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しょく日記。

三河地方をこよなく愛するしょくが、ささいな出来事から温泉レポ、旅日記、親バカ奮闘記などをつづった日記です。

平城京遷都1300年祭 その1

2010年07月07日 | 歴史

 日記@BlogRanking   

こんばんわ。しょくです。

平城京遷都1300年祭に行ってきました。

花さんも奈良へ行くということで、予定より前倒しします。

下見の効果は大きかった。
 
  平城京遷都1300年祭を下見して来ました。

  下見で行ってきた平城京跡地。


いろいろしょく家の事情もありまして、雨の日を狙って行ってきました。

しかし、大雨すぎました。



雨が降ったおかげで、観光バス以外のお客さんは少なそうでした。

これは予定通りです。



以前行ったときは、この写真を撮り忘れたので、どうしても撮りたくて。

撮れて満足じゃ。 

 



雨にぬれた朱雀門(すざくもん)もまたいいですね。

ちょっと雨酷いかな?

 


下見時のblog

  平城京の正門 朱雀門


今日からゆっくりと平城京遷都1300年祭を紹介していきます。

よろしくお願い致します。



P.S 花さん、東大寺の様子はこんな感じです。見てやって下さい。

    締めは東大寺。

では。

 

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戦国BASARA3 予約しました。

2010年06月29日 | 歴史

 日記@BlogRanking   

こんばんわ。しょくです。

7月29日に発売される戦国BASARA3

やっと予約しました。

 

最近の歴女という言葉を生んだきっかけのゲームでもあります。

このゲームの影響で、いろいろ旧所名跡を訪ねると、

昔では見なかった若い女性の方が多く見られます。

歴史好きな方を増やして頂いたという点では、

同じ歴史大好きおやじとしては、戦国BASARAに感謝です。 
 

ともちゃんは予約したのかな?

エイデン約1000円引きだよ。

では。

 

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小牧城(小牧山城)

2010年06月16日 | 歴史

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こんばんわ。ご無沙汰です。しょくです。

実は、清州城に行った後、もう一つお城に行きまして。

それが小牧城です。



小牧城と書くと、歴史に詳しい方は違和感を感じると思います。

そうです。ここは小牧山城があった場所です。

現在では、小牧市歴史館が建ってまして、

別名、小牧城とされています。


原始時代から戦国時代、そして近代までの歴史と文化を伝える郷土資料館として、

公開しています。



こちらが、その建物です。

実はここまで来るのに

か・な・り 苦労しております。


坂きつすぎ。 

(標高は80mほどだったと思いますが・・・。)


登るのに一生懸命で、登山過程の写真撮り忘れた。

 



大人100円、小人(小学生・中学生)30円 

さらに、土・日・祝日は小人の入館無料

市の施設とはいえ、安すぎます。  完全に赤字だね。



 
小高い山の上だけあって、眺めは最高でしたね。



一宮タワーも遠くに見えます。




県営名古屋空港が左手に、名駅のツインタワーも真ん中奥に見えます。







詳細はパンフレットか、小牧市資料館のサイトを参考にしてね。


興味のある方は行ってみて。

ただ、山頂まで登るのが大変ですけど・・・。

がんばって

では。

 

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清州城

2010年06月12日 | 歴史

 日記@BlogRanking   

こんばんわ。しょくです。

この間、急きょ思いつきでお城めぐりしてきました。

こちら、以前織田家の基盤となったお城、清州城です。

清州城の説明は以下の通りです。





こちらが、表から見たお城の姿。立派です。





子供たち、記念撮影。



こちら、清州城周辺の地図です。

ちょっと駐車場の位置が分かりにくいかなって感じがします。





天守閣から外を見た様子。

こちらは西方面を見た様子。

左側に東海道本線と新幹線が平行に走っています。

正面左右に走る高架の道路は、東名阪自動車道です。









名古屋方面を見てみました。

手前に見えるタンク群は、キリンビール名古屋工場です。



 

 

 

では。

 

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色金山歴史公園

2010年05月14日 | 歴史

 日記@BlogRanking   

こんばんわ。しょくです。

長久手古戦場跡を後にしたしょく家は

色金山(こがねやま)歴史公園に行ってみました。



実は行く予定はなかったんですけど、パンフレットの写真を見て興味津々。

これが公園の概略図です。 




公園の入り口です。

 



昔の砦をイメージした展望台。すげーよ。この建物






すごく立派な建物です。


そしてここの一番のメインはこれのようです。 



これがその床机石です。



しょくも徳川家康の気分になって座ってきちゃった。

でも座るには木が邪魔なんだよね。

では。

 

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長久手古戦場跡

2010年05月11日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

みなさん、小牧長久手の戦いをご存知ですか?

簡単にお話ししますと、徳川家康豊臣秀吉の戦いです。

えっ、簡単すぎるって!!

詳細はこちらを読んでね。





スキャナが使えないので、あしからず。




で、こちらが公園入り口。



小牧長久手の戦いがあった現場の一つ、長久手古戦場公園です。

小牧と長久手間って結構距離があるんですよ。

直線距離でも20キロくらいあるかな?
 

 

この芝生の山々と川はレプリカです。

実際の山と川を見たてたら、こんな感じになりました。

 

お隣に弓道場がありました。

高校生と思われる方たちがやってましたが、

残念ながら写真を撮るときは、休憩中でした。






せっかく来たのだからと、資料館を覗いてみたのですが、

そこで見つけたマンガをついつい購入。



700円とちょっとお高め。

でも、ここじゃないと買えないかと思い購入。

マンガなら、子供たちも読めるしね。





他にも史跡が多くありましたが、今回は時間がないので、

1か所のみ行かせて頂きました。それはのちほど。




こちらの詳細はこれを参考にしてね。



では。

 

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唐招提寺 その2

2010年04月14日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

前回の続きでまたまた唐招提寺です。 

写真向かって左側が、またまた国宝である鼓楼

右に見えるのは重要文化財礼堂です。

 

 

こちら造り方、皆さんも昔習いましたよね。

校倉造りという工法で造られた宝蔵です。

右側に桜で見難くなっていますが経蔵です。

どちらも国宝です。

校倉造りと言えば、東大寺にある正倉院が有名ですよね。

三角の木材で組み立てて造られてます。

 

校倉の利点として、湿度の高い時には木材が膨張して外部の湿気が

入るのを防ぎ、逆に外気が乾燥している時は木材が収縮して

材と材の間に隙間ができて風を通すので、

倉庫内の環境を一定に保ち、物の保存に役立ったという説があった。

しかし、実際には、重い屋根の荷重がかかる校木が伸縮する余地はなく、

この説は現在は否定されている。

(ウキペディアより)

 

うわぁ、僕前説で中学校のころ習ったんですが・・・。

今は違うんですね。

確かに屋根が重いからっていうの、納得です。

 

こちら、唐招提寺で売っていた、唐招提寺を紹介する本。

500円と安かったので、記念に購入しました。

 

本の中に唐招提寺の地図が入ってましたんで

最後に紹介します。ご参考に。

こんな感じで唐招提寺の紹介はここまでです。

お付き合いください、ありがとうございました。 

では。

 

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唐招提寺 その1

2010年04月13日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

最近公私ともに忙しいため、blogの更新が追いつきません。

困りました。

 

さて、奈良への日帰り旅行の続きですが、

今回一番行きたかったのがココ。

鑑真和上でおなじみ唐招提寺です。

 

簡単にお話ししますと、唐(今の中国)の高僧、鑑真は、

日本に戒律【かいりつ】を教える為、日本に招請された。

戒律とは仏教において守らなければならない、道徳規範や規則の

事であり、当時の日本は誤った仏教が広まっていたらしい。

 

遣唐使と共に来日するのですが、途中高僧鑑真を出国させないための

妨害や密告、渡航中の難破などで5度失敗した。

6度目にして念願の日本へ。

このころの渡日は船も今の時代のような立派なものではなく、

船で中国から日本へ渡るのは大変だったようです。

現に鑑真は渡航時の体力消耗などの影響で失明までしてしまった。

この時すでに66歳でした。 

 

その後の鑑真は、聖武天皇、光明皇太后、孝謙天皇らに戒律を授け

その後唐招提寺を中心に日本に戒律を広めていきます。

76歳で没します。

 

まっ、こんな所ですが、合ってなかったらすみません。 

 

平成の大改修が完了した直後でしたので、

人がたくさんいるのかなと思っていましたが、

それほどでもありませんでした。

 

正面に見れるのが金堂です。これ国宝です。

屋根の上に乗っている物が金堂のシンボル、

鴟尾(しび)と言うものです。

今回の大改修によって両方とも交換されましたが

今までは左は奈良(天平)時代、唐招提寺が作られた当時の物、

右は鎌倉時代に交換された物でした。

金堂の中には国宝である蘆舎那仏坐像や千手観音立像、

薬師如来像など、数点がありました。

さすが国宝の宝庫、奈良ではですね。

 

斜め横より写真をパチリ。

 

こちらが講堂です。こちらも国宝です。

中にある仏像は重要文化財でして国宝ではありませんでした。

でも、国宝級と言っても過言じゃありません。

 

まだまだ説明したいのですが、続きはまた次回。 

では。

 

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平安京跡地でこんなことが・・・。

2010年04月09日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

今回の平城京跡地を散策していて、

こんな看板が・・・。

 

犬を訓練する方がいるんですね。

確かに犬を訓練するには

絶好と言っていいくらい広い土地です。

 

看板に書いてあるように、

くれぐれも訓練はやめましょう。 

 

では。

 

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下見で行ってきた平城京跡地

2010年04月08日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

平城京遷都1300年祭の会場である平城京跡地。

下見を兼ねて行ってみたが、

まずびっくりしたのは、ほとんど手がつけられていない事。

一体どうなっているかというとこちら。

 

なんの木かわかりませんが、木が植わっています。

 

がらーんとした場所に、水路が走っています。

草がただ生い茂っている感じです。

他にも軽いボール遊びが出来る程度のスペースもあり、

若い人たちがやってました。

桜の木もありましたので、その下でお花見って方もいました。

 

 

平城京遷都1300年祭の時には、

こちらにお世話になるのでしょうね。

 

 

こちらが第一次大極殿です。

大極殿とは天皇の即位式や外国使節との面会など、

国のもっとも重要な儀式に使われました。

ここが中心になるはずです。 

 

4月24日(土)から始まりますが、いまだに工事の真っ最中。

ちゃんと完成するのかな 

 

近くでズームかけて撮ってみたけど、

建物自体はかなり大きそうです。

実際、入れるようになったら楽しみだな。 

 

入り口も

行った日が4月7日(土)だったんですが、

本当に24日までに完成するのか

 

 

こちらは実際始った時のイベント会場か

それとも休憩施設かな

奈良県の間伐材を利用して作ったテーブルと椅子でした。

個人的にはこれほしいな。

 

では。

 

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平城京の正門 朱雀門

2010年04月07日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

 

以前のblogで予告しましたが、

奈良平城京跡地へ行ってきました。

 

平城京跡地へ行ってきて最初に思ったのが

全くと言っていいほど手がつけられていない。

 

そんな中、平城京の正門である朱雀門(すざくもん)

1998年に復元しておりましたので

見学できました。

 

かなり立派な門ですね。

人の大きさから考えてみてください。

いかにこの門が大きいかを。

 

朱雀門で写真をパチリ。

奥に見えるのが、今回平城京遷都1300年祭で

復元された、第一次大極殿です。

 

 

 

これ、裏手から見た朱雀門。

ボランティアの方が地図を配ったり、門の清掃をしておりました。

感謝ですね。

 

 

ちょっと角度を変えて写真を撮った朱雀門。

手前に何か柵みたいなものがありますが、

なんだと思います

 

 

 

実は近鉄が平城京跡地内を横断しているのです。

旧跡にこれには、さすがにびっくりしました。

では。

 

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平城京遷都1300年祭を下見して来ました。

2010年04月05日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

最近また忙しくて、blogに手をつけれません。

遅い時間ですが、ちょっとだけ更新をしようと

只今がんばってます。

他の方へ遊びに行くのも毎回は難しいです。

ごめんなさい。

 

今回からしばらくはこのネタで行きます。

このお休みにここへ下見を兼ねて行ってきました。

 

平城京遷都1300年祭

 

ご存知、せんとくんのスタイルで一大ブームを巻き起こした

(しょくだけかもしれませんが・・・。

あのお祭りです。

 

4月24日(土)~11月7日(日)まで行われますが、

今回は平城京跡地

どんなものなのかを確認したい為

行って参りました。

詳細はこれから徐々に紹介しますね。 

お楽しみに。 

では。

 

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本多忠勝のおじいさん、本多忠豊

2010年02月07日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

前回ご紹介した本多忠勝のお父さん、本多忠高に引き続き、

本多忠勝のおじいさんをご紹介します。

その名は『本多忠豊』

実はこんな住宅街にお墓があるのです。

 

こちらも同じく に乗ってますが、意味は分かりません。

 

おじいさんもかなりの英雄です。

ただ、身代わりで討ち死にしていますが・・・。 

 

松平広忠(徳川家康の父

安祥城を奪回をすべく有利に兵を進めますが、

尾張からの援軍、織田信秀(織田信長の父

阻まれて危機に陥ります。

この時主君松平広忠の身代わりとなって、敵中に突撃し、

討ち死にするのが本多忠豊(ただとよ)です。

このため松平広忠は無事居城の岡崎へ帰還できました。

 

松平(徳川)家は、こういった方々の犠牲の上に

成り立っているってことですね。

みなさん立派です。


では。

 

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本多忠勝のおとうさんをご存知ですか?

2010年02月06日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

徳川家康の配下、徳川四天王にも名を連ねる

戦国最強の武将、本多忠勝。

 

生涯において参加した合戦は五十七回に及んだが、

いずれの戦いも、かすり傷一つ負わなかったと伝えられている。

徳川家康の時代になると、

上総国(千葉県)大喜多10万国の大名になり

その後伊勢国(三重県)桑名10万国に移される。

本多忠勝の最後は、桑名にて天寿を全うした。

 

代々、本多家は安祥松平家(徳川本家)

最古参、安祥譜代として松平家に仕えていました。

 

そこで質問。

本多忠勝のお父さんの名前ってご存知ですか?

              

              

              

              

              

              

              

              

              

               

答えは 『本多 忠高』 です。

 

こちらは、その本多忠高のお墓であります。

 

なぜ亀だかわかりません。

 

残念な話ですが、本多忠高はこの地で討ち死にしております。

松平家の城だった安祥城が織田氏に奪われ、

(このころ松平家に仕えていた一族を安祥譜代び、

 それ以降の一族は岡崎譜代や駿河譜代と呼ばれている。)

安祥城を取り返す途中で討ち死にしてしまいました。 

 

本多家自体が岡崎市で生まれた一族のようなのですが、

隣であるわが町、安城市で亡くなったことに運命を感じます。

実は本多忠勝のおじいさんも同じように・・・。

詳しくは次回お話します。

では。

 

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松平家4代の居城、安祥城址

2010年02月04日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

この間せんとくん見に行ったけど、その時行ってきた場所。

それは、歴史博物館隣にある安祥城址です。

「あんしょう」と呼びます。

漢字が違う通り、「あんじょう」じゃない。

 

我が家からも歩いてこれる距離で近いです。

現在は本丸跡は大乗寺というお寺になってます。

二の丸跡は八幡神社、三の丸跡は歴史博物館なのだ。

 

 

立派な門構えでしょ。

 

 

上からも写真を撮ってみました。

そんなに高さはありません。

 

 

 

位置的にはこんな感じです。

下の地図を参考にしてね。

 

さらに昔の安祥城はこんな感じだったそうです。

周りは田や深田が多いです。

 

安祥城址の説明は以下の通りです。

安城松平関係系図に、徳川家康の文字があるでしょ。

でも、松平広忠の時代に岡崎城へ居城を移しているんだよね。 

 

では。

 

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