宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

友人に新著謹呈

2023年10月25日 | 「賢治研究」の更なる発展のために

鈴木 今度、こんな本『このままでいいのですか『校本宮澤賢治全集』の杜撰』を出版したので、謹呈する。
荒木 えっ、またまた作ったのか、飽きもせず。サンキュ。
吉田 ありがとう。でも荒木、いくら何でも、「飽きもせず」はないだろう。
荒木 ごめんごめん、つい口が滑ってしまった。
鈴木 いや、私自身も、正直「性懲りもなく」と思っている。もうこれで最後とするつもりだから大目に見てくれ。

荒木 ところで、今回のこの『校本宮澤賢治全集』の杜撰』は一体何を狙って出版したんだ?
鈴木 それは一言で言えば、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
ということを世に訴えたかったからだ。
荒木 話が見えないんだけど。
吉田 しかも、僕はこのタイトルにある「杜撰」という二文字に度肝を抜かれたから、先ずはゆっくり読ませてくれ。
荒木 たしかに物騒なタイトルだな。
吉田 それじゃ、この新刊については一週間後また鈴木の家に集まって三人で話し合ってみようよ。
鈴木 うん、それはありがたい。

吉田 ところで、ここのところ「ジャニーズ性加害問題」が連日のように報道されているが、この問題と、濡れ衣の〈悪女・高瀬露〉は同じ構図をしているような気がしてならないのだが、高瀬露は〈悪女〉の濡れ衣を着せられたと世に訴え続けてきた鈴木はどう感じているんだ?
荒木 実はそのことは俺も気になっているんだ。この「性加害問題」は人権問題の最たるものだという報道もあったし、鈴木は『本統の賢治と本当の露』で、〈悪女・高瀬露〉は人権に関わる重大問題だと声高に言い続けてきたことを思い出すからだ。
鈴木 私もそうなんだ。「性加害問題」のニュース等を観る度にそのことと濡れ衣の〈悪女・高瀬露〉が二重写しになるんだ。
荒木 俺はさらに、どちらも共に周りの人たちは知っているのに拘わらずそれを見て見ぬ振りし続けてきたことが招いた悲劇だと思えてならんのだ。
吉田 しかも鈴木が明らかにしたように、『校本全集第十四巻』は「新発見」とかたって〝「新発見」の書簡下書252c等の公表〟をし、さらに、「推定は困難であるが」と前置きしておきながらも、「この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか」などというような投げやりで、はしなくも、いい加減だという印象を与えるような表現をして、延々と推定を繰り返した推定群⑴~⑺を同巻で公表したのは、筑摩倒産の前年の昭和52年だ。
荒木 そして、52年に起こったのがあの『事故のてんまつ』の絶版回収事件だ。そこで担当編集者の原田は己と自社を厳しく総括し、筑摩書房は『事故のてんまつ』の総括見解を公にして詫び、『事故のてんまつ』を絶版回収とした。だからだろう、同社は社史でこの事件に関しては、「幸いにして倒産した。倒産したから一から出直すことができた」と振り返っている。
吉田 ところが、「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」と社史で語っている同社は、『事故のてんまつ』に関しては厳しく総括したが、濡れ衣の〈悪女・高瀬露〉を全国に流布させてしまったと誹られかねないのにこのことについては全く知らん振りをしたと言えるからな。

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
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