犬山の寂光院に石仏を撮りに行ってきた。
寂光院の紅葉はこれが最後になるのではないか?
寂光院の頂上には、いつの時代に作られたか定かではない石仏がある。
こんないいお顔をした仏さんに出会ったので、心が洗われる思いをした。
実際に電車の中や歩いているときに、いい顔した方にお会いする時がある。
そんなときには仏さんに出会ったような気持ちになる。
きっと穏やかな生活が営まれているように想像する。
自分もいつも反省するのだが、むしゃくしゃする時がよくある、
そういう時は腹の虫の居所が悪いのか我慢できずに「怒って」しまう。
「怒る」ことは良くないと思いながら、どうしようもなく「怒鳴り散らして」いる自分にあきれてしまう。
相手に「怒り」をぶっつければ、ますます反感を持ち自分から離れて行くようだ。
どうも自分の考えに「固執」しているときや「腹の虫の居所が悪い時」によく「怒る」。
本当はこういう仏様のようにいつも笑顔で過ごしたいのだが、どうにもならない時がある。
そういう時はどうも「視野」が狭くなっているように感ずる。
いつも仏さんのように穏やかな顔でいたいのだが、自分の了見が狭いのかそうは行かない。
いつか自分も、仏さんのようないいお顔になれるのだろうか?
今日、寂光院で出会った石仏さんからそんなことを教わった。