こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
なんか「今年は寒い」とか言われてるじゃないですか。
でも拙者、暖房器具が充実していて、去年より暖かいですから、残念っ!!
ホットカーペット斬りイイイイイー!!!
…って、古いですね、すみません(笑)
いや、最近思うのが、「暖房器具の充実度で、冬の暖かさも変わるんだなー」ということ。
自宅であったかく過ごせると、なんだか冬そのものもしのぎやすくなります。
あとは乾燥ですね…。
水分、きちんと採らなきゃ。
皆さんも元気に冬を乗り越えましょうねヾ(*^▽^*)o

今日も皆様、ありがとうございます。
なんか「今年は寒い」とか言われてるじゃないですか。
でも拙者、暖房器具が充実していて、去年より暖かいですから、残念っ!!
ホットカーペット斬りイイイイイー!!!
…って、古いですね、すみません(笑)
いや、最近思うのが、「暖房器具の充実度で、冬の暖かさも変わるんだなー」ということ。
自宅であったかく過ごせると、なんだか冬そのものもしのぎやすくなります。
あとは乾燥ですね…。
水分、きちんと採らなきゃ。
皆さんも元気に冬を乗り越えましょうねヾ(*^▽^*)o
亀戸天神社の臘梅(東京都墨田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「百年の恋も冷める」という言葉、どこかで聞いたことはないでしょうか!?
ものすごい素敵な人だと思っていたのに、ふとした瞬間に粗が見えて、好きな気持ちが冷めるどころか、場合によっては嫌いになってしまう。
しかしこれ、ずいぶん勝手で無責任な話とも言えます。
もちろん、あからさまに傷つけられたのなら別です。
しかし、「百年の恋」というのは、往々にして勝手に自分に都合のよい虚像をたまたま見つけた人に投影して、勝手に期待しているだけということがほとんどです。
だからこそ、「勝手な気持ちで恋をされてしまった側」からすれば、相手の都合で期待を押し付けられているだけですから、
迷惑千万という気持ちにもなるのではないでしょうか。
さて。
これは恋愛だけの話ではありませんよね。
「期待していたのに、なぜか裏切られ続ける」という経験、
多かれ少なかれ、誰しも覚えがあるのではと思うのです。
この「裏切られる原因」というのは、もちろん「見る目が甘かった」ということに集約されるわけですが、
それでは「甘くなる原因」は、一体どこにあるのでしょうか!?
その答えは、「人間の性質を見くびっている」ことにあります。
人間、わからない部分は勝手に類推をして、辻妻を合わせる生き物なのです。
林檎を見て、青ければ青いほど「酸っぱそう」と思ったり、
おいしそうな焼き鳥の匂いがしただけで、まだ食べてもいないのに味に太鼓判を押してしまったり。
本当はやってみるまでわからないのに、「自分の経験があるから」と、結論を急いでしまうわけです。
本当は、長所だらけの完璧な人間なんて、いるわけがないんです。
あるいは、その圧倒的な長所が裏目に出て、躓きの原因になることだってあるのです。
そこを、「ちょっと目に付いた部分が良さ気だから」と、自分が知らない部分まで全て理想的にちがいない、
こんな虚像や理想像を、好きな人や物に押し付けてしまう。
だから、勝手に買いかぶって、勝手に幻滅するのです。
しかも、それを「いい部分ばっかり見せやがって」と人のせいにすれば、
また同じように都合のいい部分だけわ切り取る見方を克服できません。
人でも物でもいいですが、もし盲目的に惚れるようなことがあったら、この「虚像」のトリックを疑ってみても、悪くはないと思います。
ありもしないような期待を押し付けて、勝手に幻滅して傷つくような事故も起こらない。
そもそも、そんなに惚れるようなら、ちょっとやそっと検証したぐらいで冷めることなどないハズです。
幻想は楽しいものであると同時に、逃げやすい場所でもあります。
自分の都合に合わせたものがそんなに都合よく現れるか、
盲目的に惚れるほど何かに酔っているなら、一度は立ち止まりましょう。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「百年の恋も冷める」という言葉、どこかで聞いたことはないでしょうか!?
ものすごい素敵な人だと思っていたのに、ふとした瞬間に粗が見えて、好きな気持ちが冷めるどころか、場合によっては嫌いになってしまう。
しかしこれ、ずいぶん勝手で無責任な話とも言えます。
もちろん、あからさまに傷つけられたのなら別です。
しかし、「百年の恋」というのは、往々にして勝手に自分に都合のよい虚像をたまたま見つけた人に投影して、勝手に期待しているだけということがほとんどです。
だからこそ、「勝手な気持ちで恋をされてしまった側」からすれば、相手の都合で期待を押し付けられているだけですから、
迷惑千万という気持ちにもなるのではないでしょうか。
さて。
これは恋愛だけの話ではありませんよね。
「期待していたのに、なぜか裏切られ続ける」という経験、
多かれ少なかれ、誰しも覚えがあるのではと思うのです。
この「裏切られる原因」というのは、もちろん「見る目が甘かった」ということに集約されるわけですが、
それでは「甘くなる原因」は、一体どこにあるのでしょうか!?
その答えは、「人間の性質を見くびっている」ことにあります。
人間、わからない部分は勝手に類推をして、辻妻を合わせる生き物なのです。
林檎を見て、青ければ青いほど「酸っぱそう」と思ったり、
おいしそうな焼き鳥の匂いがしただけで、まだ食べてもいないのに味に太鼓判を押してしまったり。
本当はやってみるまでわからないのに、「自分の経験があるから」と、結論を急いでしまうわけです。
本当は、長所だらけの完璧な人間なんて、いるわけがないんです。
あるいは、その圧倒的な長所が裏目に出て、躓きの原因になることだってあるのです。
そこを、「ちょっと目に付いた部分が良さ気だから」と、自分が知らない部分まで全て理想的にちがいない、
こんな虚像や理想像を、好きな人や物に押し付けてしまう。
だから、勝手に買いかぶって、勝手に幻滅するのです。
しかも、それを「いい部分ばっかり見せやがって」と人のせいにすれば、
また同じように都合のいい部分だけわ切り取る見方を克服できません。
人でも物でもいいですが、もし盲目的に惚れるようなことがあったら、この「虚像」のトリックを疑ってみても、悪くはないと思います。
ありもしないような期待を押し付けて、勝手に幻滅して傷つくような事故も起こらない。
そもそも、そんなに惚れるようなら、ちょっとやそっと検証したぐらいで冷めることなどないハズです。
幻想は楽しいものであると同時に、逃げやすい場所でもあります。
自分の都合に合わせたものがそんなに都合よく現れるか、
盲目的に惚れるほど何かに酔っているなら、一度は立ち止まりましょう。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
もう3年も前になるのですが、インフルエンザの対策を纏めた記事があったので、
そのまま載せてみます。
当時からの読者さんがどれほどかは想像もつきませんが、
注目されていなかった頃から、私は優しいいい人だったんですね(←自分が言うか…?)
毎日やりましょう、インフルエンザ対策。
複数サイトを纏めました。
・うがいは『鼻うがい』を励行。
私は流し台にいつもコップを置いて、
リステリンを混ぜた水を入れています。
・手洗いには1分間、必ず費やす。
指の間や指先も徹底してやると良い。
・マスクの着用。
抵抗力の落ちてくる夜は特に有効とか。
・人込みは避けること。
・「かかったかな?」と思ったら、保健所や市町村の窓口に「電話」を!! ■重要!■
院内感染があると大変なことになります。
致命傷を避ける、与えないためにも、
「電話を優先」して下さいね。
以上です(^^)

今日も皆様、ありがとうございます。
もう3年も前になるのですが、インフルエンザの対策を纏めた記事があったので、
そのまま載せてみます。
当時からの読者さんがどれほどかは想像もつきませんが、
注目されていなかった頃から、私は優しいいい人だったんですね(←自分が言うか…?)
毎日やりましょう、インフルエンザ対策。
複数サイトを纏めました。
・うがいは『鼻うがい』を励行。
私は流し台にいつもコップを置いて、
リステリンを混ぜた水を入れています。
・手洗いには1分間、必ず費やす。
指の間や指先も徹底してやると良い。
・マスクの着用。
抵抗力の落ちてくる夜は特に有効とか。
・人込みは避けること。
・「かかったかな?」と思ったら、保健所や市町村の窓口に「電話」を!! ■重要!■
院内感染があると大変なことになります。
致命傷を避ける、与えないためにも、
「電話を優先」して下さいね。
以上です(^^)
0LINAS錦糸町から(東京都墨田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「成長」とか「進歩」って、一体なんでしょうか!?
「成長」とは、私は「問題意識の変化」だと思っています。
小学生の頃、足し算や引き算を教わりますよね。
それが中学生になると、連立方程式のような複雑なものにチャレンジするようになりますが、
連立方程式を解くには、足し算や引き算ができないようであれば、まず話になりません。
そして、高校や大学で理数科を専攻すると、いよいよ高等数学に立ち向かうことになりますが、
ここで連立方程式に苦戦しているようでは、やはり高等数学は念力やカンでしか解けませんよね。
つまり、より高いものにチャレンジすればこそ、こだわる部分や問題になる部分も変わってくるわけです。
これを踏まえて。
「自分が成長したかどうか」は、「どういうことに立ち向かっているか」の推移による、
こういうことが言えるのではないでしょうか。
だからこそ、「自分の成長」というのは、あまり強調して見せないほうがよいのです。
たとえば、「料理で失敗したから」といって、「料理が上手くなりました」というのは、
「いかに上手く作るか」という点にこだわっているという意味では、全く同じですよね。
「上手くなりました」ではなく、「どのお皿でどう盛りつけるか」とか、「仕込み時間を短くする工夫を考えています」とか、
つまり、「上手くできて当たり前」という次元になっていなければ、
いくら「成長したんです」と言われても、「この人、成長したなあー」という実感には繋がりにくいと思うのですね。
これを考えれば、「次々に問題が出る」ということは、実は「成長」の一つの形とは言えないでしょうか。
1個問題が解決したら、また1個問題が出てきた。
そうなればウンザリもするものですが、いつまでも同じところで躓いていれば、「問題が更新されていく」ことはありえません。
もちろん、悩みの種が尽きないことは、率直に言えば苦しいことに違いはないでしょう。
しかし、問題が形を変えただけ、自分も成長しているのです。
問題のレベルが進歩したということは、同じく自分も成長したなによりの証拠でもあるのです。
問題意識の持ち方が変わった時、きっと昔の悩みも小さく見えているハズです。
気負わず無理せず、成長していきましょうね。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「成長」とか「進歩」って、一体なんでしょうか!?
「成長」とは、私は「問題意識の変化」だと思っています。
小学生の頃、足し算や引き算を教わりますよね。
それが中学生になると、連立方程式のような複雑なものにチャレンジするようになりますが、
連立方程式を解くには、足し算や引き算ができないようであれば、まず話になりません。
そして、高校や大学で理数科を専攻すると、いよいよ高等数学に立ち向かうことになりますが、
ここで連立方程式に苦戦しているようでは、やはり高等数学は念力やカンでしか解けませんよね。
つまり、より高いものにチャレンジすればこそ、こだわる部分や問題になる部分も変わってくるわけです。
これを踏まえて。
「自分が成長したかどうか」は、「どういうことに立ち向かっているか」の推移による、
こういうことが言えるのではないでしょうか。
だからこそ、「自分の成長」というのは、あまり強調して見せないほうがよいのです。
たとえば、「料理で失敗したから」といって、「料理が上手くなりました」というのは、
「いかに上手く作るか」という点にこだわっているという意味では、全く同じですよね。
「上手くなりました」ではなく、「どのお皿でどう盛りつけるか」とか、「仕込み時間を短くする工夫を考えています」とか、
つまり、「上手くできて当たり前」という次元になっていなければ、
いくら「成長したんです」と言われても、「この人、成長したなあー」という実感には繋がりにくいと思うのですね。
これを考えれば、「次々に問題が出る」ということは、実は「成長」の一つの形とは言えないでしょうか。
1個問題が解決したら、また1個問題が出てきた。
そうなればウンザリもするものですが、いつまでも同じところで躓いていれば、「問題が更新されていく」ことはありえません。
もちろん、悩みの種が尽きないことは、率直に言えば苦しいことに違いはないでしょう。
しかし、問題が形を変えただけ、自分も成長しているのです。
問題のレベルが進歩したということは、同じく自分も成長したなによりの証拠でもあるのです。
問題意識の持ち方が変わった時、きっと昔の悩みも小さく見えているハズです。
気負わず無理せず、成長していきましょうね。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
前々から知ってはいたのですが、最近「立体音響」というのにハマっています。
音は前後+左右+上下で知覚するものですが、
それを理屈通りに再現すると、本当に本物っぽく聞こえるんです。
まあ、百聞は一見に如かず…じゃないか、この場合は百見は一聴に如かずということです。
立体音響録音技術 ホロフォニクス 2/2
いやー、いろいろなシリーズが聴きたいです。
東海道新幹線とか、ないかなー(笑)

今日も皆様、ありがとうございます。
前々から知ってはいたのですが、最近「立体音響」というのにハマっています。
音は前後+左右+上下で知覚するものですが、
それを理屈通りに再現すると、本当に本物っぽく聞こえるんです。
まあ、百聞は一見に如かず…じゃないか、この場合は百見は一聴に如かずということです。
立体音響録音技術 ホロフォニクス 2/2
いやー、いろいろなシリーズが聴きたいです。
東海道新幹線とか、ないかなー(笑)
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
先日、文京区の牛天神に参拝してきました。
ちょうど梅祭りの準備もたけなわで、なんだかワクワクしました。
さて、牛天神も日当たりがいい場所があって、所によっては小振りながら、梅がかなり咲いていました。
少し奥まった場所にありますが、きっと梅祭り中は賑わいを見せるハズ。
お近くの方は、よかったら参拝などいかがでしょうか!?
↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓

今日も皆様、ありがとうございます。
先日、文京区の牛天神に参拝してきました。
ちょうど梅祭りの準備もたけなわで、なんだかワクワクしました。
さて、牛天神も日当たりがいい場所があって、所によっては小振りながら、梅がかなり咲いていました。
少し奥まった場所にありますが、きっと梅祭り中は賑わいを見せるハズ。
お近くの方は、よかったら参拝などいかがでしょうか!?
↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓

山茶花の花(東京都品川区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
自分を人に認めてもらいたい時。
普通なら「「いい部分や得意な部分」をアピールしたほうがいい」と考えるものですが、
自分をアピールしたところで、相手がそれをどう受け取るかは、相手の都合で変わります。
これは「意気がってアピールするさまがみっともない」という話ではありません。
たとえば、「自分は英語が得意なんです」という人がいたとしましょう。
たしかに、外国語をモノにする努力やその技術は、素晴らしいものかもしれない。
しかし、仮にアピールされた相手が英語が嫌いだったり、あるいは日本にしか興味がなければ、
「英語をしゃべれること」は、さほど魅力的にも見えないかもしれません。
むしろ、「ただ気取っているだけの人」と、マイナスに取られてしまうことすらありえます。
つまり、「英語がデキる」というのは「英語の実力を重んじる環境」であれば尊敬を集めるかもしれませんが、
「英語の実力が重視されない風土や環境」にあると、どんなに英語の実力があったところで、見向きもされないことだってありえるわけです。
つまり、人間の価値に絶対的な基準なんてないのです。
だからこそ、自分を認めてもらおうとか、人より上ならなんでもいいという考えほど、無駄なものはないのです。
本人は「論理的な話の組み立てが上手い」と思っていても、「理屈っぽい人は嫌いだ」という人からはどう思われるか、すぐにわかりますよね。
「ハッキリとモノを言える」ことが、「人の気持ちへの配慮に欠けている」と批判される原因になることは、この世の中ではたくさんあるでしょう。
結局。
ある一面だけを比べれば優劣は付くかもしれませんが、
人間の計り方はいくつもある以上、簡単に勝ち負けがつくほうがおかしいのです。
ちょっと劣等感を感じるようなことがあったからといって、それで自分を全否定し、卑屈になることはない。
いろんな方面から自分の出来ることを攻めていれば、そのうちのいくつかには、必ず持ち味が芽生えます。
自分からわざわざ人を傷つけるようなことをするのは論外にしても、
他人の心はわからないし、また誰がどんな目方で自分を見ているかもまた、知るには限度があります。
だからこそ、自分のペースで、その場を戦っていくのが一番いいのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
自分を人に認めてもらいたい時。
普通なら「「いい部分や得意な部分」をアピールしたほうがいい」と考えるものですが、
自分をアピールしたところで、相手がそれをどう受け取るかは、相手の都合で変わります。
これは「意気がってアピールするさまがみっともない」という話ではありません。
たとえば、「自分は英語が得意なんです」という人がいたとしましょう。
たしかに、外国語をモノにする努力やその技術は、素晴らしいものかもしれない。
しかし、仮にアピールされた相手が英語が嫌いだったり、あるいは日本にしか興味がなければ、
「英語をしゃべれること」は、さほど魅力的にも見えないかもしれません。
むしろ、「ただ気取っているだけの人」と、マイナスに取られてしまうことすらありえます。
つまり、「英語がデキる」というのは「英語の実力を重んじる環境」であれば尊敬を集めるかもしれませんが、
「英語の実力が重視されない風土や環境」にあると、どんなに英語の実力があったところで、見向きもされないことだってありえるわけです。
つまり、人間の価値に絶対的な基準なんてないのです。
だからこそ、自分を認めてもらおうとか、人より上ならなんでもいいという考えほど、無駄なものはないのです。
本人は「論理的な話の組み立てが上手い」と思っていても、「理屈っぽい人は嫌いだ」という人からはどう思われるか、すぐにわかりますよね。
「ハッキリとモノを言える」ことが、「人の気持ちへの配慮に欠けている」と批判される原因になることは、この世の中ではたくさんあるでしょう。
結局。
ある一面だけを比べれば優劣は付くかもしれませんが、
人間の計り方はいくつもある以上、簡単に勝ち負けがつくほうがおかしいのです。
ちょっと劣等感を感じるようなことがあったからといって、それで自分を全否定し、卑屈になることはない。
いろんな方面から自分の出来ることを攻めていれば、そのうちのいくつかには、必ず持ち味が芽生えます。
自分からわざわざ人を傷つけるようなことをするのは論外にしても、
他人の心はわからないし、また誰がどんな目方で自分を見ているかもまた、知るには限度があります。
だからこそ、自分のペースで、その場を戦っていくのが一番いいのです。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
渋谷で服を見てました。
私はどうも原色系の服が好きで、私服はほぼなんらかの色をベースに着ています。
見て楽しんでほしいのもあるし、やっぱり着こなしは大切にしたいんですよ。。
おかげさまで好みのものが見つかりました。
ありがたいです。

今日も皆様、ありがとうございます。
渋谷で服を見てました。
私はどうも原色系の服が好きで、私服はほぼなんらかの色をベースに着ています。
見て楽しんでほしいのもあるし、やっぱり着こなしは大切にしたいんですよ。。
おかげさまで好みのものが見つかりました。
ありがたいです。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
昨日はあれこれと目にするうちに、「最近、以前ほど身体のメンテナンスをしていないな…」という気になり、
フェイシャルヨガをはじめ、久しぶりにいろいろなものを一生懸命やりました。
表情も血色も、やっぱり違いますね、念入りにやってみると。
せっかく連載もしてあるし、ここは復習して、もっと心身をいい状態に持っていきたいです。

今日も皆様、ありがとうございます。
昨日はあれこれと目にするうちに、「最近、以前ほど身体のメンテナンスをしていないな…」という気になり、
フェイシャルヨガをはじめ、久しぶりにいろいろなものを一生懸命やりました。
表情も血色も、やっぱり違いますね、念入りにやってみると。
せっかく連載もしてあるし、ここは復習して、もっと心身をいい状態に持っていきたいです。
亀戸天神社の蝋梅(東京都墨田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
望まない結果が出た時。
ショックが大きいほど動けなくなったり、挫折感や無力感にさいなまれて、生きているだけでしんどいような気分になってしまうものです。
思い入れや頑張りが報われないどころか、むしろ逆の結果が出てしまう、
こんなことも、生きていれば何度か出くわすこともあるのではないでしょうか。
しかし。
こんな時こそ、結果にこだわらない姿勢が運を呼び込むのです。
成功しようが失敗しようが、結果についてはあっけらかんと受け入れる。
それまで積み上げた努力のことは、一切考えないほうがいいのです。
たとえば受験をしていて、模擬試験の出来が思わしくなかったとしましょう。
嫌な数字が書かれた紙を見せられれば、勉強する元気もなくなれば、意欲がかすむというのが自然です。
しかし、そんな新鮮味のない意欲で勉強したところで果たして能率が上がるかといえば、
それは大いに疑問があるのではないでしょうか。
たしかに、試験で得点を上げるには失点を防ぐしかありませんから、
思わしくない点はきちんと復習し、学習するしかありません。
しかし、結果にこだわるあまり復習する意欲まで落ちても、それはそれで、復習したこと自体が頭に入らなくなる。
一番大切なのは、本番で最高の得点を挙げることですから、
最終結論でもないものに気を取られていては、これからの伸びもおぼつきませんよね。
だからこそ、「あっけらかん」がいいのです。
ここまでの話、簡単に言いすぎでしょうか!?
…わかっています。
実際に「あっけらかん」が難しいことだから、あえて簡単に言っているのです。
嫌なことがあれば、誰だって大なり小なり、精神的なダメージを受けるのが普通でしょう。
仮にダメージがなかったとして、それがずっととは限らない。
意識している時は「あっけらかん」ができても、気がつくと気分が澱んでしまう、
これが現実ではないでしょうか。
だからこそ、意識的に「あっけらかん」としてみる。
「まあそんなもんさ、また積み上げていけばいいもんね」と、すぐに目の前のものに、またチャレンジする。
そうすると、目の前に落ちているチャンスの種を、また育てることができるのです。
これこそまさに、「クヨクヨ」ではなく「あっけらかん」の為せる業なのです。
「禍福はあざなえる縄の如し」といいます。
失意から生まれる幸せもたくさんあるものですが、
それを見つけられるかはまさに、自分が「あっけらかん」とできるかが左右する面もあるのではないでしょうか。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
望まない結果が出た時。
ショックが大きいほど動けなくなったり、挫折感や無力感にさいなまれて、生きているだけでしんどいような気分になってしまうものです。
思い入れや頑張りが報われないどころか、むしろ逆の結果が出てしまう、
こんなことも、生きていれば何度か出くわすこともあるのではないでしょうか。
しかし。
こんな時こそ、結果にこだわらない姿勢が運を呼び込むのです。
成功しようが失敗しようが、結果についてはあっけらかんと受け入れる。
それまで積み上げた努力のことは、一切考えないほうがいいのです。
たとえば受験をしていて、模擬試験の出来が思わしくなかったとしましょう。
嫌な数字が書かれた紙を見せられれば、勉強する元気もなくなれば、意欲がかすむというのが自然です。
しかし、そんな新鮮味のない意欲で勉強したところで果たして能率が上がるかといえば、
それは大いに疑問があるのではないでしょうか。
たしかに、試験で得点を上げるには失点を防ぐしかありませんから、
思わしくない点はきちんと復習し、学習するしかありません。
しかし、結果にこだわるあまり復習する意欲まで落ちても、それはそれで、復習したこと自体が頭に入らなくなる。
一番大切なのは、本番で最高の得点を挙げることですから、
最終結論でもないものに気を取られていては、これからの伸びもおぼつきませんよね。
だからこそ、「あっけらかん」がいいのです。
ここまでの話、簡単に言いすぎでしょうか!?
…わかっています。
実際に「あっけらかん」が難しいことだから、あえて簡単に言っているのです。
嫌なことがあれば、誰だって大なり小なり、精神的なダメージを受けるのが普通でしょう。
仮にダメージがなかったとして、それがずっととは限らない。
意識している時は「あっけらかん」ができても、気がつくと気分が澱んでしまう、
これが現実ではないでしょうか。
だからこそ、意識的に「あっけらかん」としてみる。
「まあそんなもんさ、また積み上げていけばいいもんね」と、すぐに目の前のものに、またチャレンジする。
そうすると、目の前に落ちているチャンスの種を、また育てることができるのです。
これこそまさに、「クヨクヨ」ではなく「あっけらかん」の為せる業なのです。
「禍福はあざなえる縄の如し」といいます。
失意から生まれる幸せもたくさんあるものですが、
それを見つけられるかはまさに、自分が「あっけらかん」とできるかが左右する面もあるのではないでしょうか。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
東京では雪が降ってきました。
そんな予報ではなかったのですが、冬ですから当たり前といえば当たり前ですか。
それにしても、ことしはよく雪の降る年の気がします。
寒さにそなえてお過ごし下さいね。

今日も皆様、ありがとうございます。
東京では雪が降ってきました。
そんな予報ではなかったのですが、冬ですから当たり前といえば当たり前ですか。
それにしても、ことしはよく雪の降る年の気がします。
寒さにそなえてお過ごし下さいね。