宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

「マスメディアの沈黙」も大きな一因

2023年10月26日 | 「賢治研究」の更なる発展のために

荒木 吉田の指摘のとおりで、周りの人達は知っているのにそれを知らん振り振りし続けてきたことが招いた悲劇だと俺も思うのだが、今頃になってやっとこのことが大問題になったということは、取り分け、「マスメディアの沈黙」が大きかったのじゃないのかな。
吉田 たしかに、1988年には元フォーリブスの一人がこの「性加害」を告発する本を出していたということだから、少なくとも今から35年前には既に世に知られていたことになるからな。しかも、2003年には東京高裁がジャニー氏の性加害を認定、さらに2004年には東京高はジャニー側の上告は棄却されたというじゃないか。だから、殆どのマスメディアは沈黙し続けていたということになる。
鈴木 そのことに関しては大谷昭宏氏も、この10月3日のTBS「ひるおび!」において、
 我々メディアもあそこまで責め立てる権利があるのかと。私自身、ワイドショーやっている時に、ジャニーズに批判的な芸能レポーターがどんどん干されていくのを横で見ていた。それを黙っていたわけですから、我々側にも何かもっと手だてがあったんじゃないか、という思いが非常に強くある。
と、後悔していたくらいだから、さもありなん。
吉田 さりながら、天網恢々疎にして漏らさず。いつまでも隠しおおせるものではない。日本の放送でなかったことが残念だが、2023年3月に、英国BBCがジャニー氏の性加害問題を放送したことによって世界中に知られてしまったわけだ。
荒木 そしてそれが、ブーメランになって日本に戻ってきて、大騒ぎになっているわけだ。
吉田 かつてとはちがって、今の時代は人権が何よりも優先される時代だ。だからなおさらにこの「性加害」は人権侵害と言えるし、それも弱い者に対する人権蹂躙だから、決して許されることでないものの最たるものだ。
荒木 となれば、この「性加害問題」が起こってしまったのは「マスメディアの沈黙」も大きな一因だったのだから、濡れ衣であった〈悪女の高瀬露〉が全国に流布したことと似たような構図がある。つまり鈴木の主張、
 「新発見」の書簡252cとは言い難いのに「新発見」とかたり、にもかかわらず『校本宮澤賢治全集第十四巻』はさらに推定を重ね、しかも一般人である「高瀬露」の実名を顕わに用いて、「推定は困難であるが」と前置きしておきながらも、「この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか」などというような投げやりで、はしなくも、いい加減だという印象を与えるような表現を用いて、「困難」なはずのものにも拘わらず、スキャンダラスな表現も用いながら推定を繰り返した推定群⑴~⑺を『校本宮澤賢治全集第十四巻』は公表した。
 その結果、濡れ衣〈悪女の高瀬露〉が全国に流布してしまった。
と「性加害問題」とが、よく似た構図をしているように俺には見えるんだよな。
吉田 そうなんだよ。どちらの場合も、実は事情をよく知っていながら見て見ぬ振りをし続けた来たという点でもな。
鈴木 やはりそう見えるか。ついては、その観点からもこの新刊をじっくり読んでもらえればありがたい。

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813

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