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337 「農民芸術論」の講義内容

                  《↑『講演筆記帖』(伊藤清一の受講ノート)》
             <『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)より>

 前回の最後で、仮説
 この「農民講座」の講義内容は例の官制「岩手国民高等学校」でかつて講義した「農民芸術論」の講義内容とほぼ違わなかった。
が立てられそうだ、とついポロリと言ってしまった。

 そこで、今回はまず『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)の年譜及び『宮沢賢治―地人への道―』などを基にして、岩手県国民高等学校で賢治が行った講義内容などをリストアップしてみよう。

1月30日(土) 岩手県国民高等学校生徒伊藤清一の受講ノートによると賢治の講義「農民芸術論」は本日を第一回として3月23日までの11回にわたって行われ、このひは「トルストイの芸術批評」と最初の五幕物について述べた。五幕物の戯曲は、第一幕「畑」第二幕「地獄」第三幕「穀物倉」第四幕「酒造り」第五幕「百姓の家」と記されている。

2月9日(火) 第二回講義。「われらの詩歌」と題し、万葉集(人麿ほか)古今集(有原業平)それぞれの一首を引いて比較。岩手県の童歌、民謡、三重県の民謡を紹介。

2月18日(木) 第三回講義。「水稲に関する詩歌」
 芽出時(四月廿日)
  稲種は夕方を可とす、
  又、薄蒔きを可とす、
  又、太く短くするを要す
  蛙は最も苗代に害を及ぼす、之を捕まへるを要す…

2月19日(金) 第四回講義。「稲の露」と題し稲と水分(降雨)の関係を述べる。
  日中吸ふた水分を溢出水するのである…

2月24日(水) 第五回講義。「宅地設計」として農家の構造、設計を考える。

2月27日(土) 第六回講義。本日より「農民(地人)芸術概論」はじまる。「農民と云わず地人と称し、芸術と云わず創造といいたい」と述べ、序論「我等は一緒にこれから何を論ずるか」を講じ、「世界が全体幸福にならないうち、一人の幸福はあり得ない」と述べる。
  農民(地人)芸術概論
   農民と云はず地人と称し
   芸術と云はず創造と云い度いのである
     序論
  我等は一緒に之から何を論ずるか
   農民芸術の興隆……何故われらの芸術が今起こらなければならないか?
   農民芸術の本紙地……
     …(投稿者略)…
   農民芸術の綜合
     おゝ朋だちよ一緒に正しい力を併せわれ等の総べての田園とわれ等総べての生活を一つの巨きな第四次元の芸術にまで創り上げようではないか
  結論
   我等に要するものは銀河を包む透明な意志巨きな熱と力である……
         序論
         俺達は皆農民であって随分忙しく仕事もひどい、
         もっと明るく生き生きと生活する道を見付けなければならない、
     …(投稿者略)…
   心の力―唯心論―唯物論現代の科学は此之である
   唯物論では最後は真空である
     電子―原子―分子

3月1日(月) 第七回講義。「農民(地人)芸術概論」の続き。「われらは一緒にこれから何を論ずるか」の後半。「われらは世界のまことの幸福を索ねよう。求道すでに道である」としてその道は菩薩行より外にないと論ずる。
   新しい時代は世界が一つの意識になり生物にならんとする方向にある、
    昔から口耳之学者小人学也
     …(投稿者略)…
   今日は宗教は宗教家は宗教を出して生きんとしているのである。
    今之三界皆之我有
    吾中衆生悉之吾子、

3月5日(金) 第八回講義。「農民芸術の興隆」(農民芸術の本質)
   何故我等の芸術が今起らねばならぬか?
   曾って我等の師父達は乏しいながら可成楽しく生きた、
   其処には芸術も宗教もあった、
     …(投稿者略)…
   芸術をもてあの灰イロの労働を燃やせ、

3月20日(土) 第九回講義。「農民芸術の分野」
    どんな工合其れが分かたれるか
   声に調レ曲節奏すれば声楽をなし音が然れば器楽をなす、
     …(投稿者略)…
   行動 準志に塑けば労働、競技体操となる、

3月22日(月) 第一〇回講義。「農民芸術の主義」(農民芸術の製作)
    art for life
   術レ芸のための芸術と人生のための芸術は
    art for art 芸術は目的であってはならぬ
     …(投稿者略)…
3月23日(火) 第一一回講義。「農民芸術の批評」
   批評は当然社会意識以上に於て行はれねばならぬ、
     …(投稿者略)…

 なお、こうして講義内容等を調べてみて思ったことは、このような講義内容ではあまりにも抽象的すぎていて、格調が高すぎていてさぞかし受講生は難渋したことであろう、ということである。

 実際、この講義に対しての反応は
・筑摩の『校本』年譜の中には次のようなことが載っている。
 講義は農民芸術論で各村から代表のような優秀な生徒が集まっており「アタマのよい子どもだから」と言って積極的に教えた。ただし「正直言ってよくわからなかった。だれでもそうだったと思う」と生徒の回想もある。
・『宮沢賢治』(関登久也著、学研)の中には次のような伊藤清一の回想
 もっとも先生の意図するところが、私たちに了解できなかったのは事実でしょう。先生の生涯における唯一の思想的論文を、先生自らが講義して下さるのですから、了解できないまでも何かしら先生の奔騰する思索の炎を感ずるような思いがしたものです。
がある。
・また同著には、賢治自身が
 この概論の講義はなかなかむずかしいから、理解できないものは半分くらいあるだろうと思う。意味が少しでも判って進んで聴講するものもあるが、ほんとうに中心にふれて意義を了解してくれるものは、ほんのわずかであろうと思う。
と言っていたそうだ、とも書かれている。

 次回はこの講義内容と「農民講座」の講義内容とを比較・検討をしてみたい。

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