日々の戯れ

鈴柩の頼りない脳細胞に代わる記憶

3月11日

2014-03-11 | 震災

あの日 私は卒業式練習の準備のために体育館にいた
低学年の子供達は帰りの会の最中、それが始まった

最初は「ちょっと強い地震だな」位にしか思わなかったが
揺れはおさまらずだんだん強くなる

私は各教室を見回りに行った
「大丈夫ですか」
子ども達はみな机に潜って不安そうな顔をしている
6年生の教室までまわっても揺れは続いていた

校庭に避難
副校長の指示を伝えて歩く

子供達は上着を着ると、揺れの続く中、校庭へと避難した
少しずつ地域の大人たちも高台にある本校に集まりはじめる
余震は続く
異常な地震であることは皆もう理解していた
30分も寒さに耐えていただろうか
校庭の端から海を見ていた大人たちから悲鳴が聞こえた

そちらに目をやると白い波が湾を近寄ってくるのが見えた
津波であることはわかった
見に行こうかという気持ちもあったが
子供から離れるわけにもいかない
海と逆の方を向かせて
座らせていると
変な景色が眼に入った

20110311

眼下国道が通っている辺りを屋根が動いていく
信じられない風景だった
身の危険を感じて
避難場所を校庭より高い前庭に変更する
場合によってはさらに高い裏山に逃げることも考えた
 
余震は続く
教室に上着を忘れたという子がいて恐る恐る校舎に入ったりもした
親が迎えに来た子もいたが返さないという判断
やがて日が落ち始め気温が下がり始めた
 
校庭に運動会用のテントを張り、周りをブルーシートで囲って風除けとした
この時点で電気・水道・テレビ・電話は通じない
大変な事態である事がわかった
子供達を帰すことはできない
ブルーシートで夜は明かせない
校舎に入る決断をする
4つの教室を開放し、そのうち2つの部屋に児童が入った

毛布や米などを近所の人が持ってきた
かまどの準備、ろうそくの準備、水の確保
やることは幾らでもあった
辺りはすっかり暗くなる
どこもかしこも停電なので経験したことのない闇夜
ろうそくの灯だけが頼りだった

かまどで火を焚き、鍋で炊いたご飯のおにぎり
水っぽいおにぎりを一人1個
これが夕食だった
子供達と一緒に、二人で一枚の毛布で寝る努力をする

停電の筈なのに窓の外が明るい
山の向こうの空が真っ赤だ
私の自宅のあるあたりである
火事が起きたのだ

父母はちゃんと逃げたのだろうか
その夜は余震もありまんじりともせずに過ごした

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