住む身、そのこともなく日が暮れてしまった。ところが、
     思いがけず人が一樽を持参して訪れてくれたことよ」


      富士塚の今は登れぬ重九かな     季 己