壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

今朝の秋

2011年08月08日 00時03分43秒 | Weblog
        硝子の魚おどろきぬ今朝の秋     蕪 村

 「硝子の魚」は、「びいどろのうお」と読む。
 「おどろきぬ」でおわかりのように、古歌の、
        秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
          風の音にぞ おどろかれぬる
 を踏んでいる。
 「今朝の秋」は、立秋の朝をいう。「立秋」は、おおむね八月八日。七日に当たる年もある。――暑極まって涼気きざす――という時候なので、気温はまだ絶頂にある。しかし、身のほとりにはすでに「秋立つ」を感じさせるものが、ひたひたと寄せて来ているのである。

 「おどろきぬ」は、古歌からの思いつきに相違ないが、内容まで「風におどろく」などと、狭く限定してかかる必要はない。天象・気候の微妙な変化を意識した実感を、「硝子の魚」を借りて、誇張しつつ具体化したのである。この具体化がポイント。

 季語は「今朝の秋」で秋。

    「立秋の朝、暦の上だけでなく、さすがに大気までどこか涼しい感じが
     するようである。魚を飼ってきた硝子の器も、その中の水の色も、急
     に冴えわたってきて、魚だけがいささか勝手が違ったのに、大きな目
     をして驚いているように見える」


      榛の木にみどり落ちつき秋立ちぬ     季 己