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賢治が甚次郎に贈った『春と修羅』発見さる

《↑ 宮澤賢治が松田甚次郎に贈った『春と修羅』(石川博久氏所蔵)》

石川博久氏による大発見
 この度、東京在住の石川博久氏が昨年山形市の古書店から入手された松田甚次郎という署名入りの『春と修羅』は、実は宮澤賢治が昭和6年に松田甚次郎に贈った『春と修羅』であることを石川氏は明らかにされた。つまり、賢治が甚次郎に贈った本『春と修羅』が石川氏によって改めて発見されたと言える。
 どういうわけか、昨今松田甚次郎の名はもはや忘れ去られてしまっているが、是非甚次郎の貢献度を再評価してほしいと私は願っている。なぜならば、賢治の名が初めて全国的に知られるようになったのはこの甚次郎が著した『土に叫ぶ』というベストセラーによってであり、続いて甚次郎が編集した『宮澤賢治名作選』が幾たびも版を重ねたことによる。したがって、この署名入りの本『春と修羅』は他のそれら以上にそこに込められている意味と価値がある。
 しかもこの『春と修羅』の外箱には次のような詩
   草刈
寝いのに刈れと云ふのか
冷たいのに刈れと云ふのか
が手書きされている点でも極めて興味深いものである。
 さて、この詩「草刈」が賢治によって詠まれたものか否かは現時点でははっきりしていないが、少なくとも限りなく賢治に縁がある詩と思われる。


 以下にこのことに関する経緯を紹介したい。
(1) HI様からのコメント
 過日、拙ブログ『宮澤賢治の里より』にかつて投稿した“松田甚次郎下根子桜への初訪問日?”へ次のようなコメントをHIというお方からいただいた。
 松田甚次郎の署名のある春と修羅に草刈という「詩」が書かれております。
 甚次郎と賢治の関係を知りたくて、検索してこのページにたどり着きましたのでご連絡いたしました。
 そこで私からは
 松田甚次郎は、昭和6年に手紙(これが賢治からの最後の手紙なそうです)と共に『春と修羅』を送ってもらったと追想記(『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋書店)426pより)に書いております。<*1>
 したがって、HI様が入手なさいました『春と修羅』はほぼ間違いなく宮澤賢治が松田甚次郎に贈った本そのものではないでしょうか。松田は賢治を誰よりも先駆けて全国的にその名を知らしめた掛け替えのない人物ですので、わけても貴重なものだと思います。
ということをお知らせした。

(2) 石川氏のホームページ
 すると折り返し、HI(石川博久)様から、『写真はホームページに載せてありますのでご覧いただけたらと思います』というご返事があったので、早速石川様のホームページを拝見したところ、それは次のようなものであった。
  松田甚次郎(1909-1943)のサインのある宮澤賢治の春と修羅
            (2014-05-05)
 昨年手に入れた宮沢賢治の『春と修羅』の初版本である。箱には痛みがあり美品ではない。しかし賢治と縁のある 松田甚次郎 の昭和6年2月付の署名がある。いずれかの方に贈られたものであろうか。…(略)…
 また箱にはタイトルが「草刈」という詩が書かれている。山形県にある古本屋が出品したものであったので 甚次郎縁の方が手放したものではないかと想像している。もしかするとこの本は賢治自身が甚次郎に贈った本なのかも知れない。

            (2014-06-11)
 賢治の地元岩手で松田甚次郎と賢治との関わりを長く研究されている鈴木様の 松田甚次郎下根子桜への初訪問日?によると、詩は賢治のもののようであり、またこの『春と修羅』は賢治が昭和6年に贈ったものと推定されるとのこと、私も益々賢治が甚次郎に贈った本と感じられてきた。また箱に書かれている『草刈』は甚次郎が賢治に聞かされた詩を書き留めたものかも知れないし、或いは想像を逞しくするなら賢治自身が甚次郎へ書き贈ったものではないのかなどと考えると、この本の経てきた歴史に思いを馳せることができる。
とあり、併せて次のような写真がそこに添えられていた。





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<*1:註> 『宮澤賢治研究』所収 “「宮澤先生と私」 松田甚次郎”の中に
 其の後昭和六年に、春と修羅を御手紙と共に送っていただいたのが最後の御手紙でそのときはもう病牀に臥し中であつて盛んに石灰岩の事などを御述べになられて、残念だ身體が弱くて残念だとつぶやいて居られたのである。
            <『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋書店版)426pより>
とある。

(3) この『春と修羅』は賢治が甚次郎に贈ったものと判断できる
 そこで私は、
 写真拝見いたしました。
 松田甚次郎のサイン
   昭和六年二月
     松田甚次郎
がございましたので、筆跡の参考になると思い、松田甚次郎が墨書した「水五則」の写真を紹介いたします。それは
  1923 南城共働村塾補足 http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/433989a637867fc95edd076831bb8e5a
のトップにございます。
 次に「草刈」の方ですが、
    草刈
  寝いのに刈れと云ふのか
  冷いのに刈れと云ふのか
の詩が賢治の詠んだ詩であるかどうかは私にはわかりませんし、一般には知られていない詩だと思っておりますが、その可能性が大だとも思ってもおります。そしてそれが本当であれば大発見だと思います。
 ましてこの筆跡が賢治のものであればもっとすごいことになると思います。
 いずれ、この『春と修羅』が賢治から贈られたものであることは、松田甚次郎の追想記からほぼ間違いないと思われます。しかも、その箱に「草刈」が書かれていることがそのことを駄目押ししてくれていると思います。しかも、松田甚次郎のサインと「水五則」の筆跡とはそれほどの違いがないと思いますので、なおさらにです。
 残る課題は、「草刈」の詩が賢治の手書きであるかどうかということだと思います。筆跡鑑定してみる価値が十分にあるのではないでしょうか。
とご返事を申し上げた。すると、石川様からは
 貴重な情報ありがとうございます。
 私は草刈はてっきり甚次郎自身が書いたものと考えていました。賢治が書いたならサインがあるのでは思っていました。賢治自身が書いたものならそれほどうれしいことはないのですが。
 佐藤の「宮沢賢治-素顔の我が友」を手に入れて
 「師とその弟子」に書かれている詩<*2>とは順序の違い、内容に微妙に違いがありますが、
何故なのでしょう。
ということだったので、私は次のように私見をお伝えした。
 さて、「師とその弟子」についてですが、実はこの「師とその弟子」にはいろいろ間違っているところがございます。
 例えばこの出だしに、松田甚次郎は大正十五年十二月二十五日に賢治の許を訪れていたと書かれていますが、これは全くの嘘です。甚次郎の当日の実際の日記にはそんなことは一切書かれておらず、花巻を訪れてはおりません。
 また、昭和3年3月18日、同8月18日にも訪れているとありますが、甚次郎の日記には同年3月8日8月の8日に訪れたと書かれております。そして甚次郎の日記で調べた限りでは、この2回が甚次郎が賢治と会った全てです。3回は訪れておりません。
 したがって、以下は私見ですが、この「師とその弟子」の記載内容はそのまま額面どおりには受けとめられないと思います。
 さりながら、実は大正15年12月25日が全くのでたらめな日かというと、当日は大正天皇が崩御した日ですが、甚次郎はその日に赤石村を訪れていて、大干魃で飢饉一歩手前にあったその村の子供達に南部せんべいを配りながら慰問していたということが彼自身の日記からわかります。したがって、このような甚次郎にしかわからないはずのことを佐藤隆房は書いておりますから、何らかの取材はしているものと思われます。
 そのことは、この詩「草刈」についても同様でして、この「草刈」は一般的には賢治の詩としては知られていないものでありますが、その詩に似た詩を佐藤隆房は甚次郎のことを扱った「師とその弟子」の中でそれは賢治の詩だとしてに引用しておりますし、しかも甚次郎が署名した『春と修羅』に「草刈」が手書きされているわけですから、「草刈」がまったく賢治と無関係ということはないと思います。それどころか、賢治の詠んだものであるとした方が遙かに妥当性があると思われますので、その謎解きには大いなる意味と価値があると思っております。
 以上のことに鑑みますと、「草刈」の詩に多少の違いがあるということは、この作者があまり検証もせずに原稿を書いていたということを意味しているのかな、などと私は考えたりもしております。
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<*2:註> 石川氏のご指摘どおりであり、佐藤隆房著『宮澤賢治』(冨山房、昭和26年改訂版)あるいは同私家版に所収されている「師とその弟子」では
 数々朗読してくださった詩の中で
      草刈
   つめたいというのに刈れというのか
   ねむいというのに刈れというのか
は、その中に表現しているすさまじい努力のいきづかいが、農人となろうとしている松田君の心をゆり動かしました。
              <『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和26年改訂版)198pより>
となっていて、たしかに違っている。
 なお、この「師とその弟子」は『宮澤賢治』の初版本(昭和17年版)には所収されていない。改訂版になって初めて増補されたものである。

(4) 「草刈」の筆跡は賢治にあらず
 そしてその後は、メールにて
 私からは
・例の「草刈」の筆跡ですが、どうやら賢治の筆跡ではなさそうです。
 ←宮澤賢治の生原稿に沢山接しているOT氏(『宮沢賢治 花巻市民の会』の会員)という方にも見てもらったのですが、賢治以外の人の手によるものと判断されます、とのことです。
 したがって、あの詩を手書きしたのは松田甚次郎の可能性が大だと思います。そこで甚次郎の筆跡を参照して頂けるかと思い、彼の日記の写真を添付しておきます。
・それから、『宮沢賢治 花巻市民の会』の他のメンバーにも訊ねてみたのですが、やはりあの詩は一般には賢治の詩として知られていないもののようです。
・それから次はお願いですが、「草刈」の詩は、『春と修羅』のどの部分に書かれているものか教えて頂けないでしょうか。
とお伝えしたり、これに対して石川氏からは、次のような写真を送ってもらえたりした。




(5) 私の推測
 そしてその感想や推測をつぎのように石川様にお伝えしたところである。
 添付していただきました『春と修羅』の全体像の写真を拝見して感激しております。紛れもなく、昭和6年に賢治が松田甚次郎に送った『春と修羅』そのものに違いないと改めて判断できたからです。この本の出版部数は千部と聞いておりますが、今では全く稀少なものなのでかなり価値のあるものだと思います。それも他ならぬ甚次郎に賢治が送ったものとなりますから、他の『春と修羅』よりも格別にそれはあると私は思っております。
 また、詩「草刈」がその箱の裏側の全面にしっかりとした筆跡でに書かれていることを知り、少なくともこれは賢治とかなり密接なかかわりのある詩だということを感じました。実は、佐藤隆房の「師とその弟子」の中にはいくつかの記述に明らかな間違いがございますが、さりとて全くのでたらめとも思えません。
 数々朗読してくださった詩の中で
      草刈
   つめたいというのに刈れというのか
   ねむいのに刈れというのか
は、その中に表現しているすさまじい努力のいきづかいが、農人となろうとしている松田君の心をゆり動かしました。
という記述からは、そのことが示唆されると思えるからです。
 おそらく、甚次郎が初めて賢治の許を訪れた昭和2年3月8日(あるいは2回目で最後となった同年8月8日かも知れませんが)に賢治はこの詩「草刈」などを朗読して聞かせたのだが、甚次郎はこの「草刈」にとりわけ感動したのでしっかりと覚えていた。その後昭和6年に賢治から送られてきた『春と修羅』の箱の裏側に、甚次郎はその時の感動を思い出してその詩「草刈」を書き記したのではなかろうかと私は推理しております。甚次郎は賢治を一番尊崇していたはずですからそのような箇所に「草刈」を書いたのではないでしょうか。
 言い方を換えますと、この前掲青文字部分は今まで世に公的には知られてはいても、この詩「草刈」の正体がかなりぼやけていたものでもあったわけですが、この度、賢治が甚次郎に送ったこの本『春と修羅』の箱にそれにほぼ相当する詩が書かれていたことがはっきりしたわけですから、この青色文字部分の裏付けがかなり得られたとも考えられるので、この詩「草刈」は賢治が詠んだ詩である可能性が極めて高いものである、となるのではないでしょうか。
 なお、甚次郎は生前の賢治には2回しか会っていませんが、賢治没後はしばしば花巻を訪れておりますので、その折、甚次郎はこの賢治から贈られた『春と修羅』のことを皆の前でしゃべったのだと思います。そこで、それを聞いた佐藤隆房はそのエピソードを「師とその弟子」に載せたのではないでしょうか。ただしうろ覚えのものを佐藤は書いたので、箱裏に書かれたものとは違いが生じてしまったのではなかろか、と私は推測しています。

(6) 詩「草刈」は賢治が詠んだ可能性が極めて大
 さて、賢治が甚次郎に贈ったものであろうこの『春と修羅』の箱表の「裏側」に書かれている詩「草刈」は甚次郎が手書きしたものであろうことはほぼ確実のようだが、一体誰がこの詩そのものを詠んだものだろうか。

 私の知っているある詩人が、この詩を見て直ぐに
    詩から受ける印象は賢治のものではない、下手だ。
というような意味のことを即答された。この詩人は賢治の詩をよく知っておられるし、聴衆の前で賢治が詠んだ詩をしばしば朗詠されることの多い方である。
 そう言われてみると、たしかにこの詩「草刈」にはいつものような賢治らしい詩情があまり感じられない。それこそ、当時渋谷定輔坂本遼、三野混沌等が詠んでいた農民詩によく似ているような気もする。さりながら、この詩は賢治と全く無関係でもなかろう。賢治を尊崇し続けた甚次郎が、その賢治から贈られた『春と修羅』の外箱にこのように(おそらく甚次郎の手によって)書かれている詩「草刈」なのだから、やはり
    詩「草刈」は賢治の詠んだものであるという可能性が頗る大である。
と言えるのではなかろうか。
 なぜならば、賢治のことを他の誰よりも崇敬し、その“訓へ”を仲間と一緒に実践した続けた松田甚次郎がこのような箇所に書く詩は宮澤賢治の詩が最もふさわしいと考えられるからであるし、このような見方は至極当然なものであろうと誰しもが考えるであろうからである。もちろん可能性としては甚次郎自身が詠んだという可能性もなきにしもあらずだが、まさか崇敬している賢治から贈られた本に厚かましくも自分の詩を書き記すことは、甚次郎の真面目な性格を考えればまずあり得ないだろうし、「草刈」の詩はこれが賢治の詩であると佐藤隆房は「師とその弟子」の中ではっきりと明言しているのだからなおさらにである。

(7) 現時点での結論
 とまれ、石川博久氏がこの度この本『春と修羅』そのものを発見したことはとても意味のあることである。まずは、
 宮澤賢治は昭和6年に松田甚次郎へ『春と修羅』を贈っていた。
ことはたしかであったということがこれでわかったからである。それと同時に、この本の箱の表に詩「草刈」が手書きされているという事実が明らかになったことも特筆すべきことである。それは、
 佐藤隆房の「師とその弟子」の中で詩「草刈」は賢治の詠んだものであると述べられているが、この信憑性が頗る高いということをこの事実は裏付けている。
ということが導かれるからである。
 ではなぜこの詩「草刈」が賢治の作品として今は残っていないのか。それは、当時盛んであった農民詩を賢治も詠もうとしていたので、その一つの試作として賢治は甚次郎の前で即興したものだったからであろう、などとちょっと妄想してみた。
(承前)
(6) 詩「草刈」は賢治が詠んだ可能性が極めて大
 さて、賢治が甚次郎に贈ったものであろうこの『春と修羅』の箱表の「裏側」に書かれている詩「草刈」は甚次郎が手書きしたものであろうことはほぼ確実のようだが、一体誰がこの詩そのものを詠んだものだろうか。

 私の知っているある詩人が、この詩を見て直ぐに
    詩から受ける印象は賢治のものではない、下手だ。
というような意味のことを即答された。この詩人は賢治の詩をよく知っておられるし、聴衆の前で賢治が詠んだ詩をしばしば朗詠されることの多い方である。
 そう言われてみると、たしかにこの詩「草刈」にはいつものような賢治らしい詩情があまり感じられない。それこそ、当時渋谷定輔坂本遼、三野混沌等が詠んでいた農民詩によく似ているような気もする。さりながら、この詩は賢治と全く無関係でもなかろう。賢治を尊崇し続けた甚次郎が、その賢治から贈られた『春と修羅』の外箱にこのように(おそらく甚次郎の手によって)書かれている詩「草刈」なのだから、やはり
    詩「草刈」は賢治の詠んだものであるという可能性が頗る大である。
と言えるのではなかろうか。
 なぜならば、賢治のことを他の誰よりも崇敬し、その“訓へ”を仲間と一緒に実践した続けた松田甚次郎がこのような箇所に書く詩は宮澤賢治の詩が最もふさわしいと考えられるからであるし、このような見方は至極当然なものであろうと誰しもが考えるであろうからである。もちろん可能性としては甚次郎自身が詠んだという可能性もなきにしもあらずだが、まさか崇敬している賢治から贈られた本に厚かましくも自分の詩を書き記すことは、甚次郎の真面目な性格を考えればまずあり得ないだろうし、「草刈」の詩はこれが賢治の詩であると佐藤隆房は「師とその弟子」の中ではっきりと明言しているのだからなおさらにである。

(7) 現時点での結論
 とまれ、石川博久氏がこの度この本『春と修羅』そのものを発見したことはとても意味のあることである。まずは、
 宮澤賢治は昭和6年に松田甚次郎へ『春と修羅』を贈っていた。
ことはたしかであったということがこれでわかったからである。それと同時に、この本の箱の表に詩「草刈」が手書きされているという事実が明らかになったことも特筆すべきことである。それは、
 佐藤隆房の「師とその弟子」の中で詩「草刈」は賢治の詠んだものであると述べられているが、この信憑性が頗る高いということをこの事実は裏付けている。
ということが導かれるからである。
 ではなぜこの詩「草刈」が賢治の作品として今は残っていないのか。それは、当時盛んであった農民詩を賢治も詠もうとしていたので、その一つの試作として賢治は甚次郎の前で即興したものだったからであろう、などとちょっと妄想してみた。
以上
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