2024年2月24日(土)、栄中日文化センター主催、「愛知の街道を行く シリーズ1」(2024年1~5月)「鳴海宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介します。
街道シリーズは宮宿に続いての2回目です。宮宿については 「宮宿」-1- をご覧ください。
今回のルートです。前回のゴール「桜」駅から右下の有松駅までオレンジ色の線を歩きました。
この画像の出典は前回同様 Network2010!https://network2010.org/article/451
今回は、塩付街道 です。
塩付街道とは? https://www.city.nagoya.jp/minami/page/0000001541.html から引用します。
星崎7ヵ村といわれた山崎・戸部・笠寺・本地・南野・荒井・牛毛の各村の塩浜(ほぼ現在のJR東海道本線沿い)では、塩の生産が盛んで「前浜塩(星崎の浜の塩)」としてよく知られていました。慶長13年(1608年)頃、約100ヘクタールの塩浜がありましたが、江戸後期には新田開発や瀬戸内海の塩におされ、戸部・笠寺・本地の3ヵ村で17ヘクタールに減少しました。各村の塩浜で生産された塩は一度、村の塩倉に集められ、富部神社あたりから桜(東宝寺西から鳥栖神明社西)、新屋敷、中根を経て遠く信州塩尻まで、馬の背に乗せられて送られました。この道を塩付街道といいます。
そう、簡単に言えば、塩が採れる尾張から、内陸の甲斐・塩尻(この地名が物語っています)まで、塩を馬の背に載せて運んだのです。
そのルートです。このルートをさらにたどると、山口街道、瀬戸街道、途中で交差する飯田街道で美濃や諏訪まで運ばれたのでしょう。
下の図では、「汐路」と言う地名が見られます。
また、「塩付通り」と言う地名も見られます。
この後は拡大しています。
さらに進むと上汐田という地名もあります。
おそらく、名古屋工科高校周辺は、塩田が広がっていたことでしょう。
星崎という地名も、もともとは「干崎」だったのでは?
『尾張名所図会』(風媒社)より。 画像出典 https://yamap.com/activities/7521898/article#image-101756115
塩を作っていることがわかります。
今回歩いたところを見てみましょう。
各村の塩浜で生産された塩は一度、村の塩倉に集められ富部神社の域内の倉庫に集められました。
そのことがこの図からわかります。
上のT地路あたりから北側(東海道を見た様子です)。
塩付街道です。
道標です。
①の道標です。「是より北 よびつぎ」
➁の手前にある秋葉社?です。地元の人が守っている、こうした小さな祠に興味があります。
➁の笠寺西門交差点です。
塩を運んだ痕跡は全国各地に見られます。探してみましょう。
次回はこの先から・・・・
動画で見てみましょう。
No.115 名古屋の歴史とおすすめスポット 塩付街道 瑞穂区、南区編
名古屋の歴史とおすすめスポット No.113 塩付街道 昭和区本編
明日に続きます。「鳴海宿」-4- へ
「鳴海宿」ラインナップ
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