すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

モーム「月と六ペンス」

2005-02-23 17:56:01 | 書評
自分と環境


相変わらず無職です。
四月からは、働こうと思っています。


「だがね、君、全然ほかの人間を無視して生きるなんて、そんなことができるもんかね?」彼に言うというよりは、むしろ僕自身に言って聞かせた質問だった。「生きている以上、やっぱり一から十まで他人の世話になってると思うな。自分一人で、しかもただ自分のためだけに生きようなんて、君、途方もない話だよ。たとえばだよ、遅かれ早かれ、君だって病気にもなれば、老衰することだってある、そうすればやはり元の群れへ這い戻ってくるわけさ。君の心にだって、慰めや共感を求めるときはあるだろう、そんなときに、君、恥ずかしいとは思わないかい? 君のやろうということは、不可能事だよ。遅かれ早かれ、君の中の人間が、やはり人と人との共通な絆を求める日があると思うんだ」(モーム「月と六ペンス」242頁 新潮文庫)

唐突に絵画に目覚めたストリックランドが、家族も仕事も地位も、全てを捨てて、芸術活動に没頭するというお話。

引用した箇所は、物語の狂言回しとなる人物が、ストリックランドの傍若無人振りに苦言を呈した際の言葉。
しかし、その予言とは裏腹に、ストリックランドには「人と人との共通な絆を求める日」は来ないで、自分のつくりだした美に完結してまま死んでいくんですけどね。


悪魔と契約したかのような、または神に全てを任せたかのような、ストリックランドの過酷で迷惑な人生には、三人の女性がかかわります。

[ロンドン]ミセス・ストリックランド
目覚める前までのストリックランドと一緒に平凡に暮らしていた女性。
旦那の出奔を一時は許そうとしたが、その理由が女ではないことを知り、彼との完全な決別を決意する。
つまり旦那が得ようとしているものが、もはや社会的に報われるものではないことを本能的に理解する。

[パリ]ブランシュ
通俗的ではあるが人の良い画家を旦那としていた。当初は、ストリックランドを毛嫌いしていたが、その野生的な魅力に心を奪われてしまう。
ミセス・ストリックランドとは逆で、ストリックランドの破滅に魅了され、それを支配しようとあがく。最後は自殺。

[タヒチ]アタ
現地住民。ストリックランドのあるがままを受け入れようとする。ストリックランドの発病後も、献身的に尽くす。


こうやって並べると、男にかなり都合の良い女性が、最後に来てくれましたね。

要は近代的社会の枠に収まりきらない男が、[ロンドン]から旅立ち、[パリ]で試練を得て、[タヒチ]において安住の地を発見する、というところでしょうか?

カッテナハナシダネ。


ストリックランドは[タヒチ]で自らの才能を開花させ、後に絶賛される多くの絵画を残します。
しかし、その評価は[タヒチ]ではなく、[ロンドン]や[パリ]で行われます。
[ロンドン]や[パリ]に安住することができなかったのに、[タヒチ]での成果がフィードバックされるのは、単に皮肉というか、近代社会の強欲さをあらわしているというか。

これはこれで、カッテナハナシダネ。


イギリス流の「ウイットとユーモア」にあふれた文章や警句は鼻につくこともあるかもしれませんが、それさえ気にならなければ、楽しめるのでは?