歳月人を待たず。
あっという間に「癒し季節も」残り少なくなり
このまま〝しばし とどめん“ と呟いています。
コロナ禍で暫らく運動会も無きが如くの有様でしたが
今年は威勢のいい声が聞こえてほっとしました。
私の中学校の運動会だったので、昭和30年ころか・・。
学年女子全員の「民謡踊り」があり、毎放課後練習づけでしたが
クラスの2名だけがいつの間にかいなくなる。
叱られてもいなくなる。当日着る「浴衣」がない、と分かった
のは運動会の二日前。
母に話したら直ぐに「姉たちの浴衣」を入れてくれたが・・
勿論 当日彼女たちはそれを着て参加した。しかし
私から彼女たちにそれを渡した覚えもなく、返してもらった
記憶もない。
姉たちは何も知らず、その後もその浴衣を着ていた。
今もってその微妙な仲介者は謎のまま。
(担任の先生は 若い男性・その当時2人とは犬猿の仲)
人生の終末を控えて、どうでもいいような事柄がふと
飛び出す、その方が不思議かもね。
過ぎたことを懐かしく思い出す、のとはちょっと違って、不意に「へぇー」と忘れていたのが飛び出し、笑ってしまう事もあります。なにせ暇人だからかも。
不思議な物ですね。どうでもいいことをひょっこり思い出したり、眠れぬ夜の楽しみかなぁ、
今は体調に少し気を付けての日々ですが、あとは神様任せ。急に寒くなってきましたがお気をつけて・・。
ここへ移り住んでからはさっぱり。我が家の周囲には学校はないし、氏神さまもどこにあるのやら、まったく俗世から隔絶されたような…。これが隠遁生活というものでしょうか。
運動会の思い出といえば、私は走るのが遅くていつもビリ。高校になると悪知恵を働かし、徒競走の前にトイレに行って終わったら帰って知らぬ顔。昔からズルい人間だったようですわ。
夢の中の心温まるおとぎ話?
我がマンモス母校は体操服で「花笠音頭」を踊りましたよ。
小さなトラブルは何処の学校にも発生していたでしょうが、能天気な私メ、三年生900名近くの見事な踊りに?感激したことを中学時代のたった1つの楽しい思い出として胸に畳んでいます。
善い悪い自分の土台となった出来事を思い返しても
「妄想」に捉われないで、現実を大切に
受け流してくらしましょうね。
露命をつなぐ八十路の現実は厳しいですが