すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

中沢新一「カイエ・ソバージュⅠ 人類最古の哲学」

2005-02-27 17:05:02 | 書評
副題が思いつかんな…………


得てして口述筆記の形態は、非常に読み易くなるものです。この「人類最古の哲学」も、講義をまとめたもので、平易でテンポよく読ませてくれます。

本書では、世界中に広く存在する様々な神話から共通の要素を抜き出して、そこから人間の有り様や思考方法を説明してくれます。
「不死の存在であった人間が、自らの失態で有限の存在に転落してしまった」というパターンの神話が世界中にあるそうです。アダムとイブも、このパターンですな。

著者が言うには、中石器時代に核となる物語(神話)が存在していて、それが人間の生活圏の拡大と一緒に世界各地に広まりつつ、土着化していったらしいです。
その過程で土地の色を出しながらも、「不死から転落」というモチーフは残ったのだとすると、その拘泥は「いつかはまた不死になることができるかもしれない」という希望なんでしょうか? それとも、「もう二度と不死に戻ることはできない」という絶望なんでしょうか?
……………てなエラソウなことを考えさせてくれると同時に、「男性の豆」(もちろん二つある、アレですよ、アレ)と「女性の豆」(もちろん一つだけの、アレですよ、アレ)についての卑猥な話題などもありまして、なかなか楽しませてくれます。

でも、単なる神話の解説だけに留まらず、そこから現代社会についても語れています。

神話の素材は五感がとらえる現実ですし、創造の材料となっていたのは、現実の社会構造や環境や自然の生態のことです。神話はそうした具体的な現実から完全に離れてしまわないところで、いわば「つかず離れず」の関係でつくられ、また語られていたものです。
 ところが宗教は、現実の対応物をみいだせないところでも、抽象的な思考力や幻想の能力によって、観念の王国をつくりあげることができます。これはたぶん「国家」などという、具体的な人間関係の中にはどこにもみいだせないものを、具体的な社会の上位につくりだそうとした、観念の運動と連動して生まれたものでしょうが、こういう宗教の中に神話が取り込まれるようになると、神話そのものの性質が変化を起こしてしまいます。神話がバーチャルな思考の領域に移されたようになります。そうすると、神話は現実との弁証法的関係を失ってしまうようになります。 (中沢新一「カイエ・ソバージュⅠ 人類最古の哲学」200頁 講談社選書メチエ)

まぁ、こういう「国家」や「宗教」という概念をマイナスのもとして扱うのは、日本人的だなぁ~と思います(僕自身も、そういう傾向はありますけど)。著者としては、マイナスとして扱っているつもりはないのかもしれませんが、他の概念ではこういう言い回しはしないような気がします。

で、この引用した文章の前には、現在の日本では、アニメや漫画、ゲーム(要するには、オタクメディア)で安易に神話を使うが、それは現実から乖離しているもので、本来の神話的機能が抜け落ちている、というバーチャル世界に対するお約束の警鐘が鳴らされています。

言わんと欲することは分からんでもないです。が、小さいころからバーチャルな世界に常々触って育つと、毒されることよりも(それもあるでしょうが)、嗅ぎ分ける能力が発達するんじゃないのかぁ?

さて、どうでしょう?


ともかく、神話の魅力については、よく理解させてくれる本です。
神話に興味のない方も、楽しめるのでは?


人類最古の哲学―カイエ・ソバージュ〈1〉

講談社

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