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雑感や書評など

中谷陽二「精神鑑定の事件史」

2005-02-22 18:50:08 | 書評
自分と他人の違いって、なんでしょう?

むごい事件が起きると、テレビ文化人から意見百出で、そうやって騒いでいるうちに新しい事件が起きて、うやむやになるのが落ちです。
所詮、大事件といっても「他人」のもの。熱心に入れこむ方が、おかしいのでしょうけど。

この映画からヒンクリーが受け取ったメッセージは「どれほど恐ろしい暴力でも報われる」ということであり、彼は自分が映画のスプリクトを演じているかのうように感じたのである (中谷陽二「精神鑑定の事件史」 48頁 中公新書)
今回引用した箇所は、別に印象深かった言葉というわけでもないんですがね。
ちなみちヒンクリーというのは、アメリカのレーガン大統領暗殺犯のことで、映画というのは「タクシードライバー」です。

映画や小説、漫画といった物語に影響を受けて、主人公と同じような服装をしたり、言葉を吐いたり、行動をしてみたりといったことは、まぁ誰でもすることじゃないでしょうか?
ただ、いくら影響を受けるにしても、自然と適法におさまるものです。
いくら「モンテクリスト伯」に感銘を受けても、殺人まで犯して、自らの屈辱を晴らそうとは思わないでしょう。(そもそも普通の人生で、相手を殺さなくてはいけないほどの屈辱を味わうようなことがないか………)

その健常者(と言われている人間)ならば自然と身に着けている「枠」というものがなくなっているから、精神病なんだろうけど。

しかし、その「枠」って、どのあたりで外れちゃうんでしょうね?
それが分かれば、世間から犯罪はなくなるんでしょうが。


ともかく、有名な「ビリー・ミリガン」や、「八墓村」のモデルになった「津山事件」、ロシアの皇太子を襲撃した「津田事件」、哲学者の「アルチュセールの殺人事件」など、下世話なレベルで十分に興味深い事件が解説されています。

日本で今後も起こるであろう猟奇的な事件への予習として、最適な本ではないでしょうか。


精神鑑定の事件史―犯罪は何を語るか

中央公論社

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