壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

いのちながし

2009年09月21日 21時05分27秒 | Weblog
 きょうは敬老の日といっても、まだピンとこない。脳の中はまだ、敬老の日は九月十五日のままで、リセットされていない。
 敬老の日と言われて、すぐ思い起こす漢字に「寿」がある。「寿」は、〈ことぶき〉と訓読みをする。「いのちながし」という意味で、めでたい、祝いのことばであり、「寿福」(長生きでしあわせ)や「寿楽」(長生きして楽しむ)などの熟語も多い。

 日本画家の横山大観は、七十歳で『海・山十題』の大作を描きあげて、“七十代の青春”と感歎された。大観は、中国古代の哲学者老子が遺した「死して亡びざるを寿という」句を好んだというが、まさに、大観が亡くなっても後に残る名作を生んだ。
 道元禅師の「正法の寿命不断あるなり」の教えも好きだ。真理は文字通り、途中で断絶することなく伝えられていく。
 真理を学ぶのは、一生の大事である。だから、江戸後期の儒学者佐藤一斎は、
        「少にして学べば、壮にして為(な)す有り
         壮にして学べば、老いを衰(おとろ)へず
         老いて学べば、死して朽(く)ちず」(『言志晩録』)
 と言い切る。
 右脳を使っている人は、長生きをしているので、第三句を「老いて学べば、いのちながし」と言い換えてもいいのではなかろうか。

 敬老の日の今日、八十八歳の母を連れて、父の墓参りに行ってきた。
 父は三十三歳で亡くなり、菩提寺は「クレヨンしんちゃん」の町、春日部にある。春日部は変人にとって、いずれ自分が眠る町であり、日本画家の菅田友子先生の住まわれる町でもある。
 墓参りをし、「馬車道」で昼食をとったが、渋滞のため、往復で四時間半もかかってしまった。

 『花岡哲象 日本画展』を観るために、帰宅後すぐに銀座の『画廊 宮坂』へと急ぐ。
 着く早々、宮坂さんから「あべNEWS」を手渡された。一関の阿部さんが、2時過ぎまで待っていてくださったとのこと。阿部さん、ゴメンナサイ!
 心を無にして、一点一点じっくりと鑑賞させていただく。
 花岡先生の作品には、いくら汲んでも汲み尽くせない滋味がある。静けさがある。世の中の狂いを正すような、実に、清く澄んだ静けさが……。
 黄山を描いた「雨過顕青」が、特に素晴らしい。この世のものとは思えない。これが“あの世”というものであるなら、すぐにでも行きたい。
 「黄山春夜」もいい。拝見しているうちに、わが俳句の師、岸田稚魚先生の辞世の句ともいうべき、つぎの句を思い出し、胸が熱くなった。

        死ねることの幸ひ銀河流れをり     稚 魚

 また、花岡先生から、今の変人が最も欲しい情報をいただた。心より感謝申し上げたい。
 明日もお邪魔し、どっぷりと作品につかるつもりでいる。
 『花岡哲象 日本画展』は、東京・銀座『画廊 宮坂』で9月26日(土)まで。詳しくは、『画廊 宮坂』のホームページでどうぞ。


      敬老といふ日の未来図を描かむ     季 己