梅香のつれづれ日記

今井町から保存活動の情報をお知らせします
今井町にあなたのお知恵を貸して下さい
時には梅香の独り言も書いていきます

今年3度目のスキー行は地元のボーイスカウトの子供たちへのスキー指導

2014-02-10 20:06:03 | スキー
今井町にボーイスカウトが誕生したのは51年前、私は22歳、奈良山岳会で登山に熱中していた頃だが、親父が育成隊の役員で、弟がスカウトに入隊した関係で急きょ指導者講習会を受講して公認指導者の適格証をいただき、手探りで野外活動の指導を始めた

道具もなく、家から鍋釜を持ち出し、有り合わせを応用させることから教えた
それが4~5年続いたが、やはり自分の登山に熱中していったのと、指導員も増えてきたので、いつしかボーイスカウトからは離れていった

スキー講習会を行事に取り入れるようになり、再び指導に出かけるようになったのは、一番下の子供が小学校2年生になった時だった
場所はマキノスキー場、講師は私の家内に長女、次女、三女、三女は小学校2年生だった
子供たちはみんなお母さんのお腹にいるころから毎年スキーをしていたので、得意になって教えていたのを思い出す

そのうち弟が成長して生え抜きのスカウトの隊長となり、後輩の育成に努めるようになり、たくさんの優秀なスカウトが育成され、橿原5団から派生するスカウト団体が県内に沢山誕生した

再度スキーを教えるようになったのは5年前からで、ボーイスカウトの隊員が少なくなって今井町だけではバスが出せなくなり、白橿町と合同でバスを出すようになったのがきっかけで、指導もさることながら、バスの定員確保が大きなウエートを占めていたのではないかと思う

私も普段からことあるごとに今井町の保存活動に骨身を惜しまずボランテイア活動をしてくれる子供たちに、お返しすることが出来るので喜んで家内と参加することにしている

スキー場は木曾の開田高原、マイァスキー場、木曾御嶽山を見上げながらの景観のいいスキー場だ


行程は今年を例にすると
一日目  金曜日
11時雪の積もる今井町を出発、
夜行バスで早朝にホテル到着

 2日目  土曜日、朝食を済ませ

 

準備を整えて8時30分、講習会開講  年少者はスキースクールに半日入学

あいにくの数年来の大雪だが、風がないのとスキー場が空いているので

昼食をはさんで元気に滑っていた




 私と家内は中、高校生担当 手前味噌かもしれないが、教え方が易しくてわかりやすいと好評だそうだ、自分の子供には怒ってばかりの厳しい指導だったが、優しくなったもんだ! 孫がいないので孫のように教えられるのかな!

夜は食事の後、ゲームを通じて懇親や勉強会、育成会のみなさんの面倒見の良さには頭が下がる

3日目  日曜日、快晴、




8時30分講習会開始


 
気温が低いので雪も良好、子供たちはめきめき上達していく
9時30分、子供たちを解放して自由に滑らせ、離れて観察しているといわれたことを守って得意げに滑っているのが微笑ましい かっこよくなったな!とうれしくなった
残りの時間は若手の隊長を特訓、彼は結構うまいので、指導の仕方、子供のほめ方、叱り方などを中心にハードに手ほどきをしたが、積極的についてきてくれた

毎年一人づつ、しっかりした指導者が生まれると、子供も信頼してついてくる
初年度に手ほどきした子は今年見違えるように上手になってくれていた  後輩を指導してくれる日が来るのはもう近い
こちらもうれしい


わたしにとってのスキー講習会の効果はもっと他にあるボーイスカウトたちは町に帰っても出会えば挨拶をしてくれるし、ボランテイアをすることをいとわず、骨身を惜しまず、町並み保存の行事に参加、協力してくれる
そんな事を無意識に期待している自分を感じながら行動しているんだなと最近思うようになった

我が家に帰ってくるたくさんの大学生の孫もいれば、こうしてスキーを通じてできるたくさんの孫たちと遊べるのも幸せだなとつくづく感じる
来年も楽しみに行こうな!スカウトの諸君!

今年も留学生とお別れのときが来た! 寂しくなるね!

2014-02-06 00:11:18 | ハネダ
昨年度はインドネシアからの留学生ハネダが1年間わが家から高取国際高校に通学していた
そして茶道と書道を厳しく指導した

その関係で今年もインドネシアから高取国際高校に留学したナデイア サルサビラという女性が書道を教えてほしいと申し出てきた
インドネシアにはハネダを通じて好感度満点、即座に承諾した


ハネダのように毎日というわけにはいかないが、1~2週間に1度の間隔で練習に通ってきた



そして新年の大三輪神社の書初め大会に出品の半切に漢詩の課題で練習を重ね、挑戦して優秀賞を受賞した

その彼女も2月9日には日本を離れる日が来た
別れはさびしいが今日はともに書道を練習してきた子供たちが、それぞれ100円ずつで、思い思いに買ってきたおやつを持ち寄り、子供らしいお別れ会を開催してくれた
まず、大きな和紙に思い思いに寄せ書きをして












持ち寄ったおやつを広げて思い出話、




子供たちは「日本語が上手なのにびっくりした」「すぐに字が上手になっていくので感心した」とか、「楽しかった」、
ナデイアは「小さい子が上手なので負けないように頑張った」「みんな笑顔が素晴らしかった」などと1年を振り返ってくれた

小さな小さな国際親善がこのような形で続いていくと、子供たちは学問ではない体感からの国際感覚を知らず知らずのうちに身に着けていくのを実感する


今年もいい留学生に出会えたことに感謝!
また、日本に帰っておいで、今井に帰っておいでと言ったら「帰りたいです!」と目をウルウルさせていた


やつむね能楽講座盛況に幕を閉じました

2014-02-04 22:43:29 | 八つ棟
今西家住宅は今井町の総年寄りとして、自治都市今井町のリーダーとして戦国時代を統治された名家で、お裁きをされたお白州を桟敷に、正面座敷でお能が舞われるという趣向で今井町の重要文化財「今西家住宅」新春公演 金剛流能楽師 山田夏樹、宇高竜成、宇高徳成による能楽講座が2月2日(日)13時から開演された過去のブログ


今井町町並み保存会はご縁をいただいて、この講座の裏方をお手伝いする機会をいただき、今西家にふさわしいおもてなしのしつらえを提案、実行に移した
久しぶりに大掛かりな竹細工を始めた


まず、裁きをされたお白州 に結界を創ることから始めた


竹は十市氏を祖とする今西家らしく、十市氏の山城竜王山のふもとの竹を所望して桟敷の結界を制作、




写真の一番高い山が竜王山で、左手の竹山から竹材を頂戴して切り出してきた
竹山から眼下には世阿弥ゆかりの味間や結崎の集落が一望でき、ゆかりの地に囲まれて材料を調達できる喜びを感じた
いいものは出来ないかもしれないが、今西家、ひいては今井町にふさわしい思い入れと、こだわりとを、汗はいっぱい流して制作した


次に手がけたのは葛湯、吉野山でこれまでの桜だけに頼ってきた商いに疑問符を投げかけ、昨年から葛湯だけにこだわった店舗展開を始めた辻村氏に依頼、天然100%の葛湯を赤膚焼元窯の第7代古瀬尭三作の湯飲みで提供、


座席は吉野坂口製材所の提供していただいた木材を堺の奥野浩徳設計工房で製作したものを持ち込んだ







暖を取るのは昔ながらの火鉢を使用、最大20個を用意していたが、天が幸いしてくれて雨予想を覆し、穏やかな1日となり大助かりだった
おもてなしは今井町町並み保存会のメンバーと今西家の人たち全員が和服に整えて備えた
午前11時、能楽のメンバーも勢揃い、能楽師のみなさんにしつらえに満足していただき、ほっとした
後は任せましたよ!の声に 「力が入ります!頑張ります!」と演出の準備に入られた

ここまでが舞台裏
と思っていたら、13時、今西当主の挨拶に80人のお客様の拍手で能楽が始まった

まず、講演、能楽師山田夏樹が能面をはじめ、いろんな舞台衣装や所作の講義をお客様に伝授



常設の講演ではめったに披露されない舞台裏の仕草を至近距離で披露してもらえたお客様はきっと満足だろう

仕舞 宇高竜成の「葛城」、宇高徳成の「野守」の後の休憩をはさんで山田夏樹の「羽衣」も衣装を着ける段階から披露しながら、着付けが終わると直ちに舞に入るという趣向は見事に決まった

最後のオールキャストの顔見世に私も呼んでいただき、熱いお礼の言葉をいただいたのには感動した


全力投球して準備させていただいたものは、決して満点ではなかったと思うが、素晴らしいお客様たちには我々のしつらえが本気のものだと理解していただけたのがうれしい


県外研修で九度山町を訪ねて

2014-02-04 11:17:55 | 県外研修
2月1日(土)今井町町並み保存会は恒例の県外研修を和歌山県九度山町に出かけた

九度山町は空海の高野山開創によって栄えた町で、寺領支配の拠点、政所を慈尊院に置いたのが始まりで、慈尊院は空海の母親のために建立した寺院だそうだ

鎌倉時代から高野参詣が盛んになり参詣道の町石道が慈尊院から高野山の奥の院までの24キロに216基の町石と里石が道しるべをしており、世界遺産に認定されています



戦国時代には真田昌幸、幸村親子が高野山へ蟄居させられて九度山に閑居しています

現在は柿、みかんなどの果樹栽培が盛んな地域に変貌しているが、残された史跡などを起爆剤として新たな町づくりを構築されて頑張っておられる皆さんの様子をお伺いし、熱いエネルギーを頂けたらと企画した


行程順に1日をたどってみた
8:30今井町華甍を出発→9:30 九度山町役場着






「ふるさとセンター4階」にて交流会を開催
岡本章町長も忙しい時間を調整して参加してくださって歓迎の意を述べてくださった
九度山町住民クラブ会長 阪井賢三様からは「まちは人と人をつなぐ舞台」を理念として、年齢に関係なく「思い立ったときが青春」の情熱に燃える、しかも和やかなまちづくりを目指しています。
素晴らしい町並みを守られている今井町の皆さまがお見え下さることで、こちらのみんなは緊張気味です。至らないところが多々あるかと思いますが、和やかな一日を過ごしていただき、今後の永いご縁に繋がりますようよろしくお願い申し上げます
と、熱い歓迎のお言葉をいただいた

10:40 バス移動で 勝利寺と紙遊苑到着




ガイドのリーダー、九度山町語り部会長(住民クラブ副会長)木村憲次様の立てていただいた行程は 最初に一番高台までバス移動して坂の町を順次下がっていこうと配慮してくださっている 
また、恒例の着物姿の参加者にも苦にならないかなりの余裕をみているのもうれしい


勝利寺は空海の厄除け観音を祀る高野表参道の玄関口で高台からの景観は素晴らしい


とこの後 町石道の一部を歩き



 
丹生官省符神社
 

慈尊院
丹生官省符神社は空海が慈尊院建立の際、守り神として丹生都比売と高野御子の2神をお祀りしてある


119段の石段を降りたところが慈尊院


ここは高野山の庶務を司る高野政所屋宿泊所を置いた高野山の要所で、空海の母公が晩年移り住み、女人高野と呼ばれ、親しまれてきた

バス移動で
11:40 真田庵


真田昌幸・幸村が閑居した屋敷跡に建つ寺院で有名な六文銭の紋が山門にかかる
境内は真田ゆかりの品々がたくさん残されている
5月に行われる真田祭は総勢500名の武者行列が町を練り歩くそうで、今も真田親子は九度山町民の象徴のようだ


ちなみに武者行列の鎧兜は町民による手作りだそうだが、見学させてもらってその出来栄えの凄さにびっくりした 技術と根を詰めた成果が見える

12:20 幸村庵で昼食
幸村庵は財団法人九度山町柿の里振興公社の経営で
昼食メニューは
阪井会長おすすめの天ぷらそば1,000円+柿の葉すし2個250円 = 1,250円
「そば」は「ざる」(冷たい)か「どんぶり」(温かい)を選べます。
 他にも大助御膳1,500円 内容 = そば、天ぷら、出し巻き、フルーツ(みかん)、コーヒー
  他に単品注文でセットにすることも可能ですとある

食後は
→ 真田古墳(真田の抜け穴伝説)→「町家の人形めぐり」特設会場→ 対面石 →


14:00 大石順教尼の記念館 (旧萱野家)
旧萱野家は元禄16年とも、明和2年とも伝えられる創建の不動院という高野山の里坊を萱野家を経て九度山町所有に至っている

大石順教尼(1888~1968)は幼少より花柳界で芸を磨き、その芸は当世一の折り紙つきで大阪勧業博覧会では主役を舞うほどの売れっ子であった
17歳の時養父の狂乱により両腕をなくすが、カナリアがくちばしで雛に餌を与えているのを見て口で筆を持つことに気づき、寸暇を惜しんで練習を重ね、古典、和歌、絵画の道を究め、書では日展に入選、
また、身体障碍者の自立教育の育成にも傾注された

大石順教尼の書き残された資料を中心に、生い立ちを知るビデオ上映などが鑑賞できる記念館で、何度も訪れてみたい施設だ


沢山の遺跡が残る九度山町で、忘れがちな故郷の歴史から自分たちの町に誇りを持とうと頑張っておられる皆さんに最大の敬意を表してお別れの途に就いた
15:00 真田いこい茶屋→ 15:30~16:00 真田駐車場→やっちょん広場→今井町