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「サラアなる女の伝説」(サラーに属する女)

《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
 さて、この度『春と修羅 第三集』所収の「〔うすく濁った浅葱の水が〕」の「下書稿(一)」には
    一〇九三  一九二八(ママ)、四、一八、
と書いてるということを知った。そしてそれがいまは、
    一〇九三  一九二七、四、一八、
と訂正されているのだそうだ。どうやら、これは単なる賢治の間違いであったと筑摩は判断しているということのようだ。
 とはいえ、この件に関して『春と修羅 第三集』所収の『校本全集第四巻』及び「詩ノート」所収の『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)を瞥見した限りでは、その判断が妥当であることを読者が納得できるような説明個所を私は見つけることができなかった。
 
 一方、私達仲間は以前次のようなことを話題にしたことがある。
  *******************************************
 翌日、二人がまたやって来てくれた。荒木がニタニタしている。
 吉田 何だ、荒木二日酔いか?
 荒木 滅相もない、俺いいものを見つけたような気がするんだ。
と言って『新 校本宮澤賢治全集第四巻』を見せてくれという。私はそれはないが旧の『校本宮澤賢治全集第四巻』ならあるよと荒木に手渡した。
①〔うすく濁った浅葱の水が〕
 すると荒木は頁を捲って66pと67pとを見開き状態にして
 荒木 こんな詩があるのを知ってるか。
と言う。そこには次のような詩が載っていた。
 一〇三九 〔うすく濁った浅葱の水が〕 一九二七、四、一八、
   うすく濁った浅葱の水が
   けむりのなかをながれてゐる
   早池峰は四月にはいってから
   二度雪が消えて二度雪が降り
   いまあはあはと土耳古玉のそらにうかんでゐる
   そのいたゞきに
   二すじ翔ける、
   うるんだ雲のかたまりに
   基督教徒だといふあの女の
   サラーに属する女たちの
   なにかふしぎなかんがへが
   ぼんやりとしてうつってゐる
   それは信仰と奸詐との
   ふしぎな複合体とも見え
   まことにそれは
   山の啓示とも見え
   畢竟かくれてゐたこっちの感じを
   その雲をたよりに読むのである

<『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)より>
そしておもむろに、
 荒木 この詩のここを見て見ろよ。
と言いながら、
   基督教徒だといふあの女の/サラーに属する女たちの
の部分を指さした。私は、はっと息をのんだ。そうか、この〝基督教徒だといふあの女〟は高瀬露のことだ、と直感した。それは吉田も同じだったようで次のように言った。
 吉田 やるじゃないか荒木。よく気がついたな。
 荒木 照れるな。
②基督教徒だといふあの女
 鈴木 私は全く知らなかった、こんな詩がまさかあるなんて。「基督教徒だといふあの女」の考えが「信仰と奸詐との/ふしぎな複合体とも見え」ると、賢治が「あの女」に対して〝奸詐〟という言葉を使うなどとはゆめゆめ思ってもいなかった。ところでこの〝サラーに属する女たち〟とはどんな意味なんだろう。
 荒木 それはさ、下書稿を見ると解る。
と言う。
 荒木は真面目だから、昨日遅くまで飲んだというのに調べたに違いない。おそらく手掛かりがあるとすればその当時詠んだ詩にそれがあるかもしれないと思い付いて、昨夜家に帰ってから「春と修羅 第三集」を調べたのだろう。私の方は、前夜飲んだ後は何もせずに床に就いてしまったので恥じ入りながら、荒木に言われるままに『第四巻』の校異における下書稿を見てみた。すると
・下書稿(二)においては、〝俸給生活者〟に対して〝サラー〟とフリガナを付けているから
   「サラーに属する女たち」=「俸給生活者に属する女たち
ということになる。また、
・下書稿(四)においては
   [あの聖女の]が削除→[基督教徒だといふあの女の]に書き換え。
となっていることが解った。まさしく〝あの女〟とはクリスチャンで小学校の先生である高瀬露その人だと確信できた。多分吉田も同様で、
 吉田 ということは、この詩に出てきた〝〟はまさしく高瀬露であり、この時期賢治は露に対して〝奸詐〟という辛辣な言葉を投げつけていたということだ。これはちょっと驚きだな。
 ところで、一旦書いて削除したという〝あの聖女〟だが、僕は直ぐにあの詩を思い出したね。
③〔聖女のさましてちかづけるもの〕
 荒木 何? その詩とは。
 鈴木 それは、詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕のことで、所謂『「雨ニモマケズ」手帳』の中に次のように書かれている
 10.24
   聖女のさましてちかづけるもの
   たくらみすべてならずとて
   いまわが像に釘うつとも
   乞いて弟子の礼とれる
   いま名の故に足をもて
   われに土をば送るとも
   わがとり来しは
   ただひとすぢのみちなれや

< 「雨ニモマケズ手帳」29p~30p(『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房))より>
のことだろう、なっ吉田。この詩はあの「雨ニモマケズ」の書かれた11月3日の約10日前に同手帳に記されたものらしい。そして、この中の〝聖女のさましてちかづけるもの〟とは高瀬露のことであるというのが定説なんだ。
 荒木 まさか、俺の尊敬するあの賢治がこんな詩を詠んでいたなんて…。この詩を書いてその約10日後に「雨ニモマケズ」を書いた? 俺には信じられない。嘘だろう。
④〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕
 吉田 それが、実はそうでもないんだよな。賢治はこんな詩も詠んでいるぞ。
と言って、吉田は本棚から『校本宮澤賢治全集第五巻』を取り出して荒木に次の詩を読み聞かせた。
  〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕
   最も親しき友らにさへこれを秘して
   ふたゝびひとりわがあえぎ悩めるに
   不純の想を包みて病を問ふと名をかりて
   あるべきならぬなが夢の
     (まことにあらぬ夢なれや
      われに属する財はなく
      わが身は病と戦ひつ
      辛く業をばなしけるを)
   あらゆる詐術の成らざりしより
   我を呪ひて殺さんとするか
   然らば記せよ
   女と思ひて今日までは許しても来つれ
   今や生くるも死するも
   なんぢが曲意非礼を忘れじ
   もしなほなれに
   一分反省の心あらば
   ふたゝびわが名を人に言はず
   たゞひたすらにかの大曼荼羅のおん前にして
   この野の福祉を祈りつゝ
   なべてこの野にたつきせん
   名なきをみなのあらんごと
   こゝろすなほに生きよかし
 
<『校本宮澤賢治全集第五巻』(筑摩書房)より>
そして、
 吉田 この中の〝最も親しき友〟とは、校異を見れば
   [藤原最も親しき友ら]
と推敲された跡があるということだから、藤原嘉藤治にも言わずに賢治一人が悶々と悩んでいることがこの詩から伺える。そしてそれも「我を呪ひて殺さんとするか」の如き女のことで、だ。一体この女とは誰のことだと思う、荒木。
と荒木に問うた。
 荒木 どうも露のことのようだな。それにしても、賢治、一体どうしたんだろう。
 吉田 この頃の賢治はかなり猜疑心が強くなっていて、被害妄想に陥っていたという感じだな。
⑤昭和2年4月18日頃の賢治の心理状態
 鈴木 そうだよな荒木の言うとおり。この詩といい、〔聖女のさましてちかづけるもの〕といい、そして〔うすく濁った浅葱の水が〕、いずれも私が今まで抱いていた賢治の詩からはほど遠いんだな…。
 ところで、荒木から教わった詩は
  〔うすく濁った浅葱の水が〕 一九二七、四、一八、
となっているから、昭和2年の4月18日に詠んだ詩と見なせる。そしてこの中ので、「基督教徒だといふあの女」つまり高瀬露の考えが〝それは信仰と奸詐との/ふしぎな複合体とも見え〟ると賢治は詠っている訳だから、賢治が露のことを賢治らしからぬ言葉〝奸詐〟などを用いて誹っていることになる。したがって、
 この頃(昭和2年4月18日)になると賢治は露のことを疎ましく思うどころか、徹底的に誹謗せずにはおられないという追い込まれた心理状態にあった。
ということが言えそうだ。それが露のせいなのか、賢治の身勝手によるものかはさておいて。いずれ、ちょっと理解に苦しむしな…。
 ***************  以上  **************************
 ところがこれが、
   一〇三九 〔うすく濁った浅葱の水が〕 一九二、四、一八、
であったというのであれば、解釈の仕方は当然違ってくる。

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