宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

369 ある座談会から

2011年06月25日 | Weblog
                 《↑『賢治研究 70』(1996.8 宮沢賢治研究会)》  『賢治研究 70』は宮沢賢治生誕百年記念特別号ということであったので気になって頁を捲ってみたならば、その中に   「座談会 賢治像・賢治作品の評価をたどる」   日 時 平成7年10月22日   発言者 入沢康夫・杉浦静・続橋達雄・西田良子   司 会 佐藤栄二 という座談会の記録があり、興味を引く点 . . . 本文を読む

366 戦時中の賢治の詩の改竄

2011年06月22日 | Weblog
               《↑「白菜畑」》                  終戦直後、「雨ニモマケズ」の中の〝玄米四合〟が〝玄米三合〟と改竄されたということは以前に報告したとおりだが、似たようなことが戦時中にもあったと聞いていた。  この度、『宮沢賢治の世界』の中の「修羅のなみだ」を読んでいて新たに吃驚したことがある。  それは、同著の174pに書かれていた次のような註である。  * 筑摩 . . . 本文を読む

365 大岡信と『宮澤賢治名作選』

2011年06月21日 | Weblog
                《1↑『校本宮澤賢治全集第五巻月報』(筑摩書房)》 1. 『宮澤賢治名作選』の評価  いままで、宮沢賢治の受容という観点からいえば (1)『宮澤賢治全集(全3巻)』(文圃堂書店版、昭和9年~10年) (2)『宮澤賢治全集(全6巻・別巻1)』(十字屋書店版、昭和14年~19年) に比べて  (3)『宮澤賢治名作選』(松田甚次郎編、羽田書店、昭和14年) はあまり重視 . . . 本文を読む

350 賢治の俳句

2011年06月06日 | Weblog
               《↑〝宮澤賢治句稿〟石碑》(平成20年5月23日撮影)  さて、以前掲げた昭和2年の年譜の中でまだ触れていないもので触れたいのは最後の次のことである。 <1928年(昭和2年)> 11月1日~3日 東北菊花展出品、審査、菊の句の短冊を書き入賞者に与える。 1.賢治の句作  この東北菊花展(菊花品評会)について、原子朗氏が「宮澤賢治の俳句」の中で次のよう . . . 本文を読む

349 賢治の性に対する認識

2011年06月05日 | Weblog
                       《↑岩田豊蔵》                 前回の最後、 羽田 堀籠さんの結婚式に、私も参っておりましたが、いろいろ話しをしているうちに、宮沢さんが、ひょっといったのですがね。「世間の人は、みんな私を童貞だと思っていますよ、ハハハハ」と。私は、じつは、このときの宮沢さんの言葉が、いまでも疑問につつまれていて、解らないのです。       における . . . 本文を読む

348 賢治と嘉藤治と

2011年06月04日 | Weblog
                     《↑藤原嘉藤治(昭和2年頃撮影)》                      今回も昭和2年の8月以降のその年内の年譜 夏頃から〔推定〕高瀬露しばしば来訪。 10月頃  石田興平を宮澤家から花巻病院へ案内、下根子桜にも案内。 11月   藤原嘉藤治と小野キコの結婚式参列。 11月1日~3日 東北菊花展出品、審査、菊の句の短冊を書き入賞者に与える。 を . . . 本文を読む

345 名須川の論文「宮沢賢治の活動と歴史的背景」

2011年06月01日 | Weblog
                      《↑『賢治研究 20』(宮沢賢治研究会)》  名須川溢男の「賢治と労農党」を探しているうちに同氏の「宮沢賢治の活動と歴史的背景」という小論文も見つかったので、今回はその中から報告したい。 1.大正14年頃の歴史的背景  その中には次のよう章がある。   一、花巻農学校の教師を辞職して羅須地人協会活動に入った歴史的背景  花巻農学校の隣にあった花巻 . . . 本文を読む

344 名須川溢男の論文「賢治と労農党」

2011年05月31日 | Weblog
            《↑『鑑賞現代日本文学⑬ 宮沢賢治』(原子朗編、角川書店)》  やっと名須川溢男の論文「賢治と労農党」を見ることが出来た。それは『鑑賞現代日本文学⑬ 宮沢賢治』の中にあった。 1.賢治は労農党のシンパ以上の存在  まずはこの論文の中の〝四 労農党と羅須地人協会〟を引用させてもらう。それは次のような中味である。    四 労農党と羅須地人協会  労農党稗和支部は大正一五年 . . . 本文を読む

343 賢治と労農運動

2011年05月30日 | Weblog
         《↑『「賢治精神」の実践』(安藤玉治著、農文協)》 1.何か変  ここまで賢治の下根子桜での生活を調べてきて思うことは、   下根子桜の昭和2年は何か変だ ということである。  再度、昭和2年の年譜を見直してみたい。 <1927年(昭和2年)> 1月 5日 伊藤熊蔵、竹蔵、中野新佐久来訪。 1月 7日 中館武左エ門、田中縫次郎、照井謹二郎、伊藤直美等来訪。 1月1 . . . 本文を読む

342 森荘已池の証言

2011年05月29日 | Weblog
                《1↑『宮沢賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)》  森荘已池の『宮沢賢治の肖像』の中に、宮澤賢治と労農運動に関する証言があることを知った。  それは『「生徒諸君に寄せる」について』というタイトルの次のような書き出しで始まる小論文である。  宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」は、不思議な作品というより他に言いようがない。それは、この作品が生前に発表されなかったことには . . . 本文を読む

341 賢治と甚次郎最後の別れ

2011年05月28日 | Weblog
             《↑「農村劇の台本読み」(奥中央やや左寄りが松田甚次郎)》                前回で、賢治の下根子桜農耕自炊時代の年譜に関しては昭和2年7月までが済んだ。  では引き続いて昭和2年の8月を調べてみる。 1.甚次郎の下根子桜訪問  意外なことに、そこにある主だったことははたった一つ次のことだけであった。 8月 8日 松田甚次郎の訪問を受ける。  佐藤成が『 . . . 本文を読む

340 肥料設計

2011年05月27日 | Weblog
             《1↑『肥料設計書(昭和2年ころ)』》               1.目立たなくなった羅須地人協会の活動  大正15年春岩手日報の取材を受けて  耕作にも従事し生活即ち藝術の生がいを送りたいものです、そこで幻燈會の如きはまい週のやうに開さいするし、レコードコンサートも月一囘位もよほしたいとおもつてゐます幸同志の方が二十名ばかりありますので自分がひたいにあせした努力でつ . . . 本文を読む

339 甚次郎に託した賢治

2011年05月26日 | Weblog
                    《↑「松田甚次郎」後列中央》              折角本格的に始動した私塾「羅須地人協会」の活動ではあったが、それはあっけないもののようだった。 1.楽しかった下根子の冬  羅須地人協会の会員伊藤克己が  その頃の冬は樂しい集まりの日が多かつた。近村の篤農家や農學校を卒業して實際家で農業をやつてゐる眞面目な人々などが、木炭を擔いできたり、餅を背負つて . . . 本文を読む

338 仮説の検証及び撤回

2011年05月25日 | Weblog
                 《1↑『国民体操を指導する伊藤清一』》                さて以前、  この「農民講座」の講義内容は例の官制「岩手国民高等学校」でかつて講義した「農民芸術論」の講義内容とほぼ違わなかった。 という仮説を立て、前回はその検証の準備のために伊藤清一の「講演筆記帖」を基に賢治の「農民芸術論」の中味を調べてみた。  調べてみている内にこれではこの仮説には無理 . . . 本文を読む

337 「農民芸術論」の講義内容

2011年05月24日 | Weblog
                  《↑『講演筆記帖』(伊藤清一の受講ノート)》                前回の最後で、仮説  この「農民講座」の講義内容は例の官制「岩手国民高等学校」でかつて講義した「農民芸術論」の講義内容とほぼ違わなかった。 が立てられそうだ、とついポロリと言ってしまった。  そこで、今回はまず『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)の年譜及び『宮沢賢治―地人への道― . . . 本文を読む