SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

砂漠で哲学する

2007年02月12日 | Weblog
>一方で東氏は、「都心に住むのは、思想的に敗北という感じもしますね。ショッピングセンターとファミレスしかない荒れ果てた郊外で日本社会が崩壊していくさまを肌で感じないと、批評なんて書けない感じがする(笑)」という発言もするのだが、これもちょっと格好付け過ぎみたいに思える。(古谷利裕の偽日記07/02/09(金)より抜粋)

 いや、フランス現代思想の研究者としてはそう言うほかない。そもそもフランス現代思想のほんとうの真価が問われたのはアメリカという思想的郊外においてだった。そしてそのフランス現代思想が日本で大流行した理由も、実はその社会背景にすでに大きな変化(ポストモダン化)が生じていたからだろう。パリの監獄で哲学に目覚めたベルナール・スティグレールと、日本の郊外で哲学に目覚めた東のアニキとでは、同じデリダ派にしても何かが決定的に違う。環境管理の進んだ郊外で何故か哲学に目覚めた東のアニキは、そこでほとんどグレッグ・イーガン的なまでの悪夢をリアルに見ていたはずだ。なにしろ人文学から最も遠い場所で苦悶するのが東のアニキの真骨頂だ。いますぐ砂漠に出るべきだろう。『情報自由論』も西荻窪なんかに居たから失敗したのだ。
 ていうか明日から読書会のほう始めますので夜露死苦。