◎山梨県◎
天正10年(1582年) 徳川・織田の連合軍による猛攻に耐えきれず逃避行を続けた武田勝頼ら一行でしたが天目山田野で自害、武門の名家であった武田家はついに滅亡した。
徳川家康が勝頼らを供養するために建てたのが田野寺です。後に勝頼の戒名である「景徳院」が寺の名前となりました。
武田勝頼、北条夫人、武田信勝を葬ったとされる没頭地蔵
勝頼主従の墓
位牌が祀られてある甲将殿
勝頼、北条夫人、信勝の辞世の句があります
何度か火事のために主要な建物を焼失しているが山門は焼失を免れ県指定の文化財となっています。
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