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306 賢治の肥料相談・設計の検証(訂正版)

        《1↑『実際に宮澤賢治が書いた肥料設計書の例』

              (「サライ2010年7月号」(小学館)より)》
*********************************************************************************************
 前回投稿した〝306 賢治の肥料相談・設計の検証〟において迂闊なことに
  昭和3年の金肥(金銭を払って買う肥料)代の総計は  700円 ……③
 と賢治は記入してある。

としたが、入沢康夫氏から
  『700円は7円の間違いではなかろうか』
という意味のご指摘を頂いた。
 たしかにご指摘の通りでしたので、入沢氏に感謝申し上げ、読者の方々にお詫びし、併せて前回の投稿分は次のように訂正させてもらいたい。
***************************************<以下訂正版>****************************************
 では前回述べた
 賢治の肥料設計に従って金肥を施せばそれなりに収量は増したと思うがコストパフォーマンスはどうだったのか。
ということの検証をここでは定量的に試みたい。

1.当時の米価
 まず当時米価は一体どれほどであったのだろうか。以前”日傭労働のときに涙を流すか”で使った下表にそれがあった。
《2 表1:昭和4~6年・米価一覧表(玄米・石当)》

       <『昭和大凶作 娘身売りと欠食児童』(山下文男著、無明舎出版)より>
ただしこれは一石当たりのものだから、それぞれの平均米価を一俵当たりに換算すると
《3 表2:一俵当りの米価》
 昭和4年  約11.7円
 昭和5年  約10.9円
 昭和6年  約 7.4円

である。しかし昭和3年以前については如何ほどだったのだろうか、残念ながら上の表にはない。
 そこでインターネットで調べてみたならば
 〝米一俵(60Kg)の価格推移
の中にそれがあり
《4 表3:米一俵(60㎏)当たりの米価(抜粋)》
   ……
 大正13年 15.30円
 大正14年 13.60円
 大正15年 12.70円
 昭和 2年 10.85円
 昭和 3年 10.60円
 昭和 4年 10.40円
 昭和 5年 6.28円
 昭和 6年 6.50円
   ……
だったという。《表2》と《表3》とでは価格に多少の差はあるがそれほどの差ではない。傾向としては《表3》の方が米価は安目なのでこちらに近いとみて
  昭和3年の1俵当たりの米価はほぼ 11円……①
としもそれほどの間違いはなかろう。

2.当時の水稲収量
 一方、岩手県の反当たりの平均水稲収量は『宮沢 賢治研究Annual』によれば
  昭和2年 294㎏(4.9俵)/反
  昭和3年 301㎏(5.0俵)/反     ……②
   <『宮沢 賢治研究Annual Vol.10』の205pより>
だったという。

3.シミュレーション
 さてこれで準備が出来たので、このブログの先頭に掲げた肥料の設計書の例に基づいてシミュレーションをしてみよう。

 この設計書は3町3反歩の水田を有する農家に対する昭和3年の肥料設計書である。
(1) 金肥代増加額
 この設計表には
  昭和3年の金肥(金銭を払って買う肥料)代の総計は  7円/反 
と賢治は記入してある。
 なお、もしこの農家が昭和3年にも前年と同じ量の金肥を使用するとなるとその肥料代金は如何ほどとなるかを見積もってみる<*1>と 4.5円/反と考えられるから
  賢治の肥料設計に従った場合の反当たりの金肥代増加額=7円-4.5円=2.5円 ……③ 
となろう。

(2) 増収見込額
 一方、②より
  昭和3年の3町3反歩の水田からの平均収量は 5.0俵×33反=165俵 ……④
と見積もれる。
 これに対して賢治の肥料設計に基づいた金肥を使った場合どれだけの増収があったのだろうか。それを教えてくれるのが前回の〝宮澤賢治の肥料相談・設計の評価〟の中で触れた菊池信一の証言
 『昭和三年は恐ろしく天候不順であった。陸羽一三二号種を極力勧められ、主としてそれによって設計されたが、その人達は他所の減収どころか大抵二割方の増収を得た』
であり、約2割の増収があったものと見積もることが出来る。これを俵に換算すると④より
  165俵×2割=33俵
となる。つまり33俵ほど余分に穫れたのである。これを米価に換算してみると①より
  33俵×11円=363円  ……⑤

 よって、この3町3反歩の農家が賢治の肥料設計にしたがって施肥したならば昭和3年の増収額は③と⑤より
  363円-2.5円×33=363円-82.5円=280.5円
と見積もることが出来る。

 つまり、肥料代を82.5円増すことよって水稲の収益が何と280.5円増となり、82.5円の投資が約3.4倍の280.5円に殖えて戻ってくることになる。
 言い換えれば反あたり2.5円の肥料代金をを増すことにより、収益が反当たり(280.5円÷33=)8.5円も増すことになる。賢治の肥料設計に従って金肥を施す稲作はコストパフォーマンスが非常に高いものだった……ということかな多分。

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<註:*1> 前回のブログの先頭に掲げた『肥料設計書の一例』は見づらいので、これを活字に起こしたものが下表
【〔施肥表A〕】

     <『校本 宮澤賢治全集 第十二(下)巻』(筑摩書房)より>
である。たしかに〝7円〟であった。
 この〔施肥表A〕の中の左上の表には昭和2年にこの農家が使った肥料が書かれており、金肥に関しては
   大豆粕     10貫
   過(投稿者註:多分過燐酸)  6貫
   硫安      1.7貫
ということである。
 そこで、もしこの農家が昭和3年もそれぞれ同じ量の金肥を施肥するとなるとその肥料代金は如何ほどとなるかを見積もってみよう。
(1) そのためにはこの〔施肥表A〕の中の下の表「昭和三年度施肥表」の大豆粕、過燐酸、硫安の部分を参照すればよいだろう。
   大豆粕      7貫    価格1.60円
   過燐酸      6貫    価格1.20円
   硫安       2貫    価格1.20円
となっている。
(2) これらのそれぞれの肥料の貫当たりの価格を計算してみると
   大豆粕            1.60/7≒0.23円/貫
   過燐酸            1.20/6=0.20円/貫
   硫安             1.20/2=0.60円/貫
である。
(3) したがって、もし前年と同じ量の施肥をするとなると 
   大豆粕      10貫   価格≒10貫×0.23円=2.30円
   過         6貫   価格=6貫×0.20円=1.20円
   硫安       1.7貫  価格=1.7貫×0.60円=1.02円
 ―――――――――――――――――――――――――――――
     計                    約4.52円
つまり前年通りに施肥を行えば昭和3年の肥料代金は約4.5円かかるはずだった。

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