日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
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【映画】劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

2020-12-15 20:00:00 | 本・映画・展覧会
 毎月1日「映画の日」で鑑賞料金が安かったこともあり、今夜は映画をハシゴ。本作もそろそろロングラン末期だと思うし。「外伝」を観たのだから、「本編」も観ておきたいし。

 放火の大惨事に見舞われた「京アニ」作品だが、本作は放火直前に完成していた。完成していたが、制作に携わったスタッフの多くが事件の被害者となった。しかしそのことは、作品評価に影響を及ぼすものではない。それとは無関係に、評判に違わぬ素晴らしい作品が出来上がった。

 本作を評価する人の多くは愛を描いたストーリーを、次いでそのストーリーの表現技法を称賛すると思う。もちろん本作中で描かれる主人公と元上官の、そして劇中に登場する何組かの親子の愛情は素晴らしく、観ていてホロリとさせられはするのだけど、それよりも、と引っ掛かってしまう。

 ハッピーエンドが、周囲の人の傷を疼かせる結果になるのは許されるのだろうか。もちろん当人たちは十分意識し悩み苦しんできた。自分が生きていて良いのでしょうか、しかも人と人とを結ぶ代筆者などになって良いのでしょうか、と。もう良いでしょう、過去に囚われるより未来を見て生きてゆきましょう。あなたのした過去は消えないけど、代筆者としての功績もまた消えないのですよ、とアニメ放映編では言われている。やはり「赦そう、けれど忘れない」が正解なのですか。そう思えない自分は心の小さな人間なのでしょう。「あの人は死んじゃったけど、生き残ったあなた方はもう悩まず、彼らの分も生きてゆきなさい」と言える人はどれだけ立派なんだろう。自分の中で折り合いが付くまで、何度か見返さなければならないようだ。

 そうは言っても、ラストシーンは素晴らしかった。「人形(ドール)」と言う劇中の職業は、一方で感情のないという暗喩もあったはず。常に抑制した物言いで表情を変えることも少なかった主人公(ヴァイオレット)が、感情の赴くままに走り、飛び、壊れたように涙を流す。涙は迸る愛情の発露。殺人兵器は、人間になれたのだ。このシーンだけでも、もう一度観に行く価値あるかもなあ。

 2020年12月1日(映画の日) 川崎・チネチッタにて
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【映画】罪の声

2020-12-15 06:00:00 | 本・映画・展覧会
 テレビ「逃げ恥」は観なかったし、星野源も小栗旬もとりたててファンと言うわけではない。が、社会派映画と言うことと、題材が明らかにグリコ・森永事件をしており、リアルに知っていたことから興味を持ち本作を観に行った。

 京都でテーラーを営む、妻子持ちのスーツ職人(星野)と、社会部記者から「脱落」して今は文化部でスカスカの記事を書いている新聞記者(小栗)。それぞれが35年前の菓子製造メーカー脅迫事件を「いまさら」調べ始める。

 関係者から別の関係者へ、どんどん過去の調査が進んでゆく様は「そんなポンポン上手いこと調べがつくもんかい」と文句がつきそうだが、小気味よい反面で物足りなくもある。だがこの映画では、謎解きを楽しむわけではない。謎解きの結果、犯人の動機の意義、青春の価値、そんなものを問いかけてくる。

 世の中に、犯罪の直接の被害者だけでなく、間接的な被害者も少なくないことだろう。どんな理由があろうと、他人の人生を狂わせる行為に正義はないという厳しい断罪。グリコ・森永事件の犯人も本作品を観ただろうか。

  2020年12月1日(映画の日) 川崎・チネチッタにて
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