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124 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その13)

 「庚申さん」は、賢治の創作劇『種山ヶ原の夜』の幕切れの”草刈二”の台詞にも出て来ている。 草刈二、「さあすっかり霽れだ。起ぎでぢゃい。」 伊藤(起きて空を見る)「あゝ霽れだ 霽れだ。天の川まるっきり廻ってしまったな。」 草刈二、「あれ、庚申さん、あそごさお出やってら。」 見廻人「あの大きな青い星ぁ明の明星だべすか。」 伊藤「はあ、あゝあ、いゝ夢見だ。馬だったすか。」 見廻人「いゝえ、おら谷まで行 . . . 本文を読む
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123 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その12)

 以前、賢治の詩『秋』で触れたことだが、”恐れた歳”に関わって岩手の農業災害を調べたことがある。そのときに頼ったのが『岩手県農業史』(森 嘉兵衛監修、岩手県発行・熊谷印刷)で、同著には次のような年表図もある。     【資料:第4図 岩手県における冷害の年表図】  この図から、飢饉が引き続いた元禄・天明・天保ほどではないにしても明治末期、昭和初期でさえも幾度かの飢饉があったということを知って . . . 本文を読む
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122 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その11)

 なぜこのシリーズを始めたのかというと、賢治は「雨ニモマケズ手帳」の最後のページにどうして”七庚申は1つなのに五庚申を2つも書いている”のかと云うことが切っ掛けであった。  花巻一帯では七庚申塔をあちこちで実見できるが、当初五庚申塔はなかなか見つからなかったからである。ところが、捜し廻ってみたならばいままでに5基の五庚申塔に巡り会えた。それらが、次の塔である。 《1 五庚申(明治35年11月4日) . . . 本文を読む
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121 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その10)

 賢治の作品の中には「庚申さん」が登場する次のような童話もある。  童話『化物丁場』の中に  私は、あのすきとほった、つめたい十一月の空気の底で、栗の木や樺の木もすっかり黄いろになり、四方の山にはまっ白に雪が光り、雫石川がまるで青ガラスのやうに流れてゐる、そのまっ白な広い河原を小さなトロがせはしく往ったり来たりし、みんなが鶴嘴を振り上げたり、シャベルをうごかしたりする景色を思ひうかべました。それか . . . 本文を読む
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120 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その9)

 「七庚申」は賢治の詩『〔積乱雲一つひかって翔けるころ〕』    積乱雲一つひかって翔けるころ    七庚申の碑はつめたくて       (田の草取に何故唄はれぬのか        草刈になぜうたはぬか        またあの崖の灰いろの小屋        籾磨になぜうたはないのか)    午はつかれて塚にねむれば    北の和風は松に鳴り    稲の青い鎗ほのかに旋り    き . . . 本文を読む
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119 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その8)

 前回に続いて(2)(3)について考察したいのだが、そのための準備として次のことを述べたい。  花巻の鍋倉に次の写真のような 《5 春日神社》(平成21年2月25日撮影) がある。ここの境内には、 《6 石塔群》(平成21年2月25日撮影) があり、その中には幾つかの庚申塔が建てられている。因みに、賢治の詩           『秋』                      一九二六、九、 . . . 本文を読む
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118 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その7)

 「庚申」が詠み込まれている宮澤賢治の作品としては「春と修羅・第二集」の中の        『郊外』    卑しくひかる乱雲が    ときどき凍つた雨をおとし    野原は寒くあかるくて    水路もゆらぎ    穂のない粟の塔も消される        鷹は鱗を片映えさせて        まひるの雲の下底を過ぎり        ひとはちぎれた海藻を着て        煮られた塩の . . . 本文を読む
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117 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その6)

 今回は「七庚申塔」と「五庚申塔」について月別の建立数をカウントしてみたい。  花巻及び周辺で出会えたもので、建立月が判かっているものについては次の《表1》のようになっている。    《表1 月別庚申塔の建立数(1870~1960年分)》   (ア)      (イ)   1月:1基           1月:0基   2月:0基           . . . 本文を読む
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116 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その5)

 前回、『七庚申』に関しては両者に認識の違いがあるということを述べた。なぜなのだろうとは思うのだが、まずは実際花巻及び周辺に建っている庚申塔及び岩手の農業災害について年表(1870~1960年)を作ってみた(末尾《年表1》のこと)。  そしてこの表からは、(もちろん想定内のことではあろうが)古老の言う伝承   『五庚申』は凶作、『七庚申』は豊作 のとおりだとは言えそうにない。『七庚申』のときに . . . 本文を読む
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115 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その4)

 安藤まこと氏の随筆『父と私と宮沢賢治(Ⅹ)』は次のように書き出している。      =賢治と農業災害=  宮沢賢治の詩といえば「雨ニモマケズ」が第一に思い浮かぶ。この詩は世に「雨ニモマケズ手帳」=遺品=昭和六年(一九三一)十月の上旬から年末か翌年初めてまで使用か・・・・に記されていたもの。この中で、賢治は「ヒドリノトキハナミダヲナガシ=後にヒデリノトキ=の間違いとされ、通説となっている」「サムサ . . . 本文を読む
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114 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申(その3)

 『図説 盛岡四百年』(吉川・及川編、郷土文化研究会)によれば「庚申の信仰」について  道教の信仰で、六十年、六十日ごとに回ってくる庚申の日に禁忌したのが庚申信仰である。庚申のとき人間に三尸(し)という三匹の虫がいて、人が眠っているとき、この虫が身体から抜け出して昇天しその人の罪悪を天帝に告げるので、人は罰として命を奪われてしまうというのである。  この思想が庶民に一般化して民族的行事になり、この . . . 本文を読む
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庚申塔リスト6

 【矢沢八幡宮】 《5 青面金剛(建立年月日不明)》(平成21年2月6日撮影) これは庚申という文字はないが、民間信仰の庚申は仏教では青面金剛であるといわれているとうので仲間に入れた。この塔の建立年月日は不明である。 《6 七庚申(明治33年10月21日)》(平成21年2月6日撮影) 建立年月日は明治33年10月21日である。たしかに明治33年は『七庚申』である。 【鞍掛白山神社】 《7 七 . . . 本文を読む
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庚申塔リスト5

 【上根子熊野神社】 《1 熊野神社平成21年1月29日撮影) 《8 庚申塔(建立年月日不明)》(》(平成21年1月29日撮影)  【一本杉バス停傍】 《13 一本杉の石塔群》(平成21年1月29日撮影) 《19 庚申(文化14年11月12日)》(平成21年2月10日撮影)  【太田新淵追分】 《4 石塔あり》(平成21年1月29日撮影) 特に右側の石塔は見事な 《5 庚申塔(寛政9 . . . 本文を読む
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庚申塔リスト4

 花巻城址にある【花巻城址観音寺観音堂】 《2 観音寺観音堂》(平成20年12月27日撮影) 《6 庚申塔(天保14年9月吉日)》(平成21年2月6日撮影) 《7 七庚申(昭和11年10月21日)》(平成21年2月6日撮影)  【小舟渡八幡宮】 《7 小舟渡八幡宮》(平成21年1月18日撮影) 《11 庚申塔が2基》(平成21年1月18日撮影) ただし、左側のそれは上部が欠けている。 . . . 本文を読む
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庚申塔リスト3

 【上諏訪諏訪神社】 《1 庚申塔(安永4年9月25?日)》(平成21年3月1日撮影)  【湯口洗沢】 《1 庚申塔(建立年月日不明 朱在り)》(平成21年3月1日撮影) 《2 庚申(天保3年7月11日)》(平成21年3月1日撮影) 《3 七五庚申(大正14年)》(平成21年3月1日撮影)  【太田山口】 《1 庚申塔(文化3年9月16日)》(平成21年3月1日撮影)  【石鳥谷八 . . . 本文を読む
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