人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

友人の喪中ハガキ

2021年12月04日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

いよいよ令和3年も12月となった。

私の年代になると、喪中ハガギが届く時期である。地元に居る同級生や友人知人は、何となく分かるが、大学時代の同級生はお悔やみが分かりずらい。

今年も16枚もの喪中ハガキをいただいている。親や義理の親の場合がほとんどだか、本人が無くなって奥様から頂くものもある。

先日、大学の同級生で、京都府福知山市に住む友人が8月に亡くなったと、奥様から喪中ハガキをいただいた。脳梗塞を患い病状が悪いのは知っていた。携帯電話に出る事も難しい状態だと聞いていたので、最近は疎遠になっていた。

最後に会ったのは、私がガンの関係で、ペットCTを受診するために福知山市にある病院を受診した際、久しぶりに会いたいと思い、前日に電話を入れたところ、奥様が出られて、「明日は免許の更新に市民会館に連れて行きます。oo時ごろでしたら、終わりますので駐車場で。本人も会いたがっています」との返事であった。

そして、当日の約束した時間に駐車場に着くと、奥様が手招きをしてくれて、久しぶりに再会した。ここまでは良かったのだが、本人は車から降りる事も出来ないくらいに衰弱していた。人相もすっかり変わってしまい、まるで別人の様である。気丈に笑顔は見せるものの辛そうな様子が、直ぐに理解できた。

食事でもと思っていたが、それどころでは無い。10分ほど会話して握手をしたが、握る力も弱弱しくて、気苦労を掛けたと反省した。

こんな状態なので、免許の更新は無理だったのだろうが、尋ねる勇気を持ち合わせていなかった。奥様の運転する車の後部座席で手を振るのを確認し、私も手を振って頭を下げ見送った。

これが彼との最後の面会で、最後の会話となった。その後は、電話さえ掛けられずにいたが、ご冥福をお祈りします。

今年は、私の住居地の区内(120世帯)でも、4人の方が無くなった。20日ほど前にも妻の友人のご主人が肺がんで亡くなった。家が近所と言う事もあり、よく行き来していた。昨年の大みそかには、帰り道に寄って残り物だが、お節料理を届けると、本当に満面の笑顔で喜ばれ、「上がって一緒に一杯どうですか?」と誘われたが、遠慮させてもらった。こんな事なら一杯呼ばれればよかったと葬儀の場面で、奥様に話すと一気に涙目へと変わっていった。

以前から入退院を繰り返していたことは知っていたが、今度の入院では余命を宣告されていたと聞いた。何と私がヘルニアで入院していた時期に、同じ病院の階違いではあるが、入院していたことになる。コロナの関係から、病室への移動は禁止されていて、会う事すら許されなかった。こちらもご冥福をお祈りします。

皆さん寒くなってきましたので、風邪など引かないように、お大事に

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