壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ほろほろ

2009年04月26日 23時03分42秒 | Weblog
        ほろほろと山吹散るか滝の音     芭 蕉

   「滝の滾(たぎ)ち流れる音が、ごうごうとひびいている。その音の中で、
   静かに山吹の花を見ていると、こぼれるように、ほろほろとその花が散って
   いるよ」

 実景に感じ入って初めて捉え得る、内容の重さがある句である。句全体が滝の音の中にこもっているようだ。その中で、眼前の山吹に目をやっていると、それがほろほろとこぼれつづくのである。
 この滝の音は遠くてはだめで、滝の音があたりを占めていて初めて、「山吹散るか」が生きてくる。
 「ほろほろと」も「散るか」も非常に微に入って、物静かで奥深い感じを出している。「ほろほろと山吹散るか」と「滝の音」との間に、深くくい入ってくる沈黙がある。

 この句には、「岸の山吹と詠みけむ吉野の川上こそみな山吹なれ。しかも一重に咲きこぼれてあはれに見え侍るぞ、桜にもをさをさ劣るまじきや」と前文がある。
 「岸の山吹と詠みけむ吉野の川上」というのは、『古今集』にある紀貫之の
        吉野川 岸の山吹 吹く風に
          底のかげさへ うつろひにけり
 を、心にしたものと思われる。
 「散るか」の「か」は、終助詞で、詠嘆の意を表す。と同時に、「誰かと思ったら、君か」の「か」のように、不意のことに出会った驚きをも表わしていよう。季語は「山吹」で春。

        かげろふやほろほろ落つる岸の砂     土 芳

 土芳(とほう)は、芭蕉の門人というより、伊賀蕉門の中心人物である。
 伊賀上野は、盆地だけに冬の冷えが厳しい。しかし、確実に春はやって来る。
 明るい光に、凍てついた土がゆるみ、水がしみ、かげろうがもえ、砂は乾いて、ほろりまたほろりとこぼれる。
 かすかな動きがある。それから物皆いっせいに動き、新芽が萌え出す。ほんのかすかな動きが早春を象徴する。
 師の芭蕉の、「ほろほろと山吹散るか滝の音」に似ていて、これはまた明るくやさしい。季語は「かげろふ」で春。


      山あかりして山吹のものおもひ     季 己