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しょく日記。

三河地方をこよなく愛するしょくが、ささいな出来事から温泉レポ、旅日記、親バカ奮闘記などをつづった日記です。

名古屋おもてなし武将隊 その2

2010年11月18日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

この地方で話題の名古屋おもてなし武将隊の続きです。

この場面は演武途中のシーンです。

 

 

犬千代様かっこいい。

真剣に踊る姿、男から見てもかっこよかった。

 

子供達も釘付けです。

 

 

 

 

 

槍使い、いいですね。

演武も曲が洋風なので、和洋折衷て感じでしょうか

彼らのトークがまた面白くていいんです。

 

個人的意見ですが、

 もう少しちゃんとした舞台を作ってあげれないのかな?

名古屋城の入場料で作れないのかな?

一人500円もするのだから・・・。

 

ダメなら、市民の税金投入いしてもいいんじゃない?

舞台位なら、そんなにお金かからないだろうし。

 

まっ、僕名古屋人じゃないんで好き勝手言ってますけど・・・。

 

河村名古屋市長、なんとかしてあげれませんかね?

 

では。

 

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名古屋おもてなし武将隊 その1

2010年11月16日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

最近この地方で話題の、

『名古屋おもてなし武将隊』見てきました。

この日の演武時間は11時と14時。

しょく家は11時を見に行きました。 

 

すでにおもてなし武将隊を見たいという、若い女性たちを中心

見学者達がいっぱいです。

こんなにたくさんいるとは本当にびっくりしました。

 

こちらが今日の武将達。 

 

左から、尾張国愛知郡中村(現 愛知県名古屋市中村区)出身、(豊臣秀吉も同じです。)

名古屋城築城に尽力した加藤 清正。

 

中央に尾張国海東郡荒子村(現 愛知県名古屋市中川区)出身、

槍の又左(またざ)有名な加賀百万石の礎、前田 利家。

 

右に前田利家の義理の甥っ子、

天下御免の傾奇者、前田 慶次。

(前田利家も傾いていたみたいですよ。)

  

こちらが、前田 利家。

 

右が加藤 清正、左が紅一点お里ちゃんです。

かわいいというより、綺麗な方でした。

ちょっと武将、それも足軽にしておくにはって感じです。

 

 

加藤 清正、もう一枚です。

 

 

こちら、前田 慶次。なんか速水もこみちっぽいね。

顔が映っていませんが、後ろに足軽のもう一人、亀吉さんがいます。

 

名古屋おもてなし武将隊の詳しいことは、クリックしてね。 

 

まだまだ名古屋おもてなし武将隊の続きありますので、よろしくね。

では。

 

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名古屋城へ行ってきました。 その2

2010年11月15日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

前回の続きです。

 

名古屋城内でこんな格好、いきなり見ると変ですよね。

ヘルメットをかぶった集団、一体どこへ行くのかな

 

 

 

 

名古屋城本丸御殿 復興工事の現場です。

天守閣の下の開いている場所が本丸御殿があった場所です。

 

すげー迫力だ。

 

さらにこの奥にも出来るんですよ。

 

とにかく立派すぎて、ただただ驚くばかりです。

これでもまだ三分の一も出来ていません。

完成は平成30年頃の予定です。

先が長いや。

 

こちら名古屋城。 

内部写真は撮ってありません。撮影禁止だったかな

 

次回は、名古屋が誇る武将たちの共演。

名古屋おもてなし武将隊を紹介します。

では。

 

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名古屋城へ行ってきました。 その1

2010年11月14日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

先日約5年ぶりに名古屋城へ行ってきました。

まずは名古屋城と言ったら、築城に大いに貢献したこの方をご紹介。

加藤 清正

築城に長けており、名古屋城の天守台石垣は加藤清正が築いた。

 

加藤清正の銅像です。立派でしょ。

こちら、名古屋城の正門です。

人がたくさんいました。

 

このマーク分かります?

刻紋と言います。

 名古屋城の築城工事を分担した諸藩と家臣のしるしです。

苦労して運んだ石を他の大名家のものと間違え、

無用なトラブルが起きることのないようにつけたもののようです。  

 

行った時には、第63回名古屋城菊花大会が開催されてました。

 

名城菊の会による約500点の菊が展示されています。

余りにも綺麗だったので、一枚写真撮っちゃいました。 

 

手前が西南隅櫓(重要文化財)、奥が名古屋城天守閣です。

 

まだまだ名古屋城のお話が続きます。お付き合いください。 

では。

 

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墨俣一夜城

2010年10月20日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

歴史好きなしょくは、また歴史を勉強しにお城へ行ってしまった。

それも、ものすごく雨の降った土曜日の出来事です。


今回ご覧いただくのは、岐阜県大垣市にある墨俣城。



後の太閤殿下、豊臣秀吉が1日で築いた一夜城のお話が有名です。

 

こちら、豊臣秀吉さんの昔の名前、木下藤吉郎です。

顔がさるに似ていたため、当時仕えていた織田信長に「さる」と言われました。

その後、名前を羽柴秀吉、豊臣秀吉になりました。

羽柴秀吉の羽柴性は、当時織田信長の重臣である「丹長秀」と「田勝家」の

二人の名字を頂き、羽柴としました。


この墨俣城は、木下藤吉郎が大出世のきっかけを作るお城です。



しょく独自の解説で申し訳ありませんが、

当時としては画期的なプレハブ建築で、一夜のうちに城を建てた人物です。

っていっても、当時のお城は天守閣もなくいわば砦という感じのお城でした。



こちらが、当時の墨俣城。

木下藤吉郎は、中洲にあるこの地を利用して、城を立てました。

材木は川の上流である木曽谷より切り出し、筏を組んで川を使って運び

途中の中洲で材木を上げ、寸法を測って材木を加工、

加工品で筏を組み、川を使って闇夜のうちに墨俣の地に運びました。



その解説をして頂いたのがこちらのマシンです。

さすがにプレハブ住宅ならぬプレハブ城とは言ってませんが・・・。

分かりやすく言うため、しょく独自の言い回しなので、
真似しないようにお願いします。



それ以外の階も、こんな感じです。



とてもい綺麗ですし、いい資料館ですね。



こちらが天守閣。小いさかったんです。

今まで見てきたお城の中で、これはかなり小さい方に入りますね。
 



天守閣からの眺めです。

長良川が良く見えますね。





入館料も安く、
大人が200円、高校生以下は無料です。


ただ、駐車場が見当たらないのが難点かな。

この上の写真右側の堤防に車を止めるのがBestでしょう。


では。

 

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松本城の旅 その2

2010年09月30日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

松本城を出たしょくは、一路売店へ向かいます。



何かひと気を感じたしょくは、お城を上に眺めてみました。



ややっ、あれはなんじゃ。









 

 

うわー、人がいるじゃん。










 

もう少し離れて見るとこんな感じです。

結構上の方にいますよね。この方。









かなり遠くから撮影。それでも人が確認できますね。

ところで例のうす黒い丸。

やっとここで気づきました。(遅っ


売店見たけど、これと言っていいものもなく。

戦国武将的な物がないかなって期待してたんですけど・・・。

特に深志城(現松本城)城代を務めていた、馬場 信房(ばば のぶはる)の

グッツなんてないかなって思ったけど、余りにもマニアックすぎました。



その後、お城の裏だと思っていた部分から出てきました。

その後パンフレット見たら、黒門と言い、こちらが正門だったみたい。

この写真は、トリミングしてありますんで、黒い丸はありませんよ。

でも、良く見たらばれちゃうかな。



では。

 

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松本城の旅 その1

2010年09月28日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

急にどこかへ出かけたくなったしょくは、

嫁さんと金曜日の夜検討し、一路松本城へ。

完全なる無計画です。 Naoさんすみません。

 

前回来てから、10年以上経っているようです。

久々に来たので、以前の事を余り覚えていませんが、

やっぱ国宝だけあって綺麗ですね。



 

例の丸い影、もうこの時あったんですね。

ここはまだ気づいていない時です。



 
ちょっとお城が修理中の部分がありましたが、これも致し方ありません。






この柱、立派ですね。

かんなで削るのではなく、なんという道具か忘れましたが、

それで一生懸命、木をめくるって感じでしょうか。



基本的にこのお城は窓がありません。

とても中が暗いです。




下の子、隠れているわけではありません。

なぜなら・・・。




高いところが怖いんです。

ママにかなり甘えていますね。





と、いいながらも、出口近くだとかなり安心して下りてました。




ここで女性の方に親切な情報です。

松本城には、かなり角度がきつい(60度位だったかな階段がありまして、


スカートで行くのはおやめ下さい。


間違いなく、パンツ見られます。


見られたい方は、ご自由にどうぞ

今回来ている方は皆さん分かっているようで、ジーパンやズボン姿でした。

まだまだ松本城ネタ続きます。

では。

 

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ここは一体どこでしょう。

2010年09月26日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

見る人が見れば、簡単ですね。

だいたい写真撮るとしたら、この辺りですから。


 

Naoさんなら簡単だよね。行ってしまった。

この日の旅を、数回にわたってお届けします。 


ただ、この旅でショックなことが発覚しました。

またデジカメが・・・。



ヒントはこの写真。

この時はまだ気づいていないしょくでした。

では。

 

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郡上八幡城

2010年08月28日 | 歴史

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こんばんわ。最近blogに力が入れれてないしょくです。

すみません。なんかすぐ時間が過ぎちゃうんで。


今回紹介するのは、岐阜県郡上市にある郡上八幡城です。



山城故、車で登ったのですが、車でも大変でした。

道は途中から一方通行でしたけど、それを知らなかったしょくは

どきどきしながら運転でした。


駐車場から見上げた郡上八幡城。 





駐車場から歩いて、郡上八幡城内に入ると、それはいい眺めです。 




では、郡上八幡城に攻め込みます。 






びっくりしたのは、木造造りでした。

びっくりしちゃーいかんのかな?



残念ですが、多くのお城は鉄筋コンクリート造りですので、

やっぱお城はこうじゃなくっちゃ。





城内から見る城下町。

あいにくの天気でしたが、お城の下から見るよりは、やっぱ良く見えていいなぁ。






天守閣の天井を見てみました。




最近わかったのですが、下の子は高いところが苦手なようで・・・。




上がる方は平気でしたが、降りるのはビビりです。





最近お約束のこれ。

郡上八幡城はこれでした。

山内一豊の妻、千代は諸説ありますが、

美濃の国、郡上八幡城主遠藤氏の娘と言う説が有力のようです。

なので、この絵なのだ。

では。

 

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久能山へ行ってきました。 その3

2010年08月19日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

前回の続きです。久能山東照宮の拝殿をお見せします。

拝殿に行く手前の朱塗りの東門をくぐると、拝殿に入ります。




これが拝殿です。



見に行った時、とても綺麗に見えましたが、それには理由があります。

平成9年より『平成の大修理』が行われたそうです。


日光東照宮も同じく行われ、久能山東照宮は平成16年まで7年かかりました。 

日光の方は何年かかったか知りません。
Naoさん教えてください。



今回の大修理で、106枚あるすべての彫刻の腐った部分を取り替え、

漆塗りを施しています。

彫刻部分はもう少し下の写真で教えますね。

拝殿より下を見てみるとこんな感じ。

 



拝殿の正面からの写真。装飾が派手ですね。





こちらは拝殿左横です。





さらに奥へ進みます。

そうそう、ここに少し前で書いた彫刻があります。



塀の下の方、アクリル板で保護してある部分、ここに彫刻が施されていたようです。

この時は建物の方に目が行き、良く見ていなかったんですよ。




奥へ進み、ここを左へ曲がると・・・。





上の部分が、徳川家康さんのお墓です。

正式名は神廟しんびょうと読みます。)

高さ5.5m、外回り8mの石造りである。


さらに片隅には、徳川家康愛馬のお墓まで。



もう1回、久能山東照宮のネタ、行かせてください。

では。

 

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久能山へ行ってきました。 その2

2010年08月17日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

あいにくこの日は曇りときどき雨でした。
 

駿河湾も遠くまで見れません。



久能山の解説です。ここ読んでください。




こちらが久能山東照宮。 

 

階段の段が高いので上がりにくいのですが、

これは敵が容易に上がれないよう工夫されているのです。







さらに上があるようです。









ここの上が今回の目的地である東照宮の拝殿です。

詳細は後日。

連絡  日光へ行ったNaoさん、次回質問しますんでよろしくお願い致します。

では。

 

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平城京遷都1300年祭 その7 細かいところまで財を尽くしている?

2010年07月15日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

平城京を大極殿の復元には、

至る所で細かい所まで復元しているんだなと感じます。

大極殿そのものもそうなんですけど、それ以外でも感じます。

その一つがこちら。大極殿を取り巻く塀です。



上は拡大写真ですが、全体写真はこんな感じ。
 

この塀、大極殿の周りをぐるっと一周しているんですけど・・・。

距離にすると1キロ位行くんじゃないかな

で、この足の部分見てください。

 

1個1個に四角に切った石が置いてあります。

これにはしょくもびっくり。

コンクリートとかで作ってしまいそうですけど、

妥協していませんね。



 

こちらは、いつから復元してあるんでしょう?宮内庁です。

塀が土壁って時には、やるなと思いましたが・・・。




草、ボーボーです。

こりゃひどい。

こっちにはお金かけてもらえなかったんですね。残念。

では。

 

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平城京遷都1300年祭 その6 大極殿

2010年07月13日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

さっそうですが、大極殿の詳細を紹介します。

大極殿と書きましたが、正式には、第一次大極殿。

第二次大極殿もありました。

今回復元されたのは第一次大極殿でして、平城京最大の建物です。

正面約44m、側面約20m、地上よりの高さ約27m。

直径70cmの朱塗りの柱44本、屋根瓦約9万7000枚使用しています。

巨額な費用がつぎ込まれていると思いますが、

さらにびっくりなのが、入場料無料。

ありがたや。



こちら、高御座(たかみくら)といいまして、

即位の礼外国使節の謁見、その他国家的儀式が行わる時に

天皇陛下が座る場所である。



立派すぎます。感動しました。



こちらは、以前唐招提寺を紹介した時にも出てきました、

鴟尾(しび)です。
屋根に上る装飾品ですが、建物のシンボルゆえ豪華ですね。



唐招提寺 その1

唐招提寺 その2

唐招提寺の御朱印



実物は後で確認してください。






大極殿の前に並べてあるのはハスの花だったかと思います。





高御座の側面です。これはどこから見ても美しい。




そうそう、天井の絵柄も手を抜いていません。

素晴らしいの一言です。

 



ちょっとピンぼけしてしまいました。
 

 

そういえば、天井等は朱塗りだけど、僕か思っているような明るい朱色じゃないね。

これは再現通りなのかな?




このような絵柄がたくさん入っています。

しっかり紹介できないのが、残念で仕方ありません。



手すりも手を抜いておりません。







大極殿を側面から見た感じ。

一番上、真ん中の金色に光る屋根の装飾が、先ほど大極殿内で見た鴟尾です。





まだまだ、平城京遷都1300年祭の話は続きます。

お付き合いください。
では。

 

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平城京遷都1300年祭 その5 大極殿

2010年07月12日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

前回紹介したような食事をしたしょく家はみんな、おなかも膨れたことですし

平城宮のメイン建物、
大極殿に入ります。

過去にも外から見ていますので、その様子はこちらから。



下見で行ってきた平城京跡地




まずは外から見た大極殿。



やっぱ立派ですね。

賛否両論はあったようですが、復元されてよかったって感じます。



下の写真は、大極殿から真南約800m先にある平城京のシンボル門、朱雀門です。 



砂がしっかり撒いてあるところが、復元にふさわしいと感じました。 さすがです。



いよいよこれが内部の写真です。

どうです。見事でしょ。 

 



今度は大極殿から見た朱雀門です。

遠い1300年前がよみがえってきます。



詳細は次回。

では。

 

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平城京遷都1300年祭 その2

2010年07月08日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

昨日に引き続き、平城京遷都1300年祭の続きです。

次に向かったのは、平城京歴史館です。



地図で言うと、 『B』です。

ここには復元された遣唐使船が展示してあります。

まず気をつけないといけないのが、ここへ入るには整理券が必要です。

これがその整理券。



大雨だったことと、時間が12時だったことで、並ばず入れましたが、

13時過ぎの部では、雨の中、かなり並んでいました。




こちらが、復元された遣唐使船。全長約30m、マスト高15m。

平城京歴史館に入るには、大人500円、高校、大学生250円、小・中学生200円が必要です。



中に入ると、最初にテーマ展示があり、ここで最初の映像が見られます。

大陸との交流により発展した、我が国の国造りの歴史などがアニメで解説されています。

 

 

 

その後は平城京VRシアターによる映像へ案内されます。

ここでは平城京の壮大さが紹介されています。


映像みていると、まるで万博に来た感じです。

とってもいい映像でしたよ。


映像を見ていて、遠近感が取れなくて

気持ち悪くなるかもしれませんが、

耐えて下さい。

次回も続きを紹介します。


では。

 

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その次に遣唐使シアターといわれる映像があり、遣唐使の歴史や渡来の様子を

アニメで約8分間見ることが出来ます。ただし、立ち見です。


ここで、雨が降っていなかったら、遣唐使船に乗れるんでしょうけど・・・。



    

床が滑るんでしょうか?乗せてもらえませんでした。

心残りだ。 りベンジするぞ


写真は撮れたので、せめてそれだけでも・・・。