梅香のつれづれ日記

今井町から保存活動の情報をお知らせします
今井町にあなたのお知恵を貸して下さい
時には梅香の独り言も書いていきます

考えるより動き始めたらどんどん夢は実現していく

2015-04-04 00:41:41 | ハネダ
中国上海から今井町に
中国上海で中医科 内科・小児科・皮フ科・外科整形外科・唄科・目口科・泌尿劔科鳩人科・中医科・リハビリ科・歯科というびっくりするような科目の医学博士夫妻(奥さんも医学博士)が子供さんを連れて来町、3月16日~18日まで我が家で滞在中に子供さんの今井小学校入学を決定、住居を決めて住民票を今井町に移して一時上海に帰国、4月1日、再来町されて生活必需品の調達に奔走されている
今日は子供さんのランドセルや机などを買いに同行してあげた





そもそも今回のきっかけは奈良県出身の主人が中国医学の勉強で上海にわたり、医学博士を習得、上海人の奥さんと結婚されて、夫婦で中医医師として活躍されている

二人の間に生まれた子供さんと、日本を知らない奥さんに、優れた日本の文化を知ってほしい、それには子供が小学生になる今しかない、すなわち日本の入学時期4月と中国の入学時期9月のズレを活用して4月から8月末までを日本の小学校に入学して、奥さんも日本語を勉強してもらおうという計画です

主人はもともと月に1~2回、東京や大阪に講義などのために帰国されていたこともあり、このような発想が生まれ、その基地にもなりそうなところを探して今井町に落ち着いたということです

今回の今井町の決定となった原因は地域支援機構でインバウンド事業を進めておられる吉田遊福さんとお知り合いになり、吉田さんからお問い合わせがあったので受け入れ準備をしたということです

決定打は
1、我が家で過去にたくさんの留学生や大学生が長期滞在しているので万が一棲む家さがしが長くなっても面倒を見てあげられること

初来日の3日間はお雛さんがお出迎えの我が家で過ごしてもらえた


2、インバウンド流行の昨今、早くから御土産をより多く買ってもらえる観光をよしとする傾向を、どの地域にも同じような方法で入れようとする傾向ではなしに、少数でもいい、長期に滞在して地域を根本的に理解してもらい、PRしてもらえる来町者を増やしたいの思いと

3、旧い日本の文化がたくさん残る今井町の景観、諸手続きから接した周辺の人たちの親切さを感じられた




町家でのお客さんをお迎えするイベントが来日中にあったので町の人たちと一緒に作業をしていただいたが、子供さんもみんなに可愛がられて親しんでいた

が合致したことが決心された大きなきっかけだと思います

更に手続きや準備を進めていかれるうちに
1、今井町は関空から1時間で来れる至近距離にある
2、大阪、東京への移動が大変便利なところにある

ということに気づかれて、来日ごとにホテルを探すよりは子供が中国に帰る9月が来てもさらに長期的な基地として今井町に住宅を持っておくことも視野に入れることも考えはじめられたようだ

更に今日、イオンモールの知り合いに問い合わせてわかったことは
1、イオンモールには免税店が8店ある

2、今回の話や先のインドネシアの留学生ハネダがいた頃に免税点があったらもっと喜んだのに、と提案したら3時間ほどの間に1店増やせて9店になった 今後も増やしていく努力をすると追加の連絡をくれた

参考までに現在のイオンモールの免税店は
テナント名
スポーツオーソリティ
アスビーキッズ
アスビー
ジュエリーツツミ
ビースリー
カメラのキタムラ
ファイテンショップ
ザ・ボディショップ
スコットクラブ

考えるより動き始めたらどんどん夢は実現していく
長らく続けてきた学生、留学生などへの町づくりの想いが少し前へ進み始めた
4月9日の入学式はさらに大きな夢の第1歩になってくれるだろう


今井町が奈良県の中央にある交通の便利さを感じてくれるのは、国際的な視野を持つ人たちで、旅行業者や、地元民では知りえない視線だと痛感した

今年も留学生とお別れのときが来た! 寂しくなるね!

2014-02-06 00:11:18 | ハネダ
昨年度はインドネシアからの留学生ハネダが1年間わが家から高取国際高校に通学していた
そして茶道と書道を厳しく指導した

その関係で今年もインドネシアから高取国際高校に留学したナデイア サルサビラという女性が書道を教えてほしいと申し出てきた
インドネシアにはハネダを通じて好感度満点、即座に承諾した


ハネダのように毎日というわけにはいかないが、1~2週間に1度の間隔で練習に通ってきた



そして新年の大三輪神社の書初め大会に出品の半切に漢詩の課題で練習を重ね、挑戦して優秀賞を受賞した

その彼女も2月9日には日本を離れる日が来た
別れはさびしいが今日はともに書道を練習してきた子供たちが、それぞれ100円ずつで、思い思いに買ってきたおやつを持ち寄り、子供らしいお別れ会を開催してくれた
まず、大きな和紙に思い思いに寄せ書きをして












持ち寄ったおやつを広げて思い出話、




子供たちは「日本語が上手なのにびっくりした」「すぐに字が上手になっていくので感心した」とか、「楽しかった」、
ナデイアは「小さい子が上手なので負けないように頑張った」「みんな笑顔が素晴らしかった」などと1年を振り返ってくれた

小さな小さな国際親善がこのような形で続いていくと、子供たちは学問ではない体感からの国際感覚を知らず知らずのうちに身に着けていくのを実感する


今年もいい留学生に出会えたことに感謝!
また、日本に帰っておいで、今井に帰っておいでと言ったら「帰りたいです!」と目をウルウルさせていた


ハネダの後のナデイアも書道はお上手!

2013-12-25 19:36:45 | ハネダ
昨年2月に帰国した我が家の51番目の息子(過去のブログを知らない方はご免)インドネシアからの留学生ハネダは書道、茶道の日本文化を貪欲に吸収して日本人もびっくりの才能を見せてくれたが



(帰国直前に書道の個展と茶会を開催してあげた)


(大和文華館でお点前を披露するハネダ)

今年も秋から同じインドネシアからの留学生ナデイア・サルサビラが書道を習いに通ってくるようになった
彼女もその才能はすごい!
日本語はハネダよりうまい!
書道も呑み込みが早く、同じ過ちを2度繰り返さない、

子供たちも2度目の外国人なので挨拶もインドネシア語でセラマトテインガル(さようなら)・サンパイジュンパ(また会いましょう)と滑らかなものだ



今日は三輪さんの書初め大会に出品の漢詩半切に挑戦してもらったが、これも呑み込みが早い、いい雰囲気の作品を作っていく
しかし、彼女も2月9日には帰国の途に就く
残りの期間に書道のポストカードをたくさん作ってお土産にするのだと追い込みをかけている
貪欲な学ぶ姿勢はいつの間にか忘れてしまっている日本人への警鐘か? 子供たちも彼女と一緒のときは頑張ってくれる
いい傾向だ!




ハネダからの便りが届いた

2013-02-28 13:59:28 | ハネダ
帰国後はじめて、羽田から便りが届いた

おとうさん おかあさん
おはよう ございます
おげんき ですか?
インドネシア に かえりました
いち ねんかん たのしかった
いろいろ いい けいけん を もらいました
いま は さいご でわ ありません
これから は はじまります
にほん ご は とても むずかし けど
これから も もっと がんばります
かもつ は まだ きてません
また にほん に かえてきます
よろしくおねがい します


2月3日、成田空港を飛び立って、初めての便りは


インドネシアについて家族との出会い、インドネシアのお母さんが空港で撮った写真で、ハネダの日本でも本当にうれしいときにたくさん見せてくれた、本当にうれしいときの笑顔を見ることができた

わたしたちと最後の一日は
普段通りの朝を迎え、昨日までの荷物を再確認をしたらもうお昼、日本のお父さん、お母さんとハネダとこたつに入って3人だけのお昼ご飯、
13時、荷物を車に積み込んでいると、今井町町並み保存会や近所の方たちがたくさんお別れに集まってきてくださった 幸せな奴だな! みなさんありがとう

京都につくと、まず西本願寺にお参り、御影堂にひざまずいて、先祖にハネダとのお別れを報告、1年間健康に過ごしてくれたことの感謝をした




さあ、日本最後の食事は? いろいろ話し合って牛肉のしゃぶしゃぶ、思いっきり食べる食べる、気持ちいい食いっぷりに満足した




はじめて大阪に迎えに行ったときのハネダの「お父さん」の一言から始まった1年は日本人でも忘れてしまっている日本人の魂のなんたるかを真剣に体験し、考えた1年であったと思う
京都駅で関西圏に散らばって留学していた仲間たちと再会し、それぞれの家族と別れを惜しむ




京都からは夜行バスで成田へ






そして成田空港では千葉大学のお友達がたくさん見送ってくれた
届いた便りはたった13行、だけど、ハネダにも、我が家にもどれだけ長い、深い信、愛、敬の心が行き交い、残しあえたことだろうか 今井町を通じてハネダと関わってくださったみなさん ハネダの届いた便りの
これから は はじまります
また にほん に かえてきます

の言葉を信じて大きく成長してくれることを祈ってあげてください
ありがとうございました

帰国間近の羽田…書道と茶道の発表会

2013-01-27 00:16:10 | ハネダ
1月16日(水)、我が家の初釜はハネダの書道と茶道の1年の成果を見ていただく発表の場とした


お茶席にお呼びしたのは1席10人づつ3席で30人、


例外に飛び入りでお祝いに駆けつけて下さった方や、

書道の作品展だけ見に来て下さった方30人ほど



とお手伝いの方などで平日なのに70~80人の方が関わって下さった

志を高く持つ若手の国会議員、教育長、市の幹部職員の方やN銀行の支店長などの要人、




町の方々やお茶の先輩、書道の仲間、


と広い顔ぶれが参加していただけたが、そんな方々に臆することなく、堂々としたお手前を披露したり、


見ていただいて決して恥じない作品を作り上げたハネダの努力に最大の拍手を送りたい


玄関を入ったお客様は、まず、ガレージに展示したハネダの水墨画、書、そして来日からの1年を物語る写真、メッセージなどをご覧いただいて、待合へ、
1席ごとにお呼びした方たちがお揃いになるとお席に、

そしてハネダの登場


当日はtetsudaさんのお父さんから頂いたはかま姿で、インドネシアに還っても手軽に使える盆手前を披露しました
お客様の応答にも答えながらのお手前は堂々としたもので、師匠の前本先生も親父の私も謙遜しながら内心鼻高々、うれしいものでした(良く稽古してくれたものね)


3席目のお客様をおもてなししながら、過ぎし1年を思い起こして話し合っているとき、良くやったねと言うお客様のひと声に万感迫るものが来てつい潤んでしまいました
ハネダにとっても、私たちにとっても今日は一つの大きな節目の1日になるでしょう




奈良県内留学生の日本語弁論大会でハネダは留学の思いを語る

2013-01-06 00:09:47 | ハネダ

第22回 奈良県留学生・研修生の日本語による体験発表会が昨年12月22日(土)天理教校学園で開催された
応募資格は奈良県内に在学している留学生(大学(院)、高専、高校生)並びに県内施設で研修中の研修生を対象とする日本での体験を日本語で語る弁論大会で、今回の参加メンバーは大学(院)生6人、高専2人、高校生7人の15人で、我が家にホ―ムステイして息子と呼んでいるハネダ(インドネシア高校2年生)が留学中の高取国際高校から推薦を受けて出場した


スピーチの持ち時間は5分、それぞれ日本での体験や、気付き、など色々な視点からの日本感を発表するのを聞いて逆に気付かせられたことが多かった
限られた範囲の中での発表会だったが、日本人でない視点からの日本を見ているだけに貴重な気付きをもらい、これは観光に従事する者など、もっと広い範囲の人に聞いてほしい内容が多かった

その中で我が家のハネダの発表は特に異彩を放っていた
発表内容の制作過程は、まずインドネシア語で原文を作成してこれを英文に直したものを担任の先生に日本語に訳してもらったものだ

当日、早めに出かけたハネダは、先生に申し出て、制服を羽織、袴、白足袋と草履姿に一人で着替えての登場、遅れて会場に到着した私はちゃんと一人で着物を着こなしていることに一安心


茶道にのっとった御礼をするとおもむろに発表を始めた


ハネダの発表内容は大きく4段階に分けることが出来る

最初は日本に興味を持った動機から弁論は始まる
私の名前はハネダです。私は黄金の国インドネシアから来ました。
私は以前にある映画を見ました。すばらしい映画で私の生き方を変えました。また、本当の人生の意味も教えてくれました。その映画は「ラスト・サムライ」でした。タカモリやその他の偉大な人の話でした。
タカモリは、「サムライにとって強さや熟練が重要ではない。サムライは本当の生き様を見つけることを学び、生き様を見つけなければならない」と言っていました。

また、私には大きな疑問がありました。
第2次世界大戦と広島・長崎の原爆の後で、どうして日本人は元気を取り戻せたのでしょうか。どうして日本経済が他の国より発展したのでしょうか。どうして日本人は自分の国の文化に自信を持っているのでしょうか。
宮本武蔵の「五輪書」が答えをくれました。日本人は「武士道」とともに生きているのです。サムライは武士道を子供につたえ、現在にいたっているのです。

 「恥よりも死を」という考え方は私の生き方に大きく影響を与えました。私が日本に来た理由は、日本人が武士道の精神とともにどのように生活しているか知りたかったからです。


来日間もない頃に彼が持参したインドネシア語の1冊の本に宮本武蔵の百舌鳥の図を見つけ、水墨画で模写を教えてやりながら話をしていると、「武士道」と「五輪の書」という本を持ってきていることが解った
そして来日して9カ月、今日までの彼から見た日本感をインドネシアで抱いてきた武士道と生活の中から重ね合わせ的確に見抜いています


1 サムライは、生き方や集団の規律をまもり、それが何年もの間に日本社会のすみずみまで広がり、いまの日本人の考え方に影響しています。
2 この規律は「武士道」として知られていています。「ぶし」とはサムライのことで、「どう」とは道のことです。このサムライの道は、忠誠心、正義、自己犠牲、そして名誉のような価値のつながりが基本になっています。
3 武士道は、日本社会、日本人の心、家族や企業、そして、今でも一般に存在しています。
4 日本人は忠実で、正直で、誠実で、仕事でも訓練されています。昔、サムライがそうであったように、日本人は規則を守り、毎日自分を高めようとしています。
5 学生は、先生に忠実で、労働者は会社に忠実で、多くの人たちが家族や会社の名声をまもろうとしています。


この考え方の基本と成しているのは彼なりに日本人の生活の場にも「道場」があると考えたようです
6 武士道は2つの宗教の教えに影響を受けています。それは、禅宗と儒教です。
7 禅は6世紀に中国から来ました。そして儒教も12世紀に中国から来ました。
8 禅は、心と体が一体になることと、心を真っ白にする心の平和の状態をもとめることで、悟りを達成することを目的としました。
9 たとえば、私が今習っている「茶道」や「書道」です。どちらにも「道」の言葉がついています。
10 サムライについては、禅の修行と理解が戦いでは心を落ち着かせ、我慢強くさせました。また、もっとひどい状態でも怖れに負けることはありませんでした。
11 このことで、私が出会った日本人は静かで我慢強いのもわかります。
12 人間関係は儒教が社会の基礎になっています。先祖や知人や目上の人を尊敬しなければなりません。
13 現在でも日本人は心に儒教をもっています。なぜなら、家庭でも職場でも目上の人を大変尊敬しているからです。
14 「忠誠心」はサムライの一番大切なものかもしれません。サムライは君主に忠誠であろうとし、毎日君主のために命を危険にさらしていました。
15 サムライは人生に後悔を残すことがなければ、死ぬことを気にはしませんでした。サムライはいつも忠誠であろうとし、恥ることがないようにしていました。
16 「恥よりも死をえらぶ」はサムライの考え方でした。ほかにも、武士道には「正義」「哀れみ」「礼儀」「誠実」の考えがあります。


そして今後の自己の方向性を述べて締めています


以前、両親が私に言いました。「インドネシアが与えてくれることを望んではいけない。問題は、おまえがインドネシアに何ができるかだ」
 今はその問題に答えることができます。
「武士道の精神」でインドネシアの人々の道徳心を高めよう。
みんなを元気づけよう。そしてインドネシアをもっと良い国にしよう。
私はインドネシアの人たちに日本での体験を伝えるつもりです。

ご静聴ありがとうございました。



滞在9ヶ月目の彼の原稿を初めて見せてもらったときに彼の日本感は我が家と学校から広がった彼が関係した中での出来事で、我が家を中心にして彼が見た姿に改めて背筋が伸びる思いがするとともに、私の信念と、それを支えてくれる周辺環境にあるべき道が残っていたことを確信しました

生まれて初めての雪体験

2012-12-13 16:51:59 | ハネダ

12月12日、我が家の息子ハネダ(インドネシアからの長期留学生)が待ちに待っていた雪体験をした
12月10日に降った今年初めての雪を見せてあげようと洞川まで走った


黒滝ではもう大部分が溶けてまばらになった雪でもおおはしゃぎのハネダは、長谷を過ぎたあたりから真っ白な雪景色に大興奮




幸い通行量も少ないので彼の要望に応えて


車をとめたり徐行したりして写真を撮りながら洞川に到着、




車から降りて初めて手にした雪に「冷たーい」




つららを見て「あれ何、あれ何」としきり!


更に奥へ山上ヶ岳登山口の大峰大橋まで来ると




積雪も30センチほどあり、だれにも踏まれていない新雪に入って大喜び…


女人結界石のところで、山上ヶ岳のいわれや、役の行者の話をして日本の登山の発祥地、山岳宗教の話などを聞かせると




今井町の行者堂の夏の行者祭りを覚えていて、案外呑み込みがいい、



10日の大雪であわててスタッドレスタイヤに履き替えたばかりで、新雪の中を感触を楽しみながらのドライブは私も楽しかった、車も四輪駆動を十分発揮させて御満悦の走り
たのしいドライブだった
赤道直下の常夏の国から来たハネダもすごい体験が出来たと喜んでいた
一つ一つ、時間をかけて日本を体験し、四季を通して日本の自然を体感してきたハネダも2月初めにはインドネシアに還ることになるので、これからは総まとめしてしっかりと日本の1年を振り返る時間にも当ててあげたいと思っている

afs留学生たちが今井町で勉強 

2012-12-11 15:55:13 | ハネダ
12月10日(月)、AFS機構を通じて奈良県でホームステイしながら高校に通っている我が家の留学生ハネダの仲間7名と震災被災地の宮城でのボランテイァを終えて数日間奈良県滞在の短期留学生12人がAFS役員に引率されて総勢24名で今井町の勉強に来た



ハネダは私や家内と同じように着物を着て今日はホスト役で皆さんをお迎え、知り尽くした町並みをうまくガイドしている





今日は参加者の半数以上が被災地、宮城を見てきた後なので、今井町の防災対策を重きにおいて散策した

まず、八木西口駅で集合した一行は今井町の消防車格納庫に出向き、待機してくれていた橿原第9分団の消防隊員たちの出迎えを受け、消防車の機能などの説明を受けた









みんなまさか消防車が触れる至近距離で活き活きとした実体験が出来るとは思っていなかったので、びっくり、更に消防車に載せてもらえるとわかって大喜び、ご互いに記念写真を撮り合って悦に入っていた













あまり時間が取れないのでお世話になった消防隊の方々にお礼を述べて町歩きにスタートをした











タイムスリップした今井の町並みと着物姿は相当インパクトがきつかったのか、町中では記念写真のモデルを沢山せがまれた
町中では2カ所の防災小屋で地下水槽の説明や防災意識の話をしながら歩いたが、あまりにも寒い日だったので昼食は我が家を開放した、床の間や襖の習字、庭園が大変珍しいのか沢山写真を撮っていた








狭い部屋に押し込められたような状態での食事だったがみんな感謝の気持ちを心得ていて気持ちが良かった
午後からは畝傍高校で色々と体験学習したり、歓迎交流会で親交を深めた様だが、若い彼等から見ても今井町は日本らしさが満載の魅力ある町に映ったようだ
単なる外国人観光客誘致ではなく、つつましくおにぎり2個づつのお昼ご飯を、寒さを凌ぎ合いながら、語り合って過ごす外交はきっと本物の体験として土産に持ち帰ってくれると信じています

留学生ハネダは茶人

2012-10-17 10:08:56 | ハネダ
大和文華館で10月7日から開催されている特別展「清雅なる仏画」展の初日7日に館の依頼で淡交会の前本先生一門がお呈茶席を開催、たくさんの方に喜んでいただいた

我が家のインドネシアからの長期留学生ハネダも日ごろのお点前を一生懸命披露、

着物姿も板について

堂々としたものでした

10月27日には奈良工藝館で開催の奈良工藝フェステイバルでも12時20分から14時10分までハネダと私たち家族でお呈茶席に参加ご奉仕させていただきますので、時間のある方はお立ち寄りください

「奈良工芸フェスティバル2012
       - 伝統の美を紡ぐ… - 」を開催します!!
「奈良工芸フェスティバル2012
       ー 伝統の美を紡ぐ… ー 」を開催します!!
■日時 10月27日(土)~11月4(日)午前10時~午後6時
■場所 なら工藝館(阿字万字町1-1)
■内容  ★特別企画展示
   一刀彫・赤膚焼等の奈良工芸品の新たな取り組みとして、テーマにふさわしい展示をします。 
 ★奈良工芸品販売 
   販売コーナー商品2割引で販売します!
   ポストカード、透かし楽彫りのコースター、奈良晒のポーチ、ふきんなどかわいい小物も取り揃えています。
   一刀彫の雛や兜もあります。    
 ★制作実演 ★制作体験(申込必要)
   ●一刀彫…来年の干支「巳」づくり
   ●秋篠手織…木綿のテーブルセンターづくり
   ●奈良晒…麻のテーブルセンターづくり
   ●とんぼ玉…とんぼ玉づくり
   ●楽しい絵手紙…秋の素材や来年の干支「巳」等を描く
   ●古楽面…不空羂索観音の彩色
   ●木工…組子細工  
●陶芸…粘土1kgで湯呑や茶碗等自由制作  
 ●竹細工…茶杓づくり、お箸づくり
奈良工芸品が当たるお楽しみ抽選会もあります!

  
イベント情報
開催日:2012年10月27日 から 11月4日
このページのお問い合わせ先
観光経済部 商工労政課
電話番号:0742-34-4741
Fax番号:0742-36-4058
メールアドレス:shoukourousei@city.nara.lg.jp

我が家の息子・ハネダはインドネシアからの留学生

2012-08-28 15:40:12 | ハネダ
「ハネダ・キヨサキ・アルファブシ」

我が家で3月23日から来年の2月までホームステイしながら高取国際高校2年生に通うインドネシアから来た留学生の名前

かねてから今井町町並み保存の知名度を上げたいためにPRに精を出していたが、理想が高過ぎてなかなか地元奈良では思うような成果が出ない時期が続いていた頃、世界遺産クラスの今井町ならいっそのこと外国の人たちにもPRして今井町を理解してもらおうと知り合いに話をしていたらtetsudaさんが沢山の方を紹介してくれた
その内の一人、奈良女子大のM教授(AFS奈良支部長)から留学生に今井町で研修していただけないかというお申し出があった
書道とお餅搗きと着物体験で町を楽しんでいただいた



また、南都銀行のインターシップで中国からの留学生を迎えることもあった
その他、外国に強い新公会堂の館長Yさんを御紹介いただいたのも、オーストラリアからのAさんを紹介していただいたのもこの頃であった

また、我が家に研修とイベントのお手伝いに還ってくる学生たちの中にも中国からの留学生が混じるようになってきたり、ハンガリーの青年が泊るようになってきたり、シリアからジャイカを通じて視察に来町など効果が見え始めてきた



そんな時、MさんとYさんから奈良県中南部でインドネシアからの留学生を約1年間ホームステイしてくれる方を紹介してくれないかと相談が来た
学校は高取国際高校へ通学、報酬は無し、弁当は作って持たしてほしい
イスラム教徒なので豚はダメ、真夏に1カ月の断食(朝3時までに朝食を取った後は夜7時過ぎまで食事はおろか水分もダメ)がある
各方面に打診したがすべてやんわりとお断りされた

ふと気が付いたら今井町を海外に紹介したいと言っている自分が対象に入っていない
自分が引き受けたらいいんだと家内に相談(というよりいつもの通り告知)して我が家で引き受けましょうと二人に告げた
このために予定していた我が家の改修を断念して応接間のセットを出して彼の部屋にあてがった

こうしてやってきたのがハネダ君
3月23日、京橋駅で奈良県に滞在の5人に交じって降り立った彼が発したお父さん、お母さんの声に家族を確信した

しかし、日本語が通じない
あわてて電子辞書を買ってきて、遠い昔に習った英語の単語を並べるが、インドネシア語が母国語の彼の英語もあまりしっかりしていない



あの手この手を使っての珍会話が始まったが、かれの素直で陽性な性格で最初から馴染んでくれた
そんな彼に最初に聞いたのは
1、名前とその由来…彼の父親が2年間日本に滞在していたそうだが、最初に羽田空港で出会ったキヨサキと言う日本人に親切にしていただいたので、わが子に命名したとのこと、因みにかれの兄もナリタ・マツオカ・という日本名が付けられており、親日家で生まれている
2、 日本で何を学びたい…日本語と日本文化
3、 将来何になりたい…外交官になって大使官になりたい
これは良い息子が出来た 大事に躾なければ

まず最初に教えたのは食事での配ぜん
1、 お父さん、お母さん、ハネダの順に配ぜんすること
2、 お客さんが来たときの自分が座る位置を感じること
3、 必ず挨拶をすること
4、 必ず有難うのお礼が言えること

後は感の良い子でのびのびとさせ、町の行事には出来る限り参加させているが、喜んで参加しているので、みんな大事にして仲間入りさせてくれ、早い時期に町の多くの人と言葉を交わし、可愛がられている





今は週に1~2回の書道の練習と、月3回のお茶の練習を楽しみにしている

朝も早い、家内が起きるとすぐに起きてきて、雨戸をあけてクリーニングと称して庭掃除、草ひきをしてくれる(最初は雑草と茶花との区別がつかず、すべて引き抜かれて困ったこともあったが)
庭木の剪定を教えたり、マンションの掃除を手伝わせたりするも、すべて喜んで汗を流しているのはこちらも気持がいい

文化の違いでお風呂はシャワーだけとか、断食の1カ月は食事のズレなど不満がないと言えばうそになるが、それらをすべて帳消しにする未来を感じさせる息子が持てたことがうれしい

いつのまにか滞在期間の半分を過ぎたが、ハネダならと言う事で断念していた我が家の改修を行ったが、不便な2カ月余りの仮住まいも苦にせず、大工さんに可愛がられて、お手伝いをして喜ばれていた

1日たりとも休息のない我が家に来て、果たして幸せなのか、比較する術を持たない彼にはこれも良かなと思っている
怠け者の日本を感じてくれるよりも、勤勉、働き者の日本を感じてそれをお土産に還って、日本を語ってくれる そんな体験をしてほしいなと思っている