梅香のつれづれ日記

今井町から保存活動の情報をお知らせします
今井町にあなたのお知恵を貸して下さい
時には梅香の独り言も書いていきます

空き町家が蘇っていく喜び

2015-09-05 22:59:52 | 発掘、修復
今週もいそがしい週末がやってきた
今日は朝から16時30分まではならぁとのための空き家の整備、放置された家は庭はつる草のジャングル








室内は新建材がカビで膨らんで畳はカビだらけ


作家さんも本気なのがうれしい 庭も室内もみるみる蘇っていく










特にうれしいのは作家さんたちが新建材を積極的に取り外してくれることだ
新建材をはがして行くたびに黒光りした梁や天井がすごみさえ見せてくれる





高度成長期にどう間違ったのか、大事な日本建築にべたべた新建材を張り付ける流行があった
これに逆らい昔の室内の保存を唱え続けていたのがようやく今井町らしい保存の在り方に気づき始めてくれたのは大変うれしいことだ

今井町の旧い町並みと室内の良さを気づかせてくれたのは1部の人たちを除いてほとんどが外部の人たちであった
この町にあこがれて毎年多くの学生たちがボランテイア活動をしながら保存活動を助けてくれている

千葉大学、奈良女子大学、奈良教育大学、そして最近足を運び始めてくれた県立医科大学、奈良県立大学たちの行動も保存活動をいい方向に運んでくれている

今年に入って今井町の空き家はものすごい勢いで蘇っている
そのどれもが以前と違って保存に近づけようと努力してくれているのを感じることが出来る
これは施主さんの意識もさることながら市の出張機関の今井町並整備事務所の担当者の保存に対する強い意識の結果が大きいと思う
毎週のように空き家の整備が続いているが、老体に鞭打って頑張れるのは、目に見えて旧い黒光りする躯体が現れる喜びがあるからだろう

今井町環濠発掘調査の成果を博物館で展示しています

2014-12-12 11:37:30 | 発掘、修復
カテゴリー「発掘、修復}で2度にわたり拙ブログに今井町での環濠発掘調査の公開を掲載してきたが、今回12月6日から26日まで新設された「歴史に憩う橿原市博物館」でその時の模様が展示がされています



テーマは「今井町から江戸時代を語る」ー今井寺内町発掘調査の成果からー としている(織田信長を語るのに江戸時代のタイトルは如何かと思うが…)


今井町の環濠の発掘調査はこれまでにも9回にも及ぶ発掘調査をしているが、そのことごとくが一般公開もされず埋め戻されてきた

2011年11月に行われた発掘調査は大々的に一般公開をしていただき、多くの方に関心を深めていただくことが出来ました


 


実態を目のあたりにしますと、歴史は途端に身近なものになります 発掘調査を見た方のその後の皆さんの話題はずいぶん変わりました






織田信長と対峙した今井町の姿勢が評価されるようになりました
そして今回の発掘調査では旧環濠のすごさを再認識しました







江戸時代ではない、今井町は織田信長を語らなければ、片手落ち、今井町は中世、戦国時代から続く歴史を評価できる町だ、それを江戸時代という言葉を今井町の冠詞化、慣例にしてしまったこれまでのPRを置き換えやすくする大きな調査だとも思っている
実物を見るということは大切なことだと実感しました

タイトル変えてほしいな!

それはともかく現地の発掘調査をまだ見ていない方やもう一度見たいなと思ったり、説明を聞きたいなという方は「歴史に憩う橿原市博物館http://www.city.kashihara.nara.jp/hakubutsukan/」までお出かけください


出土品を整理しているのをガラス越しに見える窓際にいい展示コーナーが出来ています









2階には今井町の常設展示コーナーもあり、これまでに埋め戻された環濠からの出土品や今井町の時代を追っての歴史がわかりやすく展示されているので此方にも足を運ぶことをお勧めします


余談ですが、この博物館を企画、設計したkさんは私が所属している「地域づくり支援機構」の先輩で、今井町にも再々足を運んでくれています

今井町で旧い3重環濠遺跡が発掘された パートⅡ

2014-12-04 00:24:35 | 発掘、修復
11月28日、今井町の西側、春日神社の裏手で旧環濠の再度の発掘調査が行われていた
その結果の現地説明会が橿原市教育委員会によって行われた


前回、2011年11月30日の拙ブログ「今井町で旧い3重環濠遺跡が発掘された」で記載による発掘調査により見つかった3重堀の再発掘で、より精度な今井町の環濠の様子が判明した 

当日説明会で配布された資料を下記に掲載したが、




織田信長が侵攻してくる以前の今井町の防備の固さ、これをなしえた一向宗の団結心、財力の豊かさに驚かされる


遺跡断面はその後の信長との和睦条件の一つ、外堀を埋めるという事実も判明、徳川家康が大阪城の堀を埋めさせた史実と重ねあわせて、早い時期にすでに身近なところで同じ戦術を見られることができた

また、遺物の中に鉄砲の弾丸らしきものも2個見つかった


と遺跡から現在の状況までの経緯がかなりの精度でこれまでの資料や口伝を証明できたことか、






















今井町の堀は何度も掘り直しや、岸の修復が繰り返され、町の人たちによって共働管理していた様子がうかがえる  そして管理の行き届いていた時代には遺物が少なく、江戸時代後期から町の衰退と同じくして投棄残骸物が多くなっていく事実は、現在町を守る我々にとっても厳しい教訓に思えた

この場所は行政の指導により、今井町を観光の重要な拠点にしようとする一つとして交通広場を計画しているところで、そのための発掘調査で見つかった3重堀の再調査であり、江戸期の新堀までの復元は約束してくれているが、今回新たに判明した織田信長侵攻時に既に存在していたもっとも古い大規模な環濠跡は今回の調査でどこまで残してくれるのだろうか

環濠集落今井町の名がいろんなところで言われているのに、一部の復元しかできず、発掘調査ごとに埋め戻されてきたこれまでよりは、多少前進しているが、判明したものを最大限に残して、後世に実物を見せてあげるのが、中世の町並みを残す上で一番大事なことではないだろうか

現場説明会でも、橿原市伝統的建造物群保存地区保存審議会でも、今井町町並み保存住民審議会でも伝えてきたが、今井町の東側で卒川がなくなり、どこにでもある都市公園になってしまった前例のように今回も私が望む保存は夢、うたかたに終わるのだろうか
町案内で得意になって今井の先人たちの遺徳を説明できる宝物を残してほしい!



稱念寺本堂保存修理現場見学会 

2014-09-30 08:57:59 | 発掘、修復

今井町の寺内町を形成する核であった重要文化財 稱念寺本堂は保存修理のために平成22年4月から奈良県教育委員会文化財保存事務所により着手し、総事業費約16億円で平成31年12月の竣工を目指して解体、調査が進められています






稱念寺は浄土真宗本願寺派の御坊で、天分年間(1532~55)に道場が建てられ、その後、寺内町今井成立の中核を担ってきました
本堂は桁行20m、梁間21mの入母屋、本瓦葺の建物で、江戸時代前期の建立と考えられている

9月27・28日、本堂の覆屋の中で行われている解体修理と調査の進捗を一般公開してたくさんの方が専門家の説明を聞いていた


これまでの工事の進捗を示すパネルも掲示され、解体された瓦、破風板、懸魚、蟇股なども目の高さで見学でき、その規模の大きさを実感できるいい機会であった







前回の見学会ではまだ瓦が載っていたが今回は天井裏の木材の木組みが一目で見渡せて壮観であった










工事はまだ半ばを過ぎていない、10年かかる平成の大修理に立ち会える幸せを感じることが出来る事業である

平成の大修理ー行者堂の落慶法要

2014-03-16 22:29:56 | 発掘、修復
3月16日(日)春日神社境内にある行者堂の大修理完成の落慶法要が行われた

毎年、7月7日に行われる行者講では、各家庭から持ち寄った護摩木を祈祷して焚き、親しまれている



行者堂の建築年代は不明だが、町史には旧常福寺行者堂とあり、同観音堂が慶長15年と判明しているのから見て、同じ頃の建造物と推察できる
そして寛政5(1793)年5月に芝村藩と南都五番所に修復、再建の儀を申し上げ、同8(1796)年、江戸表より許可が出て再建したと記録にある
以来、200年を経て、再修理の必要性から平成24年住民審議会で議題に取り上げ、行者堂再建委員会を立ち上げ、住民からの浄財を軸に重要伝統的建造物に対する補助金を頂戴して再建が始まった、

お祓いをすませて、



今井町の建築関係の業者が力を結集、このたび完成を見たものである

晴天に恵まれた境内では、式典に多くの来賓を迎え、町の人たちもたくさん集まり盛大に挙行された





呈茶席ではお抹茶の味を楽しむ方も多く見られた


今井町の行者堂改修は民間の浄財で

2013-03-22 22:44:04 | 発掘、修復
重伝建地区今井町は中世の町並みが残る貴重な文化資産として全国的にも有名です




この町は1300年代に奈良・興福寺領として初めて文献に見えることから、春日神社はその頃にはすでに存在したものと思われます




現在、その境内には春日神社を主祭に、7つの摂社と常福寺・行者堂の2堂がまつられています


これらはすべて重要伝統的建造物群保存地区内にあり、条例により守られていますが、行者堂は天台宗多武峰末に属していたものが、明治の廃仏毀釈で廃寺になった常福寺の一堂で、役行者をお祀りし、毎年7月7日に行者講が中心になって護摩木が焚かれ、今井町の各戸の安全が祈願されます


その行者堂の痛みがひどく、修理が必要の旨が行者堂を管理する行者講からありました
今井町の各種団体はこの問題を住民みんなの課題ととらえ、修復費用の確保に立ち上りました


かねてから私は自分の町は自分で守るを基本方針にして、今井町町並み保存会の活動をしてきましたが、いま、小さなお堂を中心に、今井町のみんなが修復基金を集めようと意志が統一していることは大変意義の深いもので、これまで行政に任せて補助金を申請することが町づくりや、地域づくりの定番のようになってきた体質からの脱皮は、大きな価値を生み出すと確信致します
今回の工事も行政からの補助金が投入されますが、その数倍の基金を町民から賄うため立ち上がったのです
官民がうまくかみ合った資金繰りがなされていると思います




3月16日、いよいよ改修工事に向けての準備、行者様や不動明王様のお性根抜きが厳かに執り行われた
重伝建地区今井町の保存問題は単に今井町だけの問題ではなく、広く日本中に認識をしていただきたいもので、この機会を通して各界で御活躍の諸氏にもご理解、ご賛同をいただき、補助金ではなく民間の浄財をお願い申しあげたいものです

[稱念寺本堂」の工事もいよいよ本堂を覆う屋根工事に着手

2013-02-21 14:14:56 | 発掘、修復

今井寺内町の核、重要文化財「稱念寺本堂」の工事も3年目になりますが、周辺整理工事も落ち着き、いよいよ本堂を覆う屋根工事に着手されることになり、2月20日、関係者や町の方たちへの見学会が行われた

この工事は本堂の解体修理を安全、かつ、天候に左右されずに短期間で実施できるためのもので、素屋根が完成すると鉄骨造で東西35.6m、南北41.75m高さ20.14mの規模で本堂を覆う今井町は立地が大藤原京内で、埋蔵文化財包蔵地であるため、工法では掘削を行わないのも特徴だそうだ






普段は見上げるばかりの大屋根を平行視線で見学でき、専門家の解説もしていただき、改めて平成の大事業もいよいよ佳境に入るのだなと実感した


住職さん、檀家のみなさん頑張ってください






今井町で旧い3重環濠遺跡が発掘された

2011-11-30 11:12:29 | 発掘、修復
16世紀後半に戦国武将信長と対抗した一向宗寺内町今井町の武装宗教都市の外環濠跡が発掘された


今回の発掘調査の説明会は11月26日午前9時30分からと10時30分からの2回行われ、約 500人が熱心に説明に聞き入っておられた


場所は今西家(写真)の西南、春日神社の西背面





その幅は15m、当時の巨大要塞都市として天下の織田信長をして脅威を感じさせ、天正3年に石山本願寺が信長に降伏したとき、今井町は明智光秀、今井宗久、津田宗及等茶人たちの仲立ちで信長が下した存続条件は土居を崩し武装解除し、商いの町への専念だった

外堀はその時埋められたもので、子供の頃、今井町にはまだ内堀が健在で、古老たちからはさらに外にも堀があったことを聞かされていた




発掘からは外堀の遺構もさることながら藤原京の条理跡と
みられる規則正しい畝が見られたが、こちらも貴重だなと思った

今回の発掘調査は橿原市が今井町来町者のためのバスを含めた駐車場計画の進行中に発見されたものであるが、市長も遺跡を保存の方向で検討する意向を示したのは嬉しい
しかし、過去の発掘調査に於いて
1975年、を初め、1995年から今回まで9回、環濠に関わる発掘調査がなされてきているが、本物の復原堀は1か所もない、どころかほとんどが姿を消し、色々な解説書や案内誌などに「環濠都市今井」と紹介されているのははずかしいかぎりだ

今回の遺跡こそ本物の復原をして、世界遺産を目指している我々の運動の大きな看板にしていきたい
29日の今井町町並み保存会の役員・常任理事会に於いても保存会は全面保存を関係先にお願いしていくことを発表した