東京の桜も満開を過ぎ、今日は時折の風に、花びらを舞い上げていた。
母校の小学校では、始業式と入学式が、桜の花びらの流れる中、静かに、というより寂しく行なわれた。
われわれの時代は、1クラス55名で6クラスあった。それが今では、各学年1クラス、全校合わせても120名たらずという。単純に考えて、生徒数は十五分の一に減ってしまったということか。統廃合される日も近いかも知れぬ。
さて、桜の名所京都では、花冷えも終り、3月19日に桜の開花宣言の出て以来ゆっくり開いてきた桜の花も、そろそろ見頃を迎える。
この2日の朝は、比叡山も白く雪化粧をしたとのこと。「4月になってからの雪は珍しい」とは、関西在住の知人からの話。
京都はどこを歩いても、お花見に事欠かないが、比叡山の山桜を遠くに眺め、賀茂川の桜並木を散策するのも、好きなコースの一つ。
京都市の中心を北から南へ流れる鴨川は、高野川と合流する出町柳より北を「賀茂川」と書き表わす。
賀茂川の両岸には、およそ4キロにわたって染井吉野や枝垂れ桜などが植えられている。
西岸の河川敷にある鴨川公園から、東岸の桜並木を見るのを特におすすめしたい。北山を遠望する風景に、桜並木が溶け込んでいて、ほっと心が和む。
東岸は、出町橋から北山大橋まで遊歩道が整えられ、桜の下を散策することが出来るのはうれしい。賀茂川のせせらぎを耳にしながら、のどかな心地でお花見が楽しめるところである。
時間があれば、松ヶ崎疎水沿いの道を通って、高野川まで足を延ばすのもよい。疎水沿いは、染井吉野のトンネル。高野川は、松ヶ崎橋あたりから出町柳まで、染井吉野や里桜の桜並木が続く。
「賀茂川や高野川からは、比叡山が望めます。堤の桜が散り始めるころ、比叡山に山桜の薄紅色が現れて、それが山裾から頂上へと上っていきます。日を追うごとに変化するその様を観ていると、命の営みを感じます」と、地元の方は言う。
うらやまし浮世の北の山桜 芭 蕉
この句は、門弟の句空が『北の山』を編むに当たり、句空に与えた作であろうと言われている。
「浮世の北」というのは、浮世の外、つまり世俗の外という意。句空は、金沢の卯辰山のふもとに住んでいたので、北の国の縁で、「浮世の北」といったもの。
句空は金沢の人で、宗因・維舟など談林の俳人との往来があったと言われる。奥の細道』の旅で、芭蕉が金沢を訪れたときに入門した。
句空の閑雅な庵住みに対する挨拶のこころをこめて発想し、「浮世の北」という言い方に興を覚えたものと思われる。
「うらやまし」が、作意をあらわにし過ぎたきらいがあるが、この中に、芭蕉がこのころ、市中生活の煩わしさを厭うていたことがうかがわれる。
「あなたの住んでおられる卯辰山のあたりも、今頃は定めし山桜の盛りで
ありましょう。その清閑は浮世の北ともいうべく、まことにうらやましく
思いやられることです」
若き日のおもひ比叡の山ざくら 季 己
母校の小学校では、始業式と入学式が、桜の花びらの流れる中、静かに、というより寂しく行なわれた。
われわれの時代は、1クラス55名で6クラスあった。それが今では、各学年1クラス、全校合わせても120名たらずという。単純に考えて、生徒数は十五分の一に減ってしまったということか。統廃合される日も近いかも知れぬ。
さて、桜の名所京都では、花冷えも終り、3月19日に桜の開花宣言の出て以来ゆっくり開いてきた桜の花も、そろそろ見頃を迎える。
この2日の朝は、比叡山も白く雪化粧をしたとのこと。「4月になってからの雪は珍しい」とは、関西在住の知人からの話。
京都はどこを歩いても、お花見に事欠かないが、比叡山の山桜を遠くに眺め、賀茂川の桜並木を散策するのも、好きなコースの一つ。
京都市の中心を北から南へ流れる鴨川は、高野川と合流する出町柳より北を「賀茂川」と書き表わす。
賀茂川の両岸には、およそ4キロにわたって染井吉野や枝垂れ桜などが植えられている。
西岸の河川敷にある鴨川公園から、東岸の桜並木を見るのを特におすすめしたい。北山を遠望する風景に、桜並木が溶け込んでいて、ほっと心が和む。
東岸は、出町橋から北山大橋まで遊歩道が整えられ、桜の下を散策することが出来るのはうれしい。賀茂川のせせらぎを耳にしながら、のどかな心地でお花見が楽しめるところである。
時間があれば、松ヶ崎疎水沿いの道を通って、高野川まで足を延ばすのもよい。疎水沿いは、染井吉野のトンネル。高野川は、松ヶ崎橋あたりから出町柳まで、染井吉野や里桜の桜並木が続く。
「賀茂川や高野川からは、比叡山が望めます。堤の桜が散り始めるころ、比叡山に山桜の薄紅色が現れて、それが山裾から頂上へと上っていきます。日を追うごとに変化するその様を観ていると、命の営みを感じます」と、地元の方は言う。
うらやまし浮世の北の山桜 芭 蕉
この句は、門弟の句空が『北の山』を編むに当たり、句空に与えた作であろうと言われている。
「浮世の北」というのは、浮世の外、つまり世俗の外という意。句空は、金沢の卯辰山のふもとに住んでいたので、北の国の縁で、「浮世の北」といったもの。
句空は金沢の人で、宗因・維舟など談林の俳人との往来があったと言われる。奥の細道』の旅で、芭蕉が金沢を訪れたときに入門した。
句空の閑雅な庵住みに対する挨拶のこころをこめて発想し、「浮世の北」という言い方に興を覚えたものと思われる。
「うらやまし」が、作意をあらわにし過ぎたきらいがあるが、この中に、芭蕉がこのころ、市中生活の煩わしさを厭うていたことがうかがわれる。
「あなたの住んでおられる卯辰山のあたりも、今頃は定めし山桜の盛りで
ありましょう。その清閑は浮世の北ともいうべく、まことにうらやましく
思いやられることです」
若き日のおもひ比叡の山ざくら 季 己