壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

女性の悲しみ

2009年07月27日 20時07分09秒 | Weblog
        玉 階 怨     謝 朓

    夕 殿 下 珠 簾    夕殿珠簾(せきでんしゅれん)を下ろす
    流 蛍 飛 復 息    流蛍(りゅうけい)飛んでまた息(いこ)う
    長 夜 縫 羅 衣    長夜、羅衣(らい)を縫う
    思 君 此 何 極    君を思って此処に何ぞ極まらん

       宮殿に住む女性の悲しみ     謝 朓(しゃちょう)

    夕暮れの宮殿は、美しい真珠の簾を下ろして、ひっそりと静まりかえっている。
    簾の内では、蛍が時折すーっと光って流れるが、またいつしか消えてしまう。
    秋の夜長は、ひとり薄絹の着物を縫って過ごすばかり。
    でも、あなたを思う切なさは、どうしようもないのです。

 この詩は、失われた愛を思い、宮殿でひとり、ため息をつく女性をうたったものである。
 女が男を思って作った詩、いわゆる「閨怨(けいえん)」の詩であるが、中でも宮中の女性をうたったものなので、「宮詞(きゅうし)」といわれる。
 女性の悲しむ姿を「美しい」と感じたことは、やはり、新しい美の発見であった。

 第一句の、宮中の夕暮れはいかにもひっそりとしている。
 宮殿にかかる簾が並みのものでなく、きらきら光る豪華なものであるだけに、異様な静けさが胸に迫ってくる。夕日が赤々と真珠の簾を照らしている、ともとれる。
 宮女はひとり、簾の内で憂いに沈んでいる。やがて、あたりは薄墨を流したような闇に覆われる。

 第二句の蛍が、流れる光となって見えるのは、室内に明かりが灯されていないからである。
 暗い部屋の中で、明かりもつけずに、放心したようになっている宮女の姿が想像される。飛んだかと思うと、力なく何かにとまる蛍は、秋口までようやく生き残ったあわれな蛍である。これには、愛を失って傷心の日々をおくる宮女が象徴されている。

 以上の二句だけで、十分悲しい雰囲気が出ているが、第三句はそれに追い討ちをかける。
 本来ならば、お呼びがかかるのだろうが、秋の夜長を縫い物で過ごす。秋の夜長を眠られもせず、しょうことなしに薄絹の衣を縫う。おそらく涙で、針を持つ手は進まないことであろう。

 宮女が愛を捧げる対象は、宮中であるからにはもちろん天子である。しかし、当時、こういった詩のテーマは、すでに特殊なものではなくなっていたから、第四句の「君」に、ことさら天子を思い浮かべる必要はなかろう。
 唐の李白は、六朝(りくちょう)の詩を評価しなかったが、謝朓にだけは一目置いたという。


      あきらめの起伏にゆらり飛ぶ蛍     季 己