硝子の魚おどろきぬ今朝の秋 蕪 村
「硝子の魚」は、「びいどろのうお」と読む。
「おどろきぬ」でおわかりのように、古歌の、
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる
を踏んでいる。
「今朝の秋」は、立秋の朝をいう。「立秋」は、おおむね八月八日。七日に当たる年もある。――暑極まって涼気きざす――という時候なので、気温はまだ絶頂にある。しかし、身のほとりにはすでに「秋立つ」を感じさせるものが、ひたひたと寄せて来ているのである。
「おどろきぬ」は、古歌からの思いつきに相違ないが、内容まで「風におどろく」などと、狭く限定してかかる必要はない。天象・気候の微妙な変化を意識した実感を、「硝子の魚」を借りて、誇張しつつ具体化したのである。この具体化がポイント。
季語は「今朝の秋」で秋。
「立秋の朝、暦の上だけでなく、さすがに大気までどこか涼しい感じが
するようである。魚を飼ってきた硝子の器も、その中の水の色も、急
に冴えわたってきて、魚だけがいささか勝手が違ったのに、大きな目
をして驚いているように見える」
榛の木にみどり落ちつき秋立ちぬ 季 己
「硝子の魚」は、「びいどろのうお」と読む。
「おどろきぬ」でおわかりのように、古歌の、
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる
を踏んでいる。
「今朝の秋」は、立秋の朝をいう。「立秋」は、おおむね八月八日。七日に当たる年もある。――暑極まって涼気きざす――という時候なので、気温はまだ絶頂にある。しかし、身のほとりにはすでに「秋立つ」を感じさせるものが、ひたひたと寄せて来ているのである。
「おどろきぬ」は、古歌からの思いつきに相違ないが、内容まで「風におどろく」などと、狭く限定してかかる必要はない。天象・気候の微妙な変化を意識した実感を、「硝子の魚」を借りて、誇張しつつ具体化したのである。この具体化がポイント。
季語は「今朝の秋」で秋。
「立秋の朝、暦の上だけでなく、さすがに大気までどこか涼しい感じが
するようである。魚を飼ってきた硝子の器も、その中の水の色も、急
に冴えわたってきて、魚だけがいささか勝手が違ったのに、大きな目
をして驚いているように見える」
榛の木にみどり落ちつき秋立ちぬ 季 己