梅香のつれづれ日記

今井町から保存活動の情報をお知らせします
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今井町の新しい歴史本が発行!

2018-01-30 10:17:51 | 今井町町並み保存会

「今井町の歴史と文化財」発刊についてのお知らせ

 

この度、今井町内にある一般社団法人「今井町大和観光局」から標記の書籍を出版され、今井町町並み保存会でも販売委託をすることになりました。

2月1日発売予定です!

今回の発行について一般社団法人「今井町大和観光局}代表理事の仲西 知氏は

ご高承の通り、奈良県橿原市今井町は、中世の町割りが残る貴重な町として平成5年(1993年)に文化庁により重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

以来、今井町はインフラの整備から家屋の修復、修景が順調に進み、見違えるばかりの美しい町並が復活しています。一方、今井町に関する調査は度々実施され、都度報告書等は発刊されていますが、今井町の歴史や文化財について総合的にまとめた出版物はありませんでした。

「今井町史」が出版されたのは、昭和32年(1957年)で、本書は日本の市町村史の先駆けとなる書籍として人口に膾炙されていますが、60有余年以前の書籍です

(今井町史は今も今井町町並み保存会で販売しています 5,250円)

 

この60年間には今井町に関する古文書・古記録など新史料の新たな発見が相次ぎました。これらの新史料に基づいて今井町出身・在住の郷土史家 森本 育寛氏に「今井町の歴史と文化財」と題する著作を依頼し、今回上梓する運びとなりました。

今井町研究の文献として是非ご活用いただきたく、ご案内させていただきます

と、発行に至る経緯を述べておられます 

著者は今井町で生まれ育ち、今井の歴史を生涯勉強してこられ、多数の今井に関する著書を出版しておられる森本育寛氏である

基本的には60年前の昭和32年に発行された今井町史を簡略にまとめると同時に、現在再建中の称念寺に関わる記事がかなり濃くなっているのが大きな特徴になっている

 

著書名    「今井町の歴史と文化財」

著 者     森本 育寛出版者     

一般社団法人 今井町大和観光局

仕 様     A5版 168頁(口絵8頁)

並製本(カバー付)

価 格     1,000円(税込)送料別

発売場所    今井町町並み保存会  〒634-0812 橿原市今井町3丁目8-8

         TEL・fax 0744-22-1128       

                      今井まちや館・華甍でも販売しています

 


第39回全国町並みゼミに参加!

2016-09-17 09:27:31 | 今井町町並み保存会

全国町並み保存連盟の第39回全国町並みゼミは9月9,10、11日の3日間、福島県の会津地方、大内宿・前沢集落を中心に田島地区を加えて開催され、前日の理事会から参加してきました

会津若松駅と会津の町並み

大会開会式

全国町並みゼミはかって開発主導の町づくりによって地域固有の自然や歴史・文化が次々と失われていくなか、今井町の呼びかけで有松、妻籠とが発起した団体で、全国の仲間が集い、失われていく大切な遺産を保存しようという同じ思いを共有し、学者などの有識者に助けられて行政に働きかけていく団体として大きくなっていきました

全国町並み保存連盟第1回大会は有松・足助で開催され、今井町は26回大会を開催しています

 

  飯盛山・白虎隊の墓

理事会前に会津若松城・白虎隊の飯盛山・さざえ堂などの旧跡を巡り会津全体の把握をしておいた

 

さざえ堂

今回、第1日目、分科会は大内宿会場に参加して旧街道筋の茅葺き民家の保存地域で、「町並みの保存と活用  ー町並み保存は住民の味方か?ー」 というテーマで夕食を挟んで20時過ぎまで討議を重ねた

この地区は、江戸時代には参勤交代の昼食休憩、馬継ぎの役割を果たす半農半宿の町として街道筋に整然とした町並みを揃え、参勤交代の本陣、脇本陣を置く宿場町としての役割をしていた

その後、輸送機能の変革で街道の性格が変わり、集落は衰退、生業は林業、タバコ栽培、麻の栽培、養蚕、茅葺き職人としての出稼ぎへと転換を余儀なくされていき、世間から忘れられたような地域だけの生活圏の町として生き続けてきました

昭和40年代に全国的に古い集落の調査が起こり、大内宿は1大学生の発表から忽然と現れた幻の町の出現というマスコミの報道もあって、宿場保存の機運が急激に起こり、茅葺集落群が世間から注目を浴びるようになって、農業中心の集落から宿場当時の町並みを保存する方針を選択していきます

昭和56年に重伝建地区に制定、制度導入後は、宿場町としての道路に面した家並を最大限に活かした観光志向を主眼とし、茅葺の屋根修復の組織「結」の育成など、集落の共同作業を組織化して建物の自主保存、祭りなどの古来からの取り組みを復活することで、共同作業の仕組みを再構築して若者の定着にも成功しています

茅葺き屋根が火災に弱いことから、火災への取り組みは防災設備の整備もさることながら、子供達に火に対する教育を徹底していると伺った

この町には街道筋らしい観光志向の生業が生き返ったことで若者の定着率が高まり、後継者が生まれ、次世代への継承はあまり心配していないと言っていた

重要伝統的建造物群保存地区で行政に支援をしていただいたのをバネに、次の自立できる集落造りへの近道を歩んでおられる素晴らしい地域だと感じ、どうしたら集落全体がこんなに足並みをそろえて保存している形態を最大限に生かしながら自立への道を歩む事が出来るのかをもっと時間をかけて勉強したかった

最後に全体会議では最近の保存活動は連盟全体が押しなべて観光主導で、地域固有の自然や歴史・文化を保存するという設立当初の趣旨から外れ、連盟も観光経済主眼の保存方針に走っている傾向にある

そのために本来残さなければいけない文化、保存の施設、景観が失われていることが多くなっている

地域、地域の特性を最大限に活かした保存を根強く推し進めていくための支援者であることが連盟の使命と考えるが、如何なものかと提案して大会を後にした


当たり前になっていた歴史観念の改革!

2016-09-03 01:32:39 | 今井町町並み保存会

今井町は1530年代、一向宗の今井兵部が自坊を建立した時から始まり、1551年にはすでに堀をめぐらし、寺内町としての城塞化が整い始め、1566年になると、3千石余の知行を持つようになって、また今西家が実在しているのが記録されている

そして1570年、織田信長の本願寺攻めが始まると、今井町も呼応して織田信長の降伏勧告を拒絶し、明智光秀、筒井順慶軍に責められるが、今井宗久、津田宗及らの茶人の斡旋で和睦を成し、商いは安堵する

1592年には、今井兵部は大坂城、伏見桃山城の作事奉行を歴任という歴史事実もあり、1594年には、豊臣秀吉が秀次らとともに吉野の花見の途次、今井町で今井兵部が用意した茶屋屋敷に迎えられている

これらは室町時代後期から安土桃山時代にかけての出来事で、今井町の華やかな胎動期、隆盛期でこの栄華は明治維新の廃藩置県の頃まで続くのである

こうした歴史事実から見ても、今井町の一番エネルギッシュな時期は、大和今井を全面支配していた興福寺領の弾圧や、織田信長と立ち向かった頃で、この時期を忘れて今井町を語ることは出来ない

しかし、世間ではいつの間にか「環濠都市今井町」、「江戸時代の町並みが残る今井町」が通説になり、マスコミも、行政の広報も、今井町は江戸時代の代表的な町並みと表記するのが当たり前になっていた

私も今井町は「江戸時代の町並みが残る町」と何時のまにかそう言っていたのだが、1996年、「第1回今井町並み散歩」に1作家として書道展を開き、同じ会場に西条一斎(茶道具の蒔絵師)の茶道具を展示し、今井宗久の出身地だと意思表示したのが初めであった

でも、当時は根元の稱念寺さんの檀家さん(複数)からでさえ、「宗久なんて素性のわからんものを寺の縁者にするな」と苦情を言われたものである

今は今井町並み散歩の日にはお寺で今井宗久の供養の法要を営んでくれている

今井宗久を主役にした「茶行列」をイベントに立ち上げたのは、2002年「第7回今井町並み散歩」の時からで、今は周知になった今井宗久が織田信長や、当時の茶人仲間を引き連れて今井町に里帰りという物語を仕掛けて時代の深さを再認識していただき始めた

こうした歴史事実をはっきりと表面化させながら、室町後期にはすでに隆盛を極めていた町が、世間へのPRでは、未だに「江戸時代の今井町」ではおかしいのではないか、故郷を過小評価しているのではないかと訴えてきたが、定着してしまって「ロゴのように固定した観念」はくつがえすのが困難であった

時には市長にも直談判したし、観光課長や観光協会に直訴して困らせたりしたが、マスコミが江戸時代の町を風評化しているのと相まってなかなか改善してもらえなかった

前置きが長くなったが、今回、橿原市発行の今井町、八木町のパンフレットの改訂版を2016年7月から出してくれた

画面の大きいのが改訂版で、小さいのが旧版で、江戸時代の文字が改善されているのがよくわかる

このパンフレットが一番多用され、マスコミもよく引用しているので早い時期に室町時代から江戸時代までの長い間隆盛を誇ってきたという歴史観念がわかりやすくなっていくと思う

皆さんも今井町は室町時代から江戸時代までの長期間隆盛を誇っていた町だと再認識していただきPRしていただきたく、お願いいたします

 


橿原市役所の出張機関「今井町並み保存整備事務所」が作務衣でクールビズ!!

2014-08-25 17:03:25 | 今井町町並み保存会
今井町は全国でも最大規模、そしてもっとも古くから町並み保存に取り組んできた町として有名だ




日ごろから今井町の保存に関して行政の立場で支援する出張機関が「今井町並み保存整備事務所」で現在7人が常駐して今井町の諸問題に行政の立場で対応してくれて、町の人たちと密度の高い交流がなされている
我々今井町町並み保存会が行う各種事業にも積極的に参画、応援していただいているありがたい存在だ

その事務所で、今年からクールビズ対応で作務衣の着用が始まった


クールビズとは
環境省が、平成17年度から、冷房時の室温28℃でも快適に過ごすことのできるライフスタイル「クールビズ(COOL BIZ)」を推進したのが始まりで、もっとも一般的なのが上着なし、ノーネクタイなどで、今年も地球温暖化対策及び節電の取組が重要であることから、「クールビズ」期間を5月1日から10月31日までとしている

環境省では今年は、「クールビズ」を開始してから10周年を迎えます。今や社会に浸透した「クールビズ」を、新しい気候変動キャンペーン「Fun to Share」の活動の中で、今後更に定着・進化させていくことを目指します
と宣言して
いるが、

中世の町並みが残る今井町で早くから「着物を着よう」を提唱して行事ごとに着物、作務衣など和装にこだわってきた活動を反映して、今年5月の今井町並み散歩の開会席で市長、議長などが同席の中で「今井町並み保存整備事務所」も和服を着用して仕事をしてほしいなと要望したのがきっかけでこの夏のクールビズは作務衣でということにつながった


職員のみなさんはまだ着慣れていないので照れくさいのか、自分からあまりPRしないようだが、所長から情報を聞いて事務所を訪れ、写真を撮らせてもらえた

結構似合っているので、自信を持って着込んでほしいな
今井町町並み保存会だけでなく、行政の出張機関である「今井町並み保存整備事務所」のみなさんが自信を持って着用してくれれば、町のみなさんにも加速的に広まるだろうことが予測できる

役所の英断に感謝したい 似合っていますよ! 和服のクールビズ! 町中に和装が行き渡るように願って…

今井町町並み保存会恒例の町歩き勉強会開催(3月16日)

2014-03-16 23:49:51 | 今井町町並み保存会
今年になって2回目の町歩き勉強会は大和ハウスのコマーシャル「風が通る」でおなじみの恒岡醤油店
この勉強会は今井町の歴史をより深く知ろうというほかに、ビデオカメラ、テープコーダー、カメラを持ち込んで、記録にとっておき、次世代に渡せる記録つくりをする目的も合わせてスタートさせたもので、毎年3~5回の回数を重ねてきている

直近では1月19日に重要文化財の上田家住宅のご当主ご夫妻のお話を伺った

今回の恒岡家は醤油製造販売の老舗で、麹を寝かせはじめた時期の工場の見学と、恒岡家の歴史を伺った

まず、醤油工場では製造工程を説明していただき、



麹の仕組み、そして木製の大樽が並ぶ仕込場から







絞り工程までを説明していただき



座敷に席を移し座学に入った



みんなが驚いたのは、恒岡家の醤油の歴史は新しく(といっても明治期で100年以上の歴史があるが、今井町での話で明治は新しい)、明治天皇が行幸啓で今井町でお泊りの折、随行の木戸孝允が記した中で恒岡家で木綿3反を求めた記録があり、また大阪勧業博覧会に出品しておられる広告が残り、



大和木綿や絣を商っておられたことも新しい知識として知り得た

他にはこの町内にだけ残っている日待講の話や、これからの今井町の在り方などを語り合った
消えゆく記憶を聞き留めておこう、映像で記録しておこうという活動は地味であるが一番大事な活動だと認識している
急ごう、大切な記録づくりを! 

「全国町並み保存連盟」が40周年記念の年を迎えます

2014-01-22 22:40:15 | 今井町町並み保存会
今年は「今井町町並み保存会」の加入団体である「全国町並み保存連盟」が40周年記念の年を迎えます
実はこの連盟を立ち上げたのは今井博道氏などの今井町町並み保存会の先人たちなのです


1974(昭和49)年4月17日に「今井町を守る会」「有松まちづくりの会」「妻籠を愛する会」が集まり、「町並みはみんなのもの」を合言葉に活動を始めたのが連盟の起源で、その主な内容は下記のとおりです

・ 全国町並み保存連盟は、歴史的な集落や町並みで、歴史を活かしたまちづくりに取り組んでいる全国の団体と、 団体を支援する個人によって構成される民間の特定非営利活動法人です。

・「郷土の町並み保存とより良い生活環境づくり」をめざして、1974年(昭和49年)に 「有松まちづくりの会」(愛知県名古屋市有松)、「今井町を保存する会」(奈良県橿原市)、「妻籠を愛する会」(長野県南木曽町) という3つの住民団体が集まって結成され、「町並みはみんなのもの」を合言葉に活動してきました。

・ 1978年(昭和53年)に愛知県の有松・足助で第1回の全国町並みゼミを開催し、 第5回の東京大会開催を契機に個人会員制度や機関紙の発行などが始まり、(2003年(平成15年)には特定非営利活動法人の承認を受けています。

・ 2013年9月現在で北は北海道から南は沖縄まで71地区の団体が加盟、個人会員として加盟されている方、約180人も町並み保存に尽力されています

 40年の長い歴史の中で旧い町並みの価値を見出し、その保存活動の必要性を国に訴え、連盟を立ち上げたのが、我々の町の先人であったことを知らない人は多くなってきています

 町並み保存に関わる人たちでさえそのルーツすら知らない人が増えてきています
 今井町の町並み保存はさらに20年遡る昭和30年で、東京大学の伊藤禎爾先生が今西家調査を始めたときに端を発します

 まさに日本の町並み保存の草分け的存在が今井町なのです

 いま、全国町並み保存連盟では新たに連盟の歴史を見つめ直し、資料を集めて記念事業として「40年史」の発行の準備に取り掛かり始める作業を始めようとしています
 当然ながら「今井町町並み保存会」は連盟の発祥の地としての認識を新たに起こし、全国に「今井町町並み保存会」は元気に活動を継続していますよとアピールでき、来町者、はもとよりメデイアをはじめ、あらゆる層の方たちに町並み保存、町おこしの原点の町「今井町」を再認識、周知していただける年にしたいと思います
それには今年1年間を通して各イベントごとに「全国町並み保存連盟40周年記念」「今井町は全国町並み保存連盟発祥の地」を提唱していきたいと思います
 これまで今井町に対して数々のご支援をいただきました皆様方に、改めてご厚情、ご支援に感謝いたしますとともに、特にこの記念すべき1年間にご慧眼を賜り、ご指導、応援をいただけましたらこの上ない喜びでございます
念頭に当たり、ご挨拶方々今井町町並み保存会の今年の決意を申し述べ、厚かましく御協力をご依頼申し上げます
今井町町並み保存会
会長  若林  稔