SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

イストワールの現在 その5

2010年03月19日 | Weblog
>なかでも、「暗い絵」と題された最終章で言及されている、藤田嗣治による戦争画《アッツ島玉砕》は、本来の「聖戦美術」という「あかるい」使命と、藤田自身の内なる「くらい」加害者意識がないまぜになった、きわめて不気味な作品である。この作品に表れている微細で複雑、かつ過剰な情念のうずまきが、堪木を『日本・現代・美術』という歴史を遡る旅へ誘ったであろうことは間違いない。(黒瀬陽平著『新しい「風景」の誕生』より抜粋、『思想地図』4号129ページ)

 図1の「いたる原画」と、図2のデューラーの「オルフェウスの死」は、ページ見開きで対置している(122~123ページ)。この『思想地図』の編集者たちによるレイアウトの無意識は、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》に描かれた風景それ自体の無意識と連結している。《アッツ島玉砕》の画面上部には、ゆるやかな山並みが見える。玉砕する兵士達の背後の遠景に、もっこりと盛り上がった地形が描かれているのである。

>異化された立体性のイメージとして在ること、それはいわば、隆起しつつ表層に再‐内在化しているトポスとして在ること、盛り上がったところ、丘、塚、墳墓のようなもの、「マウンドmound」として在るところである。(千葉雅也著「パラマウンド-森村泰昌の鼻」ユリイカ3月号より抜粋)

(続く)