青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

ダメ人間をやめよう。

2012年02月16日 19時41分21秒 | 青裸々日記。
私の碁盤(東京都内から)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 私は「ダメ」という言葉が大嫌いです。

 「ダメ」というのは、あるものを強く全否定する言葉です
 「ダメな成績」、「ダメな顔」、「ダメな行動」、
 こう聞いて思い浮かぶのは、「点数にすれば50点ぐらいのもの」ではなく、「ほぼ0点に近く、点数にしたくもないもの」という場合がほとんどではないでしょうか!?
 それぐらい「ダメ」という言葉は強烈で、その強く否定する力や空気が、前向きな気持ち、大袈裟に言えば生きるエネルギーを奪ってしまうのです。
 だから、「ダメ」という言葉は目にも耳にも触れたくない。
 そしてまた、私と同じ考えの人、つまり「「ダメ」と聞くだけで不快になる」という人も、
 多くいるのではないかと思うのです。


 さて。
 この「ダメ」というのは、漢字で書くと「駄目」で、元々は囲碁の用語でした。
 囲碁では線と線の交点を「目」といって、その「目」の数を競い合うゲームですが、
 この「駄目」というのは、「ゲームの勝敗に関係のない目」を指す言葉なのです。
 要は「役立たず」とか「無意味」ということで、「ダメ」というのは結局、囲碁でも実生活でも、「全否定」という意味では同じ使われ方をしているわけです。


 しかし、です。

 囲碁は目に見えるゲームで、碁盤にしろ碁石にしろ、どこにどんなものがあるかがわかるから、
 どれが「駄目」なのかもわかります。
 ただ、実生活、つまり人間やモノを「ダメ」と呼ぶ場合、
 「軽々しく全否定する言葉を使って、あきらめたり放棄していいのか」と思うのです


 「ダメ人間」という言葉があります。
 「ダメ」の意味通りに解釈するなら、「生きている価値もない、役立たずの人間」ということで、
 「ダメ人間」というのは、本当は思っている以上に残酷で愛のない呼び名だったりするのです。
 しかし、どんな人にも個性はあるし、それぞれに積み重ねた経験もあります
 それらを活かすことも鑑みずに「ダメ」という言葉でバッと切り捨ててしまうと、
 本当は有用な資質、埋もれているかもしれない資質まで「ないもの」とされ、活かす機会がなくなってしまいます。
 あるいは、その「ダメ」という言葉の強さで、なんとかエネルギーがなくなってしまうかもしれません。


 だから、「ダメ」という極端な言葉は、可能性を探るどころか見殺しにするわ、生きる意欲を削ぐわで、
 使えば使っただけ不幸の種が蒔かれてしまうのです。


 自分に対しても同じです。
 時に自分を否定したり、自己嫌悪になることぐらい、
 誰だってあるでしょう。
 でも、同じ「自己否定」なら、もう少し柔らかい自己否定をしましょう。

 具体的に、どこが至らなかったのか。
 たしかに一部はいただけないかもしれないが、それで自分を全部否定する必要はあるのか。
 いましがた欠点になっていても、それが逆に活かせる場はないか。

 こういう「少しは活きる部分、実になる部分があれば、そこを元手にしよう」という発想は、
 「ダメ」という言葉を使っている限り出てきません



 だからこそ。
 自分も誰もモノも、もう「ダメ」と呼ばわりするのはやめましょう。
 「ダメなもの」を「ダメ」にしているのは、「ダメ」という言葉そのものなのです

 「ダメ」と呼ばないだけで、ダメさは減るのです。


 「ダメ」と言わない人は、不思議と成長し、豊かになります。
 いや、活かせるものは全部活かせるようになるのですから、
 「不思議」ではないのかもしれませんね。

自分を愛すれば人も幸せになる理由。

2012年02月16日 18時05分12秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の梅(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「自分を尊重し、大切にしましょう」
 「自分を愛することが、幸せには不可欠です」

 自己啓発や心理学の本をこんなことがよく言われていますが、
 「自分を愛する」って、一体どういうことなのでしょうか!?


 …答えは、「自分にとって一番の願いを叶えること」です。
 着たい服を着たり、
 食べたいものを食べたり、
 眠りたいだけ眠る。
 要は、「自分の欲求を満たすこと」をすればいいのです。

 しかし。

 そうは言っても、なかなか一筋縄にいかないというのが、私達の住んでいる世界です。
 いくら食べたいものがあると言っても、お金がなければ口にすることはできません。
 わがまま放題ができれば誰も苦労はしませんが、思いやりがない人は嫌われてしまいます。
 このように、欲求を満たしにいく場合、自分の都合通りにならないことも多い
 だからこそ、「自分を愛する」と言われても、邪魔が多くてなかなか難しいというところでとどまってしまう、
 こういう人が、大半なのではないかと思います


 しかし。

 本当に幸せになれるかは、この「邪魔が出てきた時」なのですね

 妥協しなきゃいけない。
 折り合いをつけなきゃ難しい。
 こんな時、どう折り合いを付けるかで、得られる幸せも大きくなったりするのです。

 たとえば、お寿司を食べに行ったとしましょう。
 より安くおいしいものを、気持ち良く食べたいのは誰でも同じ。
 では、どうすればいいのでしょうか!?

 …それは、店員さんに気持ち良く仕事をしてもらうことです。
 「おいしいですね」と、感謝を伝える。

 余計な気をつかわせない。
 そして、お店にいる間だけでも、ありがたく口にする。
 そうすると、店員さんだって気持ち良くお寿司を握ってくれるでしょうし、気をつかうこともないから仕事に集中できる。
 だから、余計な手間もかからず、それが時間のロスをなくし、さらに同じ金額でも満足感が上がるわけです。


 そうです。

 「自分の欲求を満たす」上で何か障害が出てきたら、まず周りを幸せにするか、一緒に幸せになってしまう、
 これが、遠回りのようでいて近道なのです。


 自分のことは自分で満たす
 でも、自分を満たすだけだと人と干渉するなら、お互いが幸せになるやり方を考えればいい
 自分のことばかりで人や物を大切にできないようなら、それは本当の意味で自分に愛情を注いでいることにはならないのです。
 だから、たとえば不誠実を働く人を見たら、結局は「自分を大切にできていないんだ、かわいそうに」と思うのが正解なのです。


 本当の意味で自分を愛すれば、人からも愛されます。
 もう少し自分の幸せというものに、貪欲になってみませんか。

スピリチュアルな炎

2012年02月16日 05時25分33秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 宮ヶ瀬では、寒さの対策ということで、
 会場では焚き火をしてくださっていました。
 これに小雨が加わると、煙と合わせてこんな絵になるんですよ。


 なんだか、芸術的でイイ感じじゃないですか!?

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寝た…

2012年02月16日 05時19分29秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 昨日はイルミネーションを長時間見たダメージもあり、
 帰宅後の睡魔に負けてしまいました(笑)
 気がついたら朝の4時とか…、お風呂に入っておいてよかったです。


 まあ、考えようによってはフル充電できたし、これはこれで悪くないですよね。
 今日はきちんと更新します。

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