壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

茶の花

2008年11月16日 21時58分28秒 | Weblog
 ぽかぽかと暖かい冬の日差しが、座敷の畳の上まで長く伸び始めてきた。
 自然公園の生垣に、ちらりほらりと茶の花の咲いているのが眼につく。

        茶の花の咲くまで忘れられし径     笹 舟

 純白で半開き、ふくよかな五弁の小さい花。花を見るというには、あまりにも慎ましい茶の花だが、その趣きの風雅さにいたっては、同じ仲間の椿や山茶花に優るとも劣らぬものがある。

        茶の花や働くこゑのちらばりし     林 火

 檜葉・かなめもち・枳殻・槙・満天星(どうだん)と、生垣にする木も数々あるが、茶の木を生垣に仕立てた人のゆかしさが、改めて心を打つ。
 暮れやすい冬の夕べを、美術館巡りから急ぐ家路に、ほのかに白く浮かぶ茶の花とそのさわやかな香りも、また懐かしいものである。

        茶の花のわづかに黄なる夕べかな     蕪 村

 霜解けの畑や、冬枯れの田の畦道を、現役のころはよく歩いたものだった。ここばかりは、濃い緑に区切った茶の生垣に、白く咲いた花の、黄色い雄蕊が眼に沁みる。

        京を出て茶の花日和極まりし     正一郎

 まして日差しの暖かな茶畑に、丸く刈り込まれた茶の木が、一面に花を咲かせて、冬籠りを急ぐ蜜蜂が、くすぐったい羽音を立てて群がっているさまは、冬というには余りにものどかな楽しい風景である。
 「京を出て」の句は、茶の名所・宇治のこの頃を詠んだものであろうか。

        茶の花に喜撰が歌はなかりけり     几 菫
 
 この句は、六歌仙の一人、喜撰法師の、

        我が庵は 都の辰巳 しかぞ棲む
          世を宇治山と 人はいふなり

 を踏まえたもの。煎茶の銘に「喜撰」というのがあるのは、この歌からであろうし、嘉永六年(1853)六月、ペリー提督浦賀来航に際して流行したという、

        泰平の眠りを覚ます蒸気船(上喜撰)
          たつた四杯(四隻)で夜も眠れず

 という狂歌も、元をたどれば喜撰法師の古歌に由来している。

 また、茶の花が下を向いて咲く冬は、雪が深いという。茶の花はまことに、あわれに、いとしい花である。
 “お茶の花”という言い方も、たんに五音にして句調を整えるためだけではない。俳句は、この花の“いのち”を、しかとつかんでいるのである。少なくとも、茶の花だけは、俳句でなければ詠めない花であると思う。


      流れゐる壺中日月お茶の花     季 己