此の寺は庭一杯の芭蕉かな 芭 蕉
みごとに広げた芭蕉の葉を、「庭一杯の」と把握したところが眼目である。即興的な調子が感じられる。取り立てて言うほどの作ではないが、やや弾んだ気持は出ている。
『蕉翁句集』に、元禄五年として収める。
季語は「芭蕉」で秋。中国原産で、バショウ科の多年草。高さ五メートルにも及び、葉鞘は互いに抱いて直立。葉は鮮緑色の楕円形で、長さは二メートルほど。長柄を持ち、支脈に沿って裂けやすい。秋に巨大な花穂を出し、帯黄色の単性花を段階状に輪生する。
松尾芭蕉が、「その性 風雨に傷みやすきを愛す」といって、自らを芭蕉と号したことは、よく知られている。その松尾芭蕉が、「芭蕉」を即興風にとらえたもの。
「さして広くもないこの寺の庭ではあるが、芭蕉が、いまそれだけで庭一杯
になるほどまでに葉を広げ、みごとな眺めを見せていることだ」
芭蕉葉や風も地熱をかつさらふ 季 己
みごとに広げた芭蕉の葉を、「庭一杯の」と把握したところが眼目である。即興的な調子が感じられる。取り立てて言うほどの作ではないが、やや弾んだ気持は出ている。
『蕉翁句集』に、元禄五年として収める。
季語は「芭蕉」で秋。中国原産で、バショウ科の多年草。高さ五メートルにも及び、葉鞘は互いに抱いて直立。葉は鮮緑色の楕円形で、長さは二メートルほど。長柄を持ち、支脈に沿って裂けやすい。秋に巨大な花穂を出し、帯黄色の単性花を段階状に輪生する。
松尾芭蕉が、「その性 風雨に傷みやすきを愛す」といって、自らを芭蕉と号したことは、よく知られている。その松尾芭蕉が、「芭蕉」を即興風にとらえたもの。
「さして広くもないこの寺の庭ではあるが、芭蕉が、いまそれだけで庭一杯
になるほどまでに葉を広げ、みごとな眺めを見せていることだ」
芭蕉葉や風も地熱をかつさらふ 季 己