2月1日(土)今井町町並み保存会は恒例の県外研修を和歌山県九度山町に出かけた
九度山町は空海の高野山開創によって栄えた町で、寺領支配の拠点、政所を慈尊院に置いたのが始まりで、慈尊院は空海の母親のために建立した寺院だそうだ
鎌倉時代から高野参詣が盛んになり参詣道の町石道が慈尊院から高野山の奥の院までの24キロに216基の町石と里石が道しるべをしており、世界遺産に認定されています
戦国時代には真田昌幸、幸村親子が高野山へ蟄居させられて九度山に閑居しています
現在は柿、みかんなどの果樹栽培が盛んな地域に変貌しているが、残された史跡などを起爆剤として新たな町づくりを構築されて頑張っておられる皆さんの様子をお伺いし、熱いエネルギーを頂けたらと企画した
行程順に1日をたどってみた
8:30今井町華甍を出発→9:30 九度山町役場着 →
「ふるさとセンター4階」にて交流会を開催、
岡本章町長も忙しい時間を調整して参加してくださって歓迎の意を述べてくださった
九度山町住民クラブ会長 阪井賢三様からは「まちは人と人をつなぐ舞台」を理念として、年齢に関係なく「思い立ったときが青春」の情熱に燃える、しかも和やかなまちづくりを目指しています。
素晴らしい町並みを守られている今井町の皆さまがお見え下さることで、こちらのみんなは緊張気味です。至らないところが多々あるかと思いますが、和やかな一日を過ごしていただき、今後の永いご縁に繋がりますようよろしくお願い申し上げます
と、熱い歓迎のお言葉をいただいた
10:40 バス移動で 勝利寺と紙遊苑到着
ガイドのリーダー、九度山町語り部会長(住民クラブ副会長)木村憲次様の立てていただいた行程は 最初に一番高台までバス移動して坂の町を順次下がっていこうと配慮してくださっている
また、恒例の着物姿の参加者にも苦にならないかなりの余裕をみているのもうれしい
勝利寺は空海の厄除け観音を祀る高野表参道の玄関口で高台からの景観は素晴らしい
とこの後 町石道の一部を歩き
、丹生官省符神社
慈尊院へ
丹生官省符神社は空海が慈尊院建立の際、守り神として丹生都比売と高野御子の2神をお祀りしてある
119段の石段を降りたところが慈尊院
ここは高野山の庶務を司る高野政所屋宿泊所を置いた高野山の要所で、空海の母公が晩年移り住み、女人高野と呼ばれ、親しまれてきた
バス移動で
11:40 真田庵
真田昌幸・幸村が閑居した屋敷跡に建つ寺院で有名な六文銭の紋が山門にかかる
境内は真田ゆかりの品々がたくさん残されている
5月に行われる真田祭は総勢500名の武者行列が町を練り歩くそうで、今も真田親子は九度山町民の象徴のようだ
ちなみに武者行列の鎧兜は町民による手作りだそうだが、見学させてもらってその出来栄えの凄さにびっくりした 技術と根を詰めた成果が見える
12:20 幸村庵で昼食
幸村庵は財団法人九度山町柿の里振興公社の経営で
昼食メニューは
阪井会長おすすめの天ぷらそば1,000円+柿の葉すし2個250円 = 1,250円
「そば」は「ざる」(冷たい)か「どんぶり」(温かい)を選べます。
他にも大助御膳1,500円 内容 = そば、天ぷら、出し巻き、フルーツ(みかん)、コーヒー
他に単品注文でセットにすることも可能ですとある
食後は
→ 真田古墳(真田の抜け穴伝説)→「町家の人形めぐり」特設会場→ 対面石 →
14:00 大石順教尼の記念館 (旧萱野家)
旧萱野家は元禄16年とも、明和2年とも伝えられる創建の不動院という高野山の里坊を萱野家を経て九度山町所有に至っている
大石順教尼(1888~1968)は幼少より花柳界で芸を磨き、その芸は当世一の折り紙つきで大阪勧業博覧会では主役を舞うほどの売れっ子であった
17歳の時養父の狂乱により両腕をなくすが、カナリアがくちばしで雛に餌を与えているのを見て口で筆を持つことに気づき、寸暇を惜しんで練習を重ね、古典、和歌、絵画の道を究め、書では日展に入選、
また、身体障碍者の自立教育の育成にも傾注された
大石順教尼の書き残された資料を中心に、生い立ちを知るビデオ上映などが鑑賞できる記念館で、何度も訪れてみたい施設だ
沢山の遺跡が残る九度山町で、忘れがちな故郷の歴史から自分たちの町に誇りを持とうと頑張っておられる皆さんに最大の敬意を表してお別れの途に就いた
15:00 真田いこい茶屋→ 15:30~16:00 真田駐車場→やっちょん広場→今井町
九度山町は空海の高野山開創によって栄えた町で、寺領支配の拠点、政所を慈尊院に置いたのが始まりで、慈尊院は空海の母親のために建立した寺院だそうだ
鎌倉時代から高野参詣が盛んになり参詣道の町石道が慈尊院から高野山の奥の院までの24キロに216基の町石と里石が道しるべをしており、世界遺産に認定されています
戦国時代には真田昌幸、幸村親子が高野山へ蟄居させられて九度山に閑居しています
現在は柿、みかんなどの果樹栽培が盛んな地域に変貌しているが、残された史跡などを起爆剤として新たな町づくりを構築されて頑張っておられる皆さんの様子をお伺いし、熱いエネルギーを頂けたらと企画した
行程順に1日をたどってみた
8:30今井町華甍を出発→9:30 九度山町役場着 →
「ふるさとセンター4階」にて交流会を開催、
岡本章町長も忙しい時間を調整して参加してくださって歓迎の意を述べてくださった
九度山町住民クラブ会長 阪井賢三様からは「まちは人と人をつなぐ舞台」を理念として、年齢に関係なく「思い立ったときが青春」の情熱に燃える、しかも和やかなまちづくりを目指しています。
素晴らしい町並みを守られている今井町の皆さまがお見え下さることで、こちらのみんなは緊張気味です。至らないところが多々あるかと思いますが、和やかな一日を過ごしていただき、今後の永いご縁に繋がりますようよろしくお願い申し上げます
と、熱い歓迎のお言葉をいただいた
10:40 バス移動で 勝利寺と紙遊苑到着
ガイドのリーダー、九度山町語り部会長(住民クラブ副会長)木村憲次様の立てていただいた行程は 最初に一番高台までバス移動して坂の町を順次下がっていこうと配慮してくださっている
また、恒例の着物姿の参加者にも苦にならないかなりの余裕をみているのもうれしい
勝利寺は空海の厄除け観音を祀る高野表参道の玄関口で高台からの景観は素晴らしい
とこの後 町石道の一部を歩き
、丹生官省符神社
慈尊院へ
丹生官省符神社は空海が慈尊院建立の際、守り神として丹生都比売と高野御子の2神をお祀りしてある
119段の石段を降りたところが慈尊院
ここは高野山の庶務を司る高野政所屋宿泊所を置いた高野山の要所で、空海の母公が晩年移り住み、女人高野と呼ばれ、親しまれてきた
バス移動で
11:40 真田庵
真田昌幸・幸村が閑居した屋敷跡に建つ寺院で有名な六文銭の紋が山門にかかる
境内は真田ゆかりの品々がたくさん残されている
5月に行われる真田祭は総勢500名の武者行列が町を練り歩くそうで、今も真田親子は九度山町民の象徴のようだ
ちなみに武者行列の鎧兜は町民による手作りだそうだが、見学させてもらってその出来栄えの凄さにびっくりした 技術と根を詰めた成果が見える
12:20 幸村庵で昼食
幸村庵は財団法人九度山町柿の里振興公社の経営で
昼食メニューは
阪井会長おすすめの天ぷらそば1,000円+柿の葉すし2個250円 = 1,250円
「そば」は「ざる」(冷たい)か「どんぶり」(温かい)を選べます。
他にも大助御膳1,500円 内容 = そば、天ぷら、出し巻き、フルーツ(みかん)、コーヒー
他に単品注文でセットにすることも可能ですとある
食後は
→ 真田古墳(真田の抜け穴伝説)→「町家の人形めぐり」特設会場→ 対面石 →
14:00 大石順教尼の記念館 (旧萱野家)
旧萱野家は元禄16年とも、明和2年とも伝えられる創建の不動院という高野山の里坊を萱野家を経て九度山町所有に至っている
大石順教尼(1888~1968)は幼少より花柳界で芸を磨き、その芸は当世一の折り紙つきで大阪勧業博覧会では主役を舞うほどの売れっ子であった
17歳の時養父の狂乱により両腕をなくすが、カナリアがくちばしで雛に餌を与えているのを見て口で筆を持つことに気づき、寸暇を惜しんで練習を重ね、古典、和歌、絵画の道を究め、書では日展に入選、
また、身体障碍者の自立教育の育成にも傾注された
大石順教尼の書き残された資料を中心に、生い立ちを知るビデオ上映などが鑑賞できる記念館で、何度も訪れてみたい施設だ
沢山の遺跡が残る九度山町で、忘れがちな故郷の歴史から自分たちの町に誇りを持とうと頑張っておられる皆さんに最大の敬意を表してお別れの途に就いた
15:00 真田いこい茶屋→ 15:30~16:00 真田駐車場→やっちょん広場→今井町
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