しょく日記。

三河地方をこよなく愛するしょくが、ささいな出来事から温泉レポ、旅日記、親バカ奮闘記などをつづった日記です。

福島県白河地方の名産品、頂きました。

2011年05月31日 | 旅行・ドライブ・道の駅

  日記@BlogRanking  

こんばんわ。しょくです。 

東日本大震災が起きて2ヶ月半が経ちました。

僕の友人もうちゃんは福島県白河市に住んでいて、

食べるものに不自由したのはもちろん、

地震が起きてから2週間都市ガスが来ず、お風呂入れなかったようです。

  

彼の家にある程度の備蓄はあったようで、お米はどうにかなってた。

聞いたらおかずないけど、ふりかけでしのいでいるって言ってたわ。

 

ほかに困っているものの一つにガソリンだったが、

それは危険物にあたるので送れなかった。

 

彼と話をして子供が喜ぶ物を主に、いろいろ送った。

(絵はイメージであり、実際の物は違います。

 

お返しはいいから、東海地震が来たら助けてねって言ったけど、

まさかこんなお返しが来るなんて。ありがたい。

これ、福島銘菓の三万石の「ままどおる」。ママの味です。

これ、最高においしいです。

会社でも話題になってたお菓子です。

 


愛知のお菓子で例えると、「なごやん」って感じですが、

味は「なごやん」より断然うまい。

 

ほかも紹介します。


白河市はだるまで有名な街。

 

 

もうちゃんいわく、白河ラーメンが喜多方ラーメンの元とも言ってました。

こちらも、すぐ食べてしまった。

 

 

以前白河に行ったとき買っただるまを探してみました。


あった、あった。10年ぶり まだ、願い事お願いしてません。

 

 

ほかにも白河そば。



こちらは調理写真はありませんが、食べちゃいました。

 

もうちゃん、ありがとう。

また救援物資送るわ。

今度はスガキヤラーメンね。 

では。

 

 

 

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道の駅 「瀬戸しなの」に行ってみた。

2011年05月29日 | 旅行・ドライブ・道の駅

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お久しぶりです、こんばんわ。しょくです。 

試験も終わり、自己採点では合格しておりそうです。

心配していた一番難しい計算問題が出なかったのはラッキーでした。

(過去の問題集には必ず出ていた。

 計算は好きだし、解けるように勉強はしたけど、いざ本番になると・・・ね。)

これで気兼ねなく遊ぶことができます。

 

ところでこの土日、台風の影響で雨、雨、雨

気圧が低いと腰が痛くなる しょくは特にやる気も起きず、

出かける気もなかったんですけど、嫁さんが行ってみたいというので

行ってきたところがここ。

道の駅「瀬戸しなの」

最近できた道の駅です。


 

道の駅内はこんな感じです。 

最近の道の駅はこのパターンが本当に多いね。

だいたい主に野菜を安く売ってます。 

 

 今回の目的は瀬戸めしだったんです。 

値段はお値打ちでしょう。

 

これ、土曜日の14時前の風景です。

人が多すぎて、残念ですが今回はあきらめました。

ぱっと見、出で来ず待ってる人が多かったしね。

子供がお腹空き過ぎてましたんで。

自分の事言えないけど、なんで14時でこんなにいっぱい人がいるんだろう

 

で、お店に売っていたお弁当やおにぎりを買って、隣にある建物をちらっと見学。

品野陶磁器センター。

瀬戸物がいっぱい売ってましたが、お腹が減っている都合でしっかり見れませんでした。

残念だ。

 

来月の道の駅情報です。参考まで。 


またリベンジましす。 

では。

 

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川越火力発電所 & 川越電力館テラ46 その3

2011年05月24日 | 旅行・ドライブ・道の駅

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お久しぶりです、こんばんわ。しょくです。 

もうすぐ試験がありますので、こんなペースですみません。

Xデーまであと二日だ。やばっ

今回は自信がないです。

試験が終わってから、ぼちぼち始めますね。 

 

実はまだ続きがありまして。

次から切がいいところから始めたかったので、書いちゃいました。

 

今回も川越火力発電所探検ツアーから。

こちら、某原子力発電所でも聞く、タービン建屋。

これは火力発電所ですけどね。

火力で蒸気を作り、その蒸気を利用して発電機を回します。

 

実際、見学通路からタービン建屋内に入れてもらえました。

とっても広い割に、がら~んとしています。

若干温度が高い感じもしました。

音もちょっとうるさかったけど、消音設備が整っていて、

見学通路に戻ると静かそのものでした。

 

そして外にはこんなものが。 

 

伊勢湾ジオラマです。 

向かって右側が南側。太平洋側です。上が静岡県側です

道は高速道路や国道ですね。

愛知、岐阜、三重が表してあります。

雨だったので、遊びにくかったけど、晴れていたら遊ばせてやりたかった。

以上で、川越火力発電所の紹介を終わります。

では。

 

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川越火力発電所 & 川越電力館テラ46 その2

2011年05月17日 | 旅行・ドライブ・道の駅

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こんばんわ。しょくです。 

今回は川越火力発電所の探検ツアーの様子をご紹介します。

 

最初に案内された場所がこちら。

中央制御室。云わば、頭脳部分にあたります。

こちらは1・2号系中央制御室。

 

 こちらが3・4号系中央制御室。



机と机の間がかなり空いてますし、かなり広いですね。 

 なんと最低3人いれば、管理できるそうです。

 

こんな感じで見学してます。

案内のお姉さんの解説付きです。

 

 

川越火力発電所は、日本でも大規模な発電所でして、

特に3・4号機に関しては、世界でも最大級の火力発電システムです。

コンバインドサイクル発電という発電方法を採用してます。

これ、まだ能力の半分程度の発電量です。

参考までに、MAX 170.1万キロワットまで発電できます。

 

そして次に見せて頂いたのが、燃料タンク。

ここではLNG(液化天然ガス)を使用しています。


あのタンク、120,000㎘ほど入るのですが、空になるのは1週間だそうです。

この発電所、三重県民の使用電力の1.5倍ほど発電する能力があるそうですが、

その分、使用する燃料の量は半端じゃないですね。

 

さらに、今建設中のタンク。もう少し規模を大きくするようですね。

 

この発電所のジオラマです。

これでなんとなく規模の雰囲気が掴めたんじゃないでしょうか? 

まだまだ続きがありますは、今宵はここまで。 

では。

 

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川越火力発電所 & 川越電力館テラ46 その1

2011年05月15日 | 旅行・ドライブ・道の駅

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こんばんわ。しょくです。 

試験日が近付いてきたのに、満足に勉強できていないしょくです。

今日社長からスキルアップの話が・・・。がんばらなくては。

 

ちょっと遅くなりましたが、GWに唯一家族そろってお出かけした場所をご紹介。

三重県三重郡川越町にある

川越火力発電所 と 川越電力館テラ46

 

最初は川越電力館テラ46に入ります。

入口はこんな感じです。

地球をイメージしてるのは、テラ46に秘密があります。

テラとはラテン語で地球を意味します。

46は地球が出来て46億年たつのですが、その46を持ってきています。

 

最初に火力発電所の見学ツアーに申し込みました。

こちら、ツアーを案内してくれるお姉さん。

可愛いく、面白い方でした。

 

 

ツアーの様子は次回。

では。

 

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全国各発電所の番付表入手!!

2011年05月10日 | 事件

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こんばんわ。しょくです。 

僕も関係ある、中部電力管内にある浜岡原子力発電所。

福島の例もあり、地震での津波対策が出来るまで発電運転を中止するよう

政府に言われ、それに応える格好になりました。

これで、放射能汚染の心配はしばらくありませんが、

対策が完了したら、また再開なんでしょうね。 

 

ところで中部電力(略して中電)って昔から火力発電の依存度が高く、

二酸化炭素排出量が多い電力会社というレッテルが張られてましたが、

今回の地震の影響で、原子力発電にあまり依存していない会社という

高感度を持った方もいるのではないでしょうか?

 

ここで中部電力管内の発電所番付表をご覧ください。

資料は今後紹介する川越火力発電所に行った際に

デジカメに収めてきた番付表です。

発電能力は以下の通り。

横綱:400万kW以上   大関:300万kW以上

関脇:150万kW以上   小結:100万kW以上

前頭:100万kW未満

 

火力発電所。
 
高能力の横綱、大関、関脇、小結に集中していますね。

原子力発電所
 
中部電力管内には1ヶ所しかありません。
 原子力発電を超える横綱の火力発電所があるのがすごい。

水力発電所。
 
数は多いけど、発電能力は皆小さいんですね。
 
唯一関脇に君臨する奥美濃発電所って大きいんだろうなぁ。
 
ちょっと行ってみたくなりました。 

 

 

で、今話題の原子力発電所、全国番付表。 

新潟の柏崎刈羽発電所って大きいんですね。

原子力発電で、唯一横綱でした。

ところで日本原子力発電ってなんだ

 

こちらは全国火力発電所番付表。

横綱の火力発電所って5ヶ所もあるんだな。

うち2か所は中電だし。 

 

意外だったのは、黒部川第四発電所。あの通称黒四ダム。

知名度は高いけど、前頭なんですね。

 

では。

 

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放射線には茶カテキンがいいらしい。

2011年05月09日 | Weblog

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こんばんわ。しょくです。 

先日、あるお茶屋さんからダイレクトメールが来た。

その中でちょっと今話題の放射能関連の記事が入っていたので紹介します。

静岡新聞、平成12年11月11日(土)の記事です。

放射線被ばく時に、身体中の水分子は

ヒドロキシルラジカル(・OH)と呼ばれる活性酸素を生成するが、

活性酸素を消去してしまう抗酸化物質の一つが

緑茶に多く含まれるカテキンである。

 

ここで活性酸素って何か、あるホームページの内容をコピペしておきました。

活性酸素とは文字通り活性化された酸素のことで、

酸化力の強い酸素です。

要は、活性酸素は体に悪いってことです。

空気中の酸素はO2で安定しておりますが、

活性酸素はマイナスの電子を持っているため、

自分が安定しようとして、プラスの電子を持ったものと反応しようとします。

相手の電子を引っこ抜いてしまうのですから、

引っこ抜かれたほうは死んでしまうか

片輪になってしまいます。

 

皮をむいたリンゴを放っておくとすぐ茶色くなります。

空気中の酸素でもこのように酸化力はありますが、活性酸素は数十倍強力です。

まるでネコとライオントラですみません。)くらいの差があります。

 

 

緑茶は放射線防御の観点から見ても

非常に有効な物であることが、

10年以上前に証明されていたようだ。

 

お茶屋さんのうまい宣伝に使われているしょくかもしれないが、

現在福島原発で一生懸命復旧作業の為働いている方々に

緑茶を飲んでもらいたいと願うしょくでした。

 

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊  武将隊演舞

2011年05月06日 | 歴史

  日記@BlogRanking   

 

こんばんわ。しょくです。

今まで長々とお付き合いいただいたグレート家康公「葵」武将隊。

今日で最後になります。

武将隊演舞をここで紹介します。

 

かっこいい音楽とともに演舞が始まりました。

葵の家紋の旗を振り回し、派手な感じがしましたね。

ただ写真を撮りながらだったんで、ちょっと集中力に欠けてしまいました。

 

いやー、いいですね。また見に行きたいものです。 

岡崎城なら入場無料ですし。

 

演技がひと段落して、リラックス気分の息子たち。

後で各放送局が流すニュースにて、全員テレビデビューしちゃいまいした。

(しょくは過去にもあった気がするが・・・。

 

 

  そして締めに踊るのが『堪忍をどり』

 堪忍をどり

「堪忍をどり」は盆おどりみたいな感じで、振りも簡単です。(上図参考。)

 岡崎城へ行かれる方、これを参考に踊りを覚えていってください。役に立ちますよ。

 (そんないいものでもないですけど。

で、いきなり曲調は盆踊り調テクノ調に。

パラパラちっくな振りになりまして、ディズニーパラパラ思い出しちゃった。

 

 

さらにさらに、家康公に悩み相談をするコーナーがありまして。

字のごとく家康公に悩みを相談するわけですが、

家康公のボケっぽい回答がまたおもしろい。

ただぶっつけ本番的な質問ですから、アドリブが試されます。

そして最後はお約束、『堪忍、堪忍』で締められちゃいます。

 

 

 

それと3つの言葉を覚えてくといいでしょう。

『いえ~やす』

『鳴くまで待とう、ホトトギス。』

『さすがは殿じゃ~の。』

 

なんのこっちゃと思う方は、

一度岡崎城へ足を延ばして体験してください。

最後の3つの言葉は行った時のお楽しみにしておきます。

 

  では。

 

 

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その8  徳川 家康

2011年05月05日 | 歴史

  日記@BlogRanking   

 

こんばんわ。しょくです。

やっと紹介できますね。

葵武将隊の大将、神君徳川 家康。

ご存じ、日本全国を統一し、江戸幕府を開府した方です。

すみませんんね。家康様は若くありません。

イケメンを期待していた方も多いかと思われますが・・・。

 

ここから演舞の始まりです。

徳川家康と徳川四天王、決まってますね。 

 

ここから演舞が始まりまりますが、その様子は次回。 

 

 

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その7  徳川四天王

2011年05月05日 | 歴史

  日記@BlogRanking   

 

こんばんわ。しょくです。

今回は徳川四天王4人まとめて紹介します。

徳川四天王(とくがわしてんのう)とは、徳川家康の側近に仕えて

江戸幕府の創業に功績を立てた4人の武将を顕彰して呼んだものである 。

仏教の四天王に準えている。類似の概念として更に12人を加えた徳川十六神将がある。

 

四天王筆頭は酒井忠次といわれている。ほかに本多忠勝、榊原康政、井伊直政がいる。

ではこの方から紹介します。

 

 

 井伊 直政(いい なおまさ)

自身が組織した井伊の赤備えは戦国屈指の精鋭部隊として特に有名である。

赤備えあらゆる武具を朱塗りにした部隊編成の事であり、

武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊の意味合いがあった。

最初は武田家家臣、飯富虎昌山県昌景の軍であったが、武田家滅亡後、旧武田家臣を

引き継いだ井伊直政が復活させた形である。

かっこよかったですね。誰かに似てるんだけど、思い出せない。

 

 

原 康政(さかきばら やすまさ)

三河上野郷(現 愛知県豊田市)に生まれる。

姉川、三方ヶ原、長篠など数々の戦いで戦功を立てた。

特に姉川では朝倉軍の側面攻撃で多大な武功を立てている。

「葵」武将隊の中で一番背が高い感じがした。

かっこよさは一番じゃないかな。

ちょっときざっぽい役を作っている感があった。

 

 

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)

父、本多忠高、母、小夜(植村氏義の娘)

 

本多忠勝のお父さんとお爺さんは、わが安城市にかかわりがあり安祥合戦

2人共うちの近くにお墓があるのもあり、

以前、しょく日記で紹介しております。

本多忠勝のおとうさんをご存知ですか?

本多忠勝のおじいさん、本多忠豊

 

安祥松平家(徳川本家)の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として

三河国額田郡蔵前(現 愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれる。

戦国最強武将の名が高く、生涯において参加した合戦は五十七回に及んだが、

いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられている。

 

愛槍は「蜻蛉切」。笹穂型の大身槍。

穂先に止まった蜻蛉(とんぼ)が真っ二つになったという逸話からこの名が付き、

「天下三名槍」の一つ。

こちらも背が高く、かっこよかったですよ。

 

 

 

酒井 忠次(さかい ただつぐ)

徳川氏の前身である松平氏の譜代家臣、酒井忠親の次男として

三河額田郡井田城(現 愛知県岡崎市井田町)に生まれる。

服後、徳川家康の父、松平広忠に仕えた。

 

松平信康自刃事件で織田信長からの詰問を受けたとき、酒井忠次は信康を十分に弁護できず、

信康の切腹を防げなかったと言われ、これが家康の遺恨として残ったようだ。

 

こんな逸話がある。

嫡男家次が与えられた臼井3万石は当時、徳川四天王のほかの3人が

10万石規模であったことに比して小禄であった。

これに酒井忠次が抗議した際、「お前も我が子が可愛いか」と

信康事件の不手際を責められたという。

なんかこの兜見ると、源平合戦の時の物の様に感じちゃう。

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その6  服部 正成

2011年05月04日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

本日のもう一人はこの方。

酒井隊与力、服部 正成(はっとり まさなり/まさしげ)です。

徳川十六神将の一人であり、鬼半蔵の異名を取ります。

 

 『服部半蔵=伊賀忍者』にイメージづけた人ですが、

 実際は忍者ではなく足軽頭だったようが、

 のちに父親が伊賀出身であった縁から徳川家に召し抱えられた伊賀忍者を

 統率する立場になったという。

 

江戸城の半蔵門は、服部半蔵の屋敷が門前にあったことから名づけられたという。 

半蔵門から始まる甲州街道は甲府へと続いており、服部家家臣の屋敷が甲州街道沿いにあった。

江戸時代の甲府藩は親藩や譜代大名が治めていたり、天領(徳川幕府直轄領)となっていた。

天領になってからは甲府城代が置かれた。

甲州街道は江戸城に直結する唯一の街道で、将軍家に非常事態が起こった場合には

江戸を脱出するための要路になっていたといわれる。(一部Wikipediaより引用)

 

 

ちょっとかっこいい感じの方でした。

マイクスタンドまで持ってのパフォーマンスは個性的でよかったです。

 

 

 

仲間の忍者も見守ってましたぞ 

(スタッフさんなのかな) 

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その5  本多 稲姫(小松姫)

2011年05月04日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

今回紹介するのはこの方。

本多忠勝が娘、稲姫です。

稲姫は幼少のころの名前ですけど・・・。

後の小松姫のが僕はピーンと来ますが、

ある戦国ゲームの影響もあるのでしょうね。

 

この稲姫、その後武田家家臣で有名な、真田家長男、真田信之(信幸)に嫁ぎます。

ちょっとここで、有名な出来た嫁の話を。

 

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、徳川方に味方することを決めた信之と

袂を分かった舅の真田昌幸が居城である上田城に向かう途中、

小松姫が留守を守る沼田城に立ち寄り「孫の顔が見たい」と所望した。

 

これに対し小松姫は戦装束で舅の前に現れて

「敵味方となった以上、義父といえども城に入れるわけにはいかない」と

昌幸の申し出を断った。

 

程なく昌幸が近隣の正覚寺で休息を取っているところへ小松姫は子供を連れて現れ、

孫の顔を見たいという昌幸の所望をかなえた。

これにはさすがの昌幸、信繁(のちの真田幸村)父子も感心しきりであったという。

 

また、関ヶ原の合戦で西軍が敗れ、昌幸、信繁父子が九度山に追放になった後も

食料や日用品を送るなどの配慮を怠らなかったという。(Wikipediaより)

 

真田家臣に対するけじめですが、その一方でこっそりですが、真田親子の希望をかなえた、

素晴らしい話です。

さらに関ヶ原の戦いで敗れても、しっかりサポートするだなんて、なんていい話だ。

小松姫に関する話としては、この話が有名です。

 

 

稲姫役の山田花織さんは、「葵」武将隊で紅一点。

さらに唯一岡崎市出身の方です。

逆にいえば、岡崎市出身者がほかにいないのが残念ですけどね。

趣味でコスプレしてるようです。

 

次回は江戸城の搦手門(からめてもん)の名前にもなった、もう一人の半蔵を紹介します。 

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その4  渡辺 守綱

2011年05月03日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

本日、もう一人紹介するのは、この方。

 

渡辺 守綱(わたなべ もりつな)

ここでは、榊原隊与力の設定でした。

 

この方も徳川十六神将の一人であります。  

三河国額田郡浦部村(現 愛知県岡崎市)出身。

 

 

槍の使い手で、『槍半蔵』

と、言われてました。 

なので、槍2本持ってんだね。 

 

男の僕が言うのもなんですが、顔はかっこいいというより、可愛い感がありますね。

 

残念なのは、この写真でマイクが顔にかぶっているので

お気づきの方もいるかと思いますが、

背がもう少し高ければ・・・。 

 

次回は、本多忠勝娘を紹介します。では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その3  平岩 親吉

2011年05月03日 | 歴史

  日記@BlogRanking   

 

こんばんわ。しょくです。

ここからは、各武将を一人ずつ紹介していきます。

 できれば漏れなく見てほしいなぁ。

まずは、出陣式の様子です。


 

平岩 親吉(ひらいわ ちかよし)

ここでは、井伊隊与力の設定でした。

徳川十六神将(とくがわじゅうろくしんしょう)の一人であります。

三河国額田郡坂崎村(現 愛知県額田郡幸田町)出身、

幸田町は岡崎市の南側に位置する町です。

徳川家初期時代から功績があったようで、家康さまの信任も厚かったようです。

 

 

鎧には、今回の設定、井伊隊与力っていうことで、

井伊家の家紋、丸に橘が入っています。家紋

「葵」武将隊の中では、お笑いを取る役割っぽいです。

だいたい、入り方からおかしかったですから。

 

次回は、榊原隊与力の方を紹介します。

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その2

2011年05月03日 | 歴史

  日記@BlogRanking  

こんばんわ。しょくです。

前回の続きです。

 

いよいよ出陣式が始まりました。

出陣式10分前に、余興で和太鼓が始まりました。

 

和太鼓に釘入って見る息子。 

 

 

 

こちら、 徳川家康が初期時に着用していた

金陀美具足 【きんだびぐそく】

身を包む岡崎市長、柴田 紘一 氏(現在3期目)。

以前のblogで耳打ちされていた方です。

 

 

陣羽織に身を包む、愛知県知事、大村 秀章 氏。

(この間まで、わが愛知13区でした。)

 

生涯において参加した合戦は57回に及んだが、いずれの戦いにおいても

かすり傷一つ負わなかったと伝えられている戦国最強武将本多忠勝に扮する、

岡崎市議会議長、柴田 泉 氏。

かなり兜の重さを気にしていました。

角長くてバランス悪いからね。

あー、この方々、イケメンが売り葵武将隊の方ではありません。

来賓の方々です。

 

 

総合演出家の西川 千雅 氏。

 

 

 

音楽担当だった方です。名前忘れました。ごめんなさい。

来賓のあいさつが終わった後、いよいよ本物の葵武将隊の登場です。

次回紹介しますね。では。

 

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