東山眺望
蒲団着て寝たる姿や東山 嵐 雪
嵐雪の代表句の一つ。季語は「蒲団」で、もちろん冬である。
この句、いつごろ詠まれたものか調べてみた。『枕屏風』(芳山編、元禄九年刊)に初出であるが、嵐雪の動静に照らして元禄七年(1694)、四十一歳の作と考えられる。
すなわち嵐雪は、芭蕉死去の報を受けて、その年の十月二十五日、桃隣とともに急ぎ江戸を出発、十一月七日の夕刻に膳所(ぜぜ)の義仲寺へたどり着き、亡き師の墓前にぬかづいた。
その直後、京へ入ったと思われるから、この「蒲団着て」の句を詠んだ時期の嵐雪の心情は、ほぼ推察できるであろう。
句意はいたって簡単、「東山のなだらかな形は、人が蒲団を着て寝ている姿にそっくりであるよ」ほどの意であろう。
京にいて東山を望めば、その山の向こうは、芭蕉の眠る湖南の地である。そんな思いも、作者の念頭に浮かんだに違いない。
『註解玄峰集』には、「深き意はなくも、都の悠々としたる所、見るべし。ほかにも名高き山、風雅なる山、数々あれど、東山ならでは一句をなさず。深く味はふべし」とある。
寒 梅
梅一輪 一輪ほどの暖かさ 嵐 雪
この句は、人口に膾炙して有名で、これも代表句の一つである。
この句、嵐雪の生前には公表された形跡がなく、一周忌追善集に初見である。
それによると、「寒梅」の詞書があり、冬の句であることが知られる。
のちに、『玄峰集』などが春の部に入れており、一般にも春の句として理解されることが多いが、それは正しくない。
また句形も、「一輪づつの」と誤って伝えられ、「梅が一輪ずつ咲くにつれて暖かさが増す」と解されることが多い。これも訂正を要する。
「梅一輪」の後に空白を置いたが、これには理由がある。
語調は、「梅一輪一輪ほどの」と続けて読むのではなく、「梅一輪」でいったん切って読むべきである。
季語は「寒梅」で冬の句であるが、それが句の中にはっきり詠みこまれていないため、詞書を外すと、このような混乱がおこりやすいのである。
寒中の梅は、清楚で凛々としたさわやかさを感じさせるが、作者はわずか一輪の梅に、ほのかな暖かさを感じとったのである。
したがって、「梅が一輪咲いた。寒中ではあるが、わずかに梅一輪ほどの暖かさが感じられる」と解したい。
嵐雪の代表句といえば、この二句であろう。
枯萩にもののけ姫のゐて騒ぐ 季 己
蒲団着て寝たる姿や東山 嵐 雪
嵐雪の代表句の一つ。季語は「蒲団」で、もちろん冬である。
この句、いつごろ詠まれたものか調べてみた。『枕屏風』(芳山編、元禄九年刊)に初出であるが、嵐雪の動静に照らして元禄七年(1694)、四十一歳の作と考えられる。
すなわち嵐雪は、芭蕉死去の報を受けて、その年の十月二十五日、桃隣とともに急ぎ江戸を出発、十一月七日の夕刻に膳所(ぜぜ)の義仲寺へたどり着き、亡き師の墓前にぬかづいた。
その直後、京へ入ったと思われるから、この「蒲団着て」の句を詠んだ時期の嵐雪の心情は、ほぼ推察できるであろう。
句意はいたって簡単、「東山のなだらかな形は、人が蒲団を着て寝ている姿にそっくりであるよ」ほどの意であろう。
京にいて東山を望めば、その山の向こうは、芭蕉の眠る湖南の地である。そんな思いも、作者の念頭に浮かんだに違いない。
『註解玄峰集』には、「深き意はなくも、都の悠々としたる所、見るべし。ほかにも名高き山、風雅なる山、数々あれど、東山ならでは一句をなさず。深く味はふべし」とある。
寒 梅
梅一輪 一輪ほどの暖かさ 嵐 雪
この句は、人口に膾炙して有名で、これも代表句の一つである。
この句、嵐雪の生前には公表された形跡がなく、一周忌追善集に初見である。
それによると、「寒梅」の詞書があり、冬の句であることが知られる。
のちに、『玄峰集』などが春の部に入れており、一般にも春の句として理解されることが多いが、それは正しくない。
また句形も、「一輪づつの」と誤って伝えられ、「梅が一輪ずつ咲くにつれて暖かさが増す」と解されることが多い。これも訂正を要する。
「梅一輪」の後に空白を置いたが、これには理由がある。
語調は、「梅一輪一輪ほどの」と続けて読むのではなく、「梅一輪」でいったん切って読むべきである。
季語は「寒梅」で冬の句であるが、それが句の中にはっきり詠みこまれていないため、詞書を外すと、このような混乱がおこりやすいのである。
寒中の梅は、清楚で凛々としたさわやかさを感じさせるが、作者はわずか一輪の梅に、ほのかな暖かさを感じとったのである。
したがって、「梅が一輪咲いた。寒中ではあるが、わずかに梅一輪ほどの暖かさが感じられる」と解したい。
嵐雪の代表句といえば、この二句であろう。
枯萩にもののけ姫のゐて騒ぐ 季 己