しょく日記。

三河地方をこよなく愛するしょくが、ささいな出来事から温泉レポ、旅日記、親バカ奮闘記などをつづった日記です。

遠州 高天神城 西の丸編

2012年04月05日 | 歴史

 日記@BlogRanking 

こんばんわ。しょくです。

今回は井戸曲輪、西の丸(現、高天神社)、馬場平編をお送りします。


 

鳥居をくぐって進むと立派ま石段があります。


あまり写していませんが、歴史好きの方が何人か、このお城に登っておられます。

たまたま写ってしまったカップルの姿が・・・。

 

しばらく登っていくと、三日月井戸なるものを発見。

 

確かに三日月の如く、水がたまってる。

 

しかし、不自然なコンクリ舗装の上に石が置いてあった。

あれっ石が動くぞ。

 

 

あらっ 見てはいけないものを見てしまったか。

子供になんて説明したらいいのか・・・。


 

さて、気を取り直して先に進みます。

 

こちらが、今回の目的地の一つ、井戸曲輪です。 


名前の通り、井戸があったようです。かなり深そう。

 

そしてこの階段を上がると・・・。

 

西の丸に到着。

 



 

 

 

 

 

こちらが、高天神社です。

向こうの元天神社よりかなり立派ですね。

 

そして神社左手を進むと、堀切が出現

ぼちぼちの高低差が付けてありました。

 

そのまま堀切を突き進むと、馬場平に到着。

馬場平が何かよくわかっていない。

ここからは、よい景色が見えそうですね。

 



 

とにかく高天神城は大きくて、高低差もあり、若干筋肉痛になってしまった。


愛知県からなら、近くて行きやすい城跡かと思います。

タイムスリップした妄想を描いて、城跡を登ってみてくださいな。

では。

 

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遠州 高天神城 本丸編

2012年04月04日 | 歴史

 日記@BlogRanking 

こんばんわ。しょくです。

しょくは3の丸を後にして、本丸へと向かいました。

また、坂です。

 

本丸近し

 

 

こちら、本丸手前の御前曲輪です。

戦国ロマンの顔あて写真はやりませんでした。 

 

奥から見たら、こんな感じです。

 

この下に3の丸があるようです。

 

 

そして、御前曲輪の反対側には、元天神社という、小さな祠がありました。

 

元天神社を後にして、奥へ進んでいくと、ありました。

今回の目的地、『高天神城 本丸跡』

本丸跡、あまり大きくないです。

まっ、こんなもんでしょうかね。

 

3の丸に引き続き、こちらも眺めは最高です。

昔は木がなかったんだろうなと。

 

一気に駆け抜ける子供たち。危ないぞ

次回はまた元のルートに戻り、 高天神社や馬場平を目指します。

では。

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遠州 高天神城 3の丸編

2012年04月03日 | 歴史

 日記@BlogRanking 

こんばんわ。しょくです。

さっそうと高天神城に攻め込んでみました。  

土砂崩れの看板を目にしたしょく一行は、とりあえず本丸をめざし、

追手門側に車を走らせました。

さっき本丸の裏手っぽかったけど、

どうも本丸に行くには回り道をしなくてはならなようだ。

 

あらまたこの看板だ。

どうも全てを制覇するには、

北口駐車場からも登らないとダメなようだ。

 

気を取り直して、まずは本丸登頂を目指します。

この感じが山城って感じだよね。 ゆけ~。

 

追手門通過。もちろん今は門なんてありません。

 

 

こちら、3の丸です。 殺風景だな。

眺めはいいね。

調子がいいと、まで見えるようでして。

 

これが、難攻不落と言われた高天神城の崖。

いやー、崖から登ってみたいね。

 

海も見えて、ほんと、眺めは最高です。 

どこでしょう 風力発電所が見えるよ。

こちらの崖は緩やかだ。これ、南側です。

次回は本丸を目指します。

では。

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遠州 高天神城 予告編

2012年04月01日 | 歴史

 日記@BlogRanking 

こんばんわ。しょくです。

予告してから早1.5か月経ってしまった。のんびりですが、ちょっとずつ更新します。 

 

遠州(遠江国)といったら、外せない城(今は城跡) 

『高天神城を制する者は遠州を制す。』

 

言われたほどの難攻不落の高天神城を紹介します。

これ、入り口。もう少し行った右側に駐車場があります。

ってか、もうこの時点でも坂は急です。

 

入り口にあった高天神城の想像図。想像図ですよ。

 

  現在地はここ。 本丸裏とはどういうことだ

 

西の丸って

規模だけはかなりでかそうです。

この絵のように、山自体が急斜面です。覗いてみたけど、60度以上はありそうな崖でして、

曲輪の配置が多く目立ちます。

石垣はなく、多くの土塁が曲輪を取り囲み、西の丸と馬場平の間は今も切掘が残ってました。

 

 

歩いて行くと、また地図が・・・。

 

 

さらに奥へ行くと、また地図が・・・。

 

さらにこんなのまで・・・・

個人的には本丸に行きたかったので、ここでUターン。

つづきはまた。 

では。 

 

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掛川城南 鎧屋さんに行ってきました。

2012年01月22日 | 歴史

 日記@BlogRanking 

こんばんわ。しょくです。

掛川城のまわりで、こんなお店を見つけてしまった。

掛川城南『遠州掛川 鎧屋』さんです。

オープンしてまだ1年ばかりとの事。

 

ローカルな話ですが、私の出身地の地元のお店、

金魚屋さんとお付き合いがあるそうで、

ついつい話が盛り上がってしまった。

 

ちょっと店内を撮らせていただいたのでご紹介します。







鎧兜もだけど、それ以外のグッツも豊富でした。

うちの子、特に上の子は火縄銃を購入。

こちらはまた紹介します。

 

ここの鎧、高いものは

伊達政宗で170万円超えでした。

軽どころか、普通の車も買えそうな値段です。

宝くじが当たれば、家宝に買ってもいいかなって思いますけど、

普通じゃ買えませんね。

時間があればまた行ってみたいし、

いろいろ買ってみたい場所でした。 

 

気になる方、掛川城へ行った折には是非!! 

では。

 

 

 

 

 

 

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遠州 掛川城

2012年01月13日 | 歴史

 日記@BlogRanking 

こんばんわ。しょくです。

 

ではここで、掛川城をご紹介します。

この通路をあがると・・・。

天守閣につながる門に出ます。

階段がちょっときつかった。

 

門をくぐってまっすぐ進むと、左側に入口があります。

中は日本で初めて

木造で復元された天守閣があります。

建てられたのは平成6年(1994年)4月です。

実は私、ここ2回目でして。 以前来たのは約9年前。懐かしい。

変にコンクリートで再現された

お城と思うとすごくいいですよ。

急な階段もありますしね。

 

天守からの眺めです。

JRや新幹線の駅がある、掛川駅が見えます。

 


さっき歩いてきた城内の部分が下に見えますね。

 


車を止めた大手門駐車場方面です。

 

お城の詳細。パンフレットを参考にしてね。

今日はとりあえず、こんなところです。

 

次回は掛川城御殿をご紹介します。

では。

 

 

 

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掛川城へ行ってきました。 予告編

2012年01月11日 | 歴史

 日記@BlogRanking 

こんばんわ。しょくです。

久々にblog更新です。

ちょっと時間がないので、まずは予告編。

 

久々にお城へいってきました。

9年ぶりに行ったお城は掛川城。

こちらは掛川城の大手門です。

 詳しくは後日。

では。

 

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ダンボール甲冑第二弾。 井伊直政の甲冑、朱漆塗菱綴桶側胴具足

2011年08月22日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

前回も書きましたが、最近嫌になってる夏休み自由研究。

がんばった作品、もう1体をご紹介します。

作りたかったのは、徳川四天王の一人、

赤備で有名井伊 直政の甲冑です。

こちらが、井伊 直政の甲冑です。      

甲冑の名は、

『朱漆塗菱綴桶側胴具足(しゅうるしぬりひしつづれおけがわどうぐそく)です。

他は、井伊直政の子孫の物です。

 

これが下の子の作品ですが、兜は特お父さんの手がだいぶ入ってしまいました。

 

結構立派に見えますよね。

 

 

しかし、中をのぞくと・・・。

わかりにくいかもしれませんが、修正の嵐です。

角のベースから本体は、パナップの空きカップと、トイレットペーパーの芯、ペーパータオルの芯。

一度角が抜けてしまい、さらに中々元のようにはまらず

もう一個パナップを追加です。

 

 

そして完成を下の子に着て貰いました。

『えっへん。カッコいいでしょ。』


下の子は鎧ちょっと手抜きしちゃいました。

ひらひらがないと弱そう。

ごめんね。

 

とても下の子は絵になります。

もともとお兄ちゃんより力強いんですけど・・・。 

では。

 

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ダンボール甲冑第一弾。 徳川家康の甲冑、金陀美具足

2011年08月21日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

夏休み、特にお盆休みとなると、ここ数年嫌なのが

子供の夏休み自由研究。

お父さんは手伝う羽目になるのですが、今年は2倍でした。

 

 

で、子供に何作ると聞くと、岡崎城の葵武将隊の様な

『ダンボール甲冑がいい。』との回答。

 

さらに下の子も真似したいようで、

『お兄ちゃんと同じで甲冑がいい。』

お父さんがんばってお手伝いしながら作りましたよ。

上の子が目指した甲冑はこちら。

徳川家康が桶狭間の戦い時に使用した、 『金陀美具足』

写真右側です。

 

 

で、完成系がこちら。 まずは兜から。

あまり似てませんね。困りました。

 

鎧とセットでこうなりました。

 

子供に着せてみました。


2セット作るのに、お盆休み9日間のうち、実に6日間かかりました。

写真はあっても、そうそう簡単に作れなかったしね。

いやー作るって難しいね。

 

ちなみに提出日は最終日ではなく、出校日である8月20日(土)。ギリギリでした。

 

 

次回は下の子の甲冑セット、

武将は徳川四天王の一人、井伊直政です。お楽しみに。

では。

 

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攻め登れ!! 岐阜城 金華山

2011年08月09日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

話が前後しますが、先日岐阜城へ行ってまいりました。

ちょっと誤算だったのが、自分の休みは平日だったにもかかわらず、土日感覚だったこと。

未だになれませんね。 

本当はこれが見たかった。

岐阜城盛り上げ隊

見れないのはさておき、岐阜城金華山へがんばって登頂してみた。

と、いいながら途中まで金華山ロープウェーですけど。

このロープウェー、

観光でお金落としいてってほしいという匂いが

 プンプンしました。

勝手に写真を撮り後で売るシステムもあり、

ロープウェイに乗る前の待ち時間は、お土産売り場で待機、

さらに帰りのロープウェイで出口を出ると、そこはお土産売り場に戻ってくるという仕組み。

やり過ぎぐらい、やり過ぎです。

 

参考までに本当に下から登山も出来ます。標高329mありますので、

本当にがんばりたい人は、徒歩でどうぞ。

 

さてロープウェイ乗り場からもちょっと高低差と距離がありますので、油断なさらぬよう。

しょくは若干筋肉痛になり申した。 

がんばって歩いて行くと、岐阜城が目の前に現れます。

 

岐阜城内へ入るには、さらにお金がかかります。

大人200円、小人100円です。

岐阜城からの眺めは最高 

この眺めを斎藤道三や織田信長は見たんですね。



 

長良川メモリアルセンターもばっちり見れました。

プロ野球やJリーグもたまにここで開催されます。 

これからもう少し旅が続きます。続きは後日。 

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊  武将隊演舞

2011年05月06日 | 歴史

  日記@BlogRanking   

 

こんばんわ。しょくです。

今まで長々とお付き合いいただいたグレート家康公「葵」武将隊。

今日で最後になります。

武将隊演舞をここで紹介します。

 

かっこいい音楽とともに演舞が始まりました。

葵の家紋の旗を振り回し、派手な感じがしましたね。

ただ写真を撮りながらだったんで、ちょっと集中力に欠けてしまいました。

 

いやー、いいですね。また見に行きたいものです。 

岡崎城なら入場無料ですし。

 

演技がひと段落して、リラックス気分の息子たち。

後で各放送局が流すニュースにて、全員テレビデビューしちゃいまいした。

(しょくは過去にもあった気がするが・・・。

 

 

  そして締めに踊るのが『堪忍をどり』

 堪忍をどり

「堪忍をどり」は盆おどりみたいな感じで、振りも簡単です。(上図参考。)

 岡崎城へ行かれる方、これを参考に踊りを覚えていってください。役に立ちますよ。

 (そんないいものでもないですけど。

で、いきなり曲調は盆踊り調テクノ調に。

パラパラちっくな振りになりまして、ディズニーパラパラ思い出しちゃった。

 

 

さらにさらに、家康公に悩み相談をするコーナーがありまして。

字のごとく家康公に悩みを相談するわけですが、

家康公のボケっぽい回答がまたおもしろい。

ただぶっつけ本番的な質問ですから、アドリブが試されます。

そして最後はお約束、『堪忍、堪忍』で締められちゃいます。

 

 

 

それと3つの言葉を覚えてくといいでしょう。

『いえ~やす』

『鳴くまで待とう、ホトトギス。』

『さすがは殿じゃ~の。』

 

なんのこっちゃと思う方は、

一度岡崎城へ足を延ばして体験してください。

最後の3つの言葉は行った時のお楽しみにしておきます。

 

  では。

 

 

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その8  徳川 家康

2011年05月05日 | 歴史

  日記@BlogRanking   

 

こんばんわ。しょくです。

やっと紹介できますね。

葵武将隊の大将、神君徳川 家康。

ご存じ、日本全国を統一し、江戸幕府を開府した方です。

すみませんんね。家康様は若くありません。

イケメンを期待していた方も多いかと思われますが・・・。

 

ここから演舞の始まりです。

徳川家康と徳川四天王、決まってますね。 

 

ここから演舞が始まりまりますが、その様子は次回。 

 

 

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その7  徳川四天王

2011年05月05日 | 歴史

  日記@BlogRanking   

 

こんばんわ。しょくです。

今回は徳川四天王4人まとめて紹介します。

徳川四天王(とくがわしてんのう)とは、徳川家康の側近に仕えて

江戸幕府の創業に功績を立てた4人の武将を顕彰して呼んだものである 。

仏教の四天王に準えている。類似の概念として更に12人を加えた徳川十六神将がある。

 

四天王筆頭は酒井忠次といわれている。ほかに本多忠勝、榊原康政、井伊直政がいる。

ではこの方から紹介します。

 

 

 井伊 直政(いい なおまさ)

自身が組織した井伊の赤備えは戦国屈指の精鋭部隊として特に有名である。

赤備えあらゆる武具を朱塗りにした部隊編成の事であり、

武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊の意味合いがあった。

最初は武田家家臣、飯富虎昌山県昌景の軍であったが、武田家滅亡後、旧武田家臣を

引き継いだ井伊直政が復活させた形である。

かっこよかったですね。誰かに似てるんだけど、思い出せない。

 

 

原 康政(さかきばら やすまさ)

三河上野郷(現 愛知県豊田市)に生まれる。

姉川、三方ヶ原、長篠など数々の戦いで戦功を立てた。

特に姉川では朝倉軍の側面攻撃で多大な武功を立てている。

「葵」武将隊の中で一番背が高い感じがした。

かっこよさは一番じゃないかな。

ちょっときざっぽい役を作っている感があった。

 

 

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)

父、本多忠高、母、小夜(植村氏義の娘)

 

本多忠勝のお父さんとお爺さんは、わが安城市にかかわりがあり安祥合戦

2人共うちの近くにお墓があるのもあり、

以前、しょく日記で紹介しております。

本多忠勝のおとうさんをご存知ですか?

本多忠勝のおじいさん、本多忠豊

 

安祥松平家(徳川本家)の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として

三河国額田郡蔵前(現 愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれる。

戦国最強武将の名が高く、生涯において参加した合戦は五十七回に及んだが、

いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられている。

 

愛槍は「蜻蛉切」。笹穂型の大身槍。

穂先に止まった蜻蛉(とんぼ)が真っ二つになったという逸話からこの名が付き、

「天下三名槍」の一つ。

こちらも背が高く、かっこよかったですよ。

 

 

 

酒井 忠次(さかい ただつぐ)

徳川氏の前身である松平氏の譜代家臣、酒井忠親の次男として

三河額田郡井田城(現 愛知県岡崎市井田町)に生まれる。

服後、徳川家康の父、松平広忠に仕えた。

 

松平信康自刃事件で織田信長からの詰問を受けたとき、酒井忠次は信康を十分に弁護できず、

信康の切腹を防げなかったと言われ、これが家康の遺恨として残ったようだ。

 

こんな逸話がある。

嫡男家次が与えられた臼井3万石は当時、徳川四天王のほかの3人が

10万石規模であったことに比して小禄であった。

これに酒井忠次が抗議した際、「お前も我が子が可愛いか」と

信康事件の不手際を責められたという。

なんかこの兜見ると、源平合戦の時の物の様に感じちゃう。

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その6  服部 正成

2011年05月04日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

本日のもう一人はこの方。

酒井隊与力、服部 正成(はっとり まさなり/まさしげ)です。

徳川十六神将の一人であり、鬼半蔵の異名を取ります。

 

 『服部半蔵=伊賀忍者』にイメージづけた人ですが、

 実際は忍者ではなく足軽頭だったようが、

 のちに父親が伊賀出身であった縁から徳川家に召し抱えられた伊賀忍者を

 統率する立場になったという。

 

江戸城の半蔵門は、服部半蔵の屋敷が門前にあったことから名づけられたという。 

半蔵門から始まる甲州街道は甲府へと続いており、服部家家臣の屋敷が甲州街道沿いにあった。

江戸時代の甲府藩は親藩や譜代大名が治めていたり、天領(徳川幕府直轄領)となっていた。

天領になってからは甲府城代が置かれた。

甲州街道は江戸城に直結する唯一の街道で、将軍家に非常事態が起こった場合には

江戸を脱出するための要路になっていたといわれる。(一部Wikipediaより引用)

 

 

ちょっとかっこいい感じの方でした。

マイクスタンドまで持ってのパフォーマンスは個性的でよかったです。

 

 

 

仲間の忍者も見守ってましたぞ 

(スタッフさんなのかな) 

では。

 

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グレート家康公「葵」武将隊 その5  本多 稲姫(小松姫)

2011年05月04日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

今回紹介するのはこの方。

本多忠勝が娘、稲姫です。

稲姫は幼少のころの名前ですけど・・・。

後の小松姫のが僕はピーンと来ますが、

ある戦国ゲームの影響もあるのでしょうね。

 

この稲姫、その後武田家家臣で有名な、真田家長男、真田信之(信幸)に嫁ぎます。

ちょっとここで、有名な出来た嫁の話を。

 

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、徳川方に味方することを決めた信之と

袂を分かった舅の真田昌幸が居城である上田城に向かう途中、

小松姫が留守を守る沼田城に立ち寄り「孫の顔が見たい」と所望した。

 

これに対し小松姫は戦装束で舅の前に現れて

「敵味方となった以上、義父といえども城に入れるわけにはいかない」と

昌幸の申し出を断った。

 

程なく昌幸が近隣の正覚寺で休息を取っているところへ小松姫は子供を連れて現れ、

孫の顔を見たいという昌幸の所望をかなえた。

これにはさすがの昌幸、信繁(のちの真田幸村)父子も感心しきりであったという。

 

また、関ヶ原の合戦で西軍が敗れ、昌幸、信繁父子が九度山に追放になった後も

食料や日用品を送るなどの配慮を怠らなかったという。(Wikipediaより)

 

真田家臣に対するけじめですが、その一方でこっそりですが、真田親子の希望をかなえた、

素晴らしい話です。

さらに関ヶ原の戦いで敗れても、しっかりサポートするだなんて、なんていい話だ。

小松姫に関する話としては、この話が有名です。

 

 

稲姫役の山田花織さんは、「葵」武将隊で紅一点。

さらに唯一岡崎市出身の方です。

逆にいえば、岡崎市出身者がほかにいないのが残念ですけどね。

趣味でコスプレしてるようです。

 

次回は江戸城の搦手門(からめてもん)の名前にもなった、もう一人の半蔵を紹介します。 

では。

 

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