全国町並み保存連盟の第39回全国町並みゼミは9月9,10、11日の3日間、福島県の会津地方、大内宿・前沢集落を中心に田島地区を加えて開催され、前日の理事会から参加してきました
会津若松駅と会津の町並み
大会開会式
全国町並みゼミはかって開発主導の町づくりによって地域固有の自然や歴史・文化が次々と失われていくなか、今井町の呼びかけで有松、妻籠とが発起した団体で、全国の仲間が集い、失われていく大切な遺産を保存しようという同じ思いを共有し、学者などの有識者に助けられて行政に働きかけていく団体として大きくなっていきました
全国町並み保存連盟第1回大会は有松・足助で開催され、今井町は26回大会を開催しています
飯盛山・白虎隊の墓
理事会前に会津若松城・白虎隊の飯盛山・さざえ堂などの旧跡を巡り会津全体の把握をしておいた
さざえ堂
今回、第1日目、分科会は大内宿会場に参加して旧街道筋の茅葺き民家の保存地域で、「町並みの保存と活用 ー町並み保存は住民の味方か?ー」 というテーマで夕食を挟んで20時過ぎまで討議を重ねた
この地区は、江戸時代には参勤交代の昼食休憩、馬継ぎの役割を果たす半農半宿の町として街道筋に整然とした町並みを揃え、参勤交代の本陣、脇本陣を置く宿場町としての役割をしていた
その後、輸送機能の変革で街道の性格が変わり、集落は衰退、生業は林業、タバコ栽培、麻の栽培、養蚕、茅葺き職人としての出稼ぎへと転換を余儀なくされていき、世間から忘れられたような地域だけの生活圏の町として生き続けてきました
昭和40年代に全国的に古い集落の調査が起こり、大内宿は1大学生の発表から忽然と現れた幻の町の出現というマスコミの報道もあって、宿場保存の機運が急激に起こり、茅葺集落群が世間から注目を浴びるようになって、農業中心の集落から宿場当時の町並みを保存する方針を選択していきます
昭和56年に重伝建地区に制定、制度導入後は、宿場町としての道路に面した家並を最大限に活かした観光志向を主眼とし、茅葺の屋根修復の組織「結」の育成など、集落の共同作業を組織化して建物の自主保存、祭りなどの古来からの取り組みを復活することで、共同作業の仕組みを再構築して若者の定着にも成功しています
茅葺き屋根が火災に弱いことから、火災への取り組みは防災設備の整備もさることながら、子供達に火に対する教育を徹底していると伺った
この町には街道筋らしい観光志向の生業が生き返ったことで若者の定着率が高まり、後継者が生まれ、次世代への継承はあまり心配していないと言っていた
重要伝統的建造物群保存地区で行政に支援をしていただいたのをバネに、次の自立できる集落造りへの近道を歩んでおられる素晴らしい地域だと感じ、どうしたら集落全体がこんなに足並みをそろえて保存している形態を最大限に生かしながら自立への道を歩む事が出来るのかをもっと時間をかけて勉強したかった
最後に全体会議では最近の保存活動は連盟全体が押しなべて観光主導で、地域固有の自然や歴史・文化を保存するという設立当初の趣旨から外れ、連盟も観光経済主眼の保存方針に走っている傾向にある
そのために本来残さなければいけない文化、保存の施設、景観が失われていることが多くなっている
地域、地域の特性を最大限に活かした保存を根強く推し進めていくための支援者であることが連盟の使命と考えるが、如何なものかと提案して大会を後にした