すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

押井守「イノセンス」

2005-02-17 19:02:43 | 映画評
竹中直人は、いろんな人に愛されているよなぁ


複数回の視聴を前提につくられている作品というは、正直なところ、その根性が好きではありません。
二度三度と見直したり、読み直すことで、新たな感動が生まれてくるというのは、言うまでもないことですが名作です。
が、二度三度と見直したり、読み直すことでしか理解できないというのは、製作者が擬似的な名作感覚を生み出そうとしている底意地を見た気になってしまい、「どうもなぁ」です。

もっとも、初回で理解できない受け手(つまりは、僕ですが)に問題があるのかもしれませんが。


「イノセンス」です。
映画館で見て、DVDでも数回見ています。情報量多すぎ。

カンヌ映画祭では「字幕の量が多すぎて、映像が楽しめなかった」と審査員が言っているくらいですから、素人の僕が音をあげるのも当然です。

特に引用の多さには、その衒学臭に、くらくらします。

キャラクター自身の台詞にしないのは?
という質問に対して、押井守監督は、こんなふうに答えております。
ダイアログっていうものをドラマに従属させるんじゃなくて、映画のディテールの一部にしたかったというのが動機です。
 劇映画の台詞って退屈ですよね。ほとんどが説明やなりゆきで。それが嫌だった。というか、もっとやることがあるんじゃないかと。言葉それ自体をドラマのディテールにしたかった。ディテールである以上は、それなりに凝ったものでなければならないわけで。一つ一つに足を留めてもいいような陰影のある言葉。ちょっとした人物が吐く台詞も何物かであってほしい。たとえば刑事の『柿も青いうちは鴉も突つき不申候』とか。ドラマといったん切り離したときに言葉は映画のなかでディテールになる。可能であれば100%引用で成立させたかった。古典に関してはほぼそのまま引用しました。世阿弥とかね。様々なレベルで、言葉を機能させたかった。 Yahoo!ブックス
「劇映画の台詞って退屈ですよね。ほとんどが説明やなりゆきで」って、それは、「機動警察パトレイバー2 the Movie」のことか…………。

簡単に言うと、「登場人物の台詞を、安易に物語に従属させたくはなかった」ということなのでしょうか?


そもそも監督自身が、
逆にですね僕や現場の気持ちとしては、『一度見てわかられてたまるか』という気合いで作りました(笑)。GHOST IN THE SHELL 2:イノセンス関連情報まとめ
と言っているようです。

なんだかんだ思っても、何度も見ています。(既にオチを知っているのに、未だにキムの屋敷のシーンは、初見と同じように嫌な気分になってしまいます)
結局、監督の手に踊らされております………。

発信者(監督)の責め苦に耐えられる、M体質の受け手にお勧めです。


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