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私の取り越し苦労であることを祈るばかりだ

 さて、ここまでに述べてきた一連の投稿
において通底していることは何か。それは、
 高瀬露は決して〈悪女〉などではないということを実証したり、主張したりしすることに対する妨害や排除があるという懸念
である。

 そしてこの度、あの「賢治学会代表理事名」の文書の全員配布があったわけだが、今までの流れの中でこのことをもう一度私なりに見直してみると、やはり今回の文書配布もその流れの中の一つであると、しかもそこにはかなりの焦りも垣間見られるということである。なぜならば、それは「賢治学会」とあろう伝統も実績もそして権威もある学会のなすべきこととは到底私には思えないような内容の文書であり、性急なやり方だからである。

 一方で、今回の拙著『本統の賢治と本当の露』出版の最大の目的は、同書の「おわりに」<*1>で明言してあるように、
 濡れ衣、あるいは冤罪とさえも言える〈悪女・高瀬露〉、いわゆる〈高瀬露悪女伝説〉の流布を長年に亘って放置してきたことを私たちはまず露に詫び、それを晴らすために今後最大限の努力をし、一刻も早く露の名誉を回復してやる。
ことであるが、その出版の約一ヶ月後の、著者である私の実名を使った個人攻撃ともとれるようなそれは文書だったからである。つまり、またもやそれは、
 高瀬露は決して〈悪女〉などではないということを実証したり、主張したりしていることに対する妨害や排除である。
というものであった、としか私には見えないのである。

 延いては、そのバックにあるものの正体が少しずつだが私には見え始めてきたような気もする。別な言い方をすれば、以上の私の一連の懸念が、単に私の誤解によるものだったということを、今は希うだけだ。このように、同様なことが何度かあると私が受け止めていることは所詮私の妄想であり、取り越し苦労であることを今はただただ祈るばかりだ。

<*1:註> 「おわりに」では、実際には次のように述べてある。
 そこで譬えてみれば、「賢治年譜」は賢治像の基底、いわば地盤だが、そこにはかなりの液状化現象が起こっているのでその像は今真っ直ぐに建っていないと言える。当然、それを眺める私たちの足元は不安定だから、それを的確に捉えることは難しい。まして、皆で同じ地面に立ってそれを眺めることはなおさら困難だから、各自の目に映るそれは同一のものとは言い難い。したがって、「賢治研究」をさらに発展させるためには、皆が同じ地面に立ててしかも安定して賢治像を眺められるようにせねばならないのだから、まずは今起こっている液状化現象を解消せねばならない。
 そう思って私は、常識的に考えてみて現「賢治年譜」でおかしい個所が少なからずありますので、それらのいわば液状化現象を起こしている個所を一度再検証してみることが不可避だと思います、というようなことを今年の春先に「賢治学会」の幹部に話した。ところがそのせいだろうか、同学会の幹部から私は「学会に反対する人物」と昨今言われているそうだ。あくまでも私は、「仮説検証型研究」等の手法に拠って検証した結果を、賢治研究の発展を願って伝えたに過ぎずないのに。残念だ。もし私に対して異議があるならば感情レベルではなく論理で迫ってほしい。ただ一つでいい、反例を突きつけて下さい。そして反例が提示されたならば喜んで仮説を棄却いたします。そうすることによって、研究は発展していくからです。言い換えれば、反例を提示すること以外に、検証できた私の仮説を葬り去ることはできません。
 というわけで残念なことだが、同学会の幹部の方にして斯くの如しだから、私の一連の主張が世間から受け容れてもらえることは今しばらくは難しいであろうことを充分承知している。それは、このような主張は私如きが申すまでもなく、少なからぬ人たちが既に気付いているはずであるのにも拘わらず、このような液状化現象が長年放置され続けてきたことがいみじくも示唆していると私は考えているからでもある。おそらく、そこには構造的な理由や原因があったし、あるのであろう。それゆえ、私の主張が受け容れられるためにはまだまだ時間がかかるであろうから、私は時が来るのを俟っていてもいいと思っている。つまり、第一章の〝2.〟の㈠~㈥等の評価がどう定まるかは歴史の判断に委ねていいと思っている。
 だが一つだけ、決して俟っているだけではだめなものがある。それは、濡れ衣、あるいは冤罪とさえも言える〈悪女・高瀬露〉、いわゆる〈高瀬露悪女伝説〉の流布を長年に亘って放置してきたことを私たちはまず露に詫び、それを晴らすために今後最大限の努力をし、一刻も早く露の名誉を回復してやることを、である。もしそれが早急に果たされることもなく、今までの状態が今後も続くということになれば、それは「賢治伝記」に最大の瑕疵があり続けるということになるから、今の時代は特に避けねばならないはずだ。なぜなら、このことは他でもない、人権に関わる重大問題だからである。それ故、「賢治伝記」に関わるこの瑕疵を今までどおり看過し続けていたり、等閑視を続けていたりするならば、「賢治を愛し、あるいは崇敬している方々であるはずなのに、人権に対する認識があまりにも欠如しているのではないですか」と、私たち一般読者までもが世間から揶揄や指弾をされかねない。
           〈『本統の賢治と本当の露』138p~〉

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
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