下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。
宮澤賢治の里より
463 八重樫賢師という人物
《創られた賢治から愛される賢治に》
八重樫賢師 そして、同じく名須川溢男の別の論文にも次のような八重樫賢師関連の記述があることを知った。賢師も賢治同様魅力的な人物だったようだ。
八重樫賢師は、たびたび羅須地人協会の子供の童話会などに前から出席していたが、盛岡・東京に出て働いた後花巻に帰り、再び賢治から教えを受けては、下根子に彼も賢治のような農園を開きながら労農党の活動をしていたのである。「自分がどのようなことを知っているとか、どんな良いことをしたなどとは決して言わない無口とも言える人であった、宮沢賢治のような人だ」と言われているが、宮沢賢治の人間的な影響がここにもあらわれているのであろう。
<名須川溢男著「宮沢賢治とその時代」、『宮沢賢治 童話の宇宙』(栗原敦編、有精堂)所収、115pより>
もしこれが事実であるとするならば、八重樫賢師は賢治の許にしばしば出入りしていたし、相当影響を受けていたことになろう。さらには、周りの人々もこの二人の関係をそう見ていたであろう。ところがこの八重樫賢師は、賢治が昭和3年8月に実家戻った頃に、北海道へ追放されてしまったということになりそうだ。同じようなことをしていた二人だが、その一方は北海道に追放された訳である。となれば、素朴に考えれば他の一方だって同じような扱いを普通は受けたのではなかろうか…。
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「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)」
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